2024年3月 またしても旅に

 

 またしても旅に出た。

 バスの、ドコンドコンとした人を不快にさせることを目的としているとしか考えられない揺れ。新幹線の、細かく断続的に続くジリジリゴロゴロとした揺れ、それと上下左右へとせわしなく移り変わる重力。

 

 移動している間はどの時も聴きたい曲が浮かばず、またどの曲もしっくり来なかった。そのことに対する妙な不愉快さもあった。脳が疲れていたのだろうか?(おもしろいことに帰宅してシャワーを浴びていると聴きたい曲がスッと浮かんで、再生するとしっくり来もした。)

 スーパーに入った。世界の果てのような一角の町だった。見慣れた商品もあったし見慣れない商品もあった。その場所ならではのお惣菜もあった。20代にも30代にも見える男性店員が黙々とレジ打ちをしていた。毎日毎日テレビから胸焼けするほど流れてくる、流行とか都会のことなんて知らないしどうでもいいというような様子に見えた。彼が休日にどう過ごしているかとか、何を楽しみにして暮らしているのかといったことは想像もつかなかった。ただこの土地に生きて仕事をしているという事実だけが分かった。

 日用品店に入った。何かを買いたくて―—という気持ちは正確に書くならばここで買い物をしたという事実を残したくて――買い物をした。鍋やらヤカンやら栓抜きやらが並べられていた。その店には昭和から平成初期に売り出されたであろう生活雑貨が多く残されていて、宝物の山だと感じられて嬉しくてテンションがあがる一方で胸がしめつけられる感覚もあった。持ち主が現れる日をいつまでも待っている日用品の健気さによって、かもしれない。店内は年月の奔流に流されることの無かった尊い空間のように思えた。買い物は30年は売れ残っていたであろうキャラものの小皿に決めた。バーコードに書かれていた会社はもう現存しないようだった。また捨てられないものが増えた。

 布団の中でG-SHOCKのバックライトを着けては消えさせながら、考えなくてもいいことを考えていた。DW-D5500BBはソーラーじゃないしオートライトが勝手に解除されてしまうこととか。電波ソーラーで普通液晶の5500が出ないかなとか。松本次郎『beautiful place』の登場人物が着けているG-SHOCKのこととか。朝、枕元に置いていたペットボトル飲料が冷蔵庫の奥に仕舞われていたぐらい冷えていた。

 

 

 旅のはじまりはいつもここからJR京都駅。それにしてもなんでこんなインダストリアルな建物なんだろう。和っぽくないという意味では京都らしくないけど、この意味不明さは関西らしいし京都らしい。