2024年3月のつぶやき

 

 ・先月のこと。散髪屋に行った。「ヘアトニックっちゅうのはぶっちゃけてしまえばアルコールなんだわ」「散髪で痛んだ頭皮を多少はアレしようっちゅう意味合いがあるわけ」ということだった。アレっていうのは理容師と医師が同じだった的な話の流れからいくと医療的なことだと思う。しかし散髪屋のおっちゃんと話をするのは面白い。毎回新しい知見が得られる。

 

 ・軽バンで高速道路を走った。運転していてどうにも落ち着かない。雨だったからなおさらだ。普通のクルマだったら地球の重力とエンジンの推進力を身体に感じられる。ところが車体が軽くて重心が高い軽箱だとどの方向にも重力がかかっていない感じがあるのだ。地に足がついていないというかタイヤに路面に食いついてないというか……。どうにも気が落ち着かない。もしかしたら軽飛行機の操縦感覚もこんな感じなのかもしれない、と若干の情趣がある想像をした。

 もしかしたら漫画『カブのイサキ』に出てくる登場人物も飛行機の操縦中、軽箱のそれと似た感覚をおぼえているのかもしれない。そう思った。

 

 ・新幹線の喫煙ルームに別れを告げた。「昔は新幹線でもタバコが吸えたんだよ」的な誰にも求められてない懐古話をするおじさんにならないようにしよう、と今これを書きながら静かに決意をしている。

 

 ・ある朝、起きたらどこからか笛の音が聞こえた。すごく丸い音だったので昔のシンセかと思ったがそうでもないらしい。近所の公園で練習をしている中年女性が音源だった。すごく綺麗な音なので聴いていて快かった、これからも時々ここで音を出してくれると嬉しい、ということを伝えた。女性もまた、胸がいっぱいになったような仕草をして嬉しそうにしていた。練習していたのはフォーレの曲だと教えてくれた。

 

 ・ふいに聴きたくなったのでハッチポッチステーションのオープニングを聴いた。「ハッチポッチファミリー」という曲名だったらしい。そうだったっけか。こんなにかっこよかったのか!という発見があった。そのサウンドは初期のSMAPに通ずるものがあるなと思った。ドラム、ベース、ブラスがすごく良い。打ち込みの音源も楽譜もすごく良い。

 「とってもおしゃれ エチケットじいさん いつでも元気 説教どこでも始めるけど」って歌詞が最悪過ぎて死ぬほど笑った。いつでも元気で説教どこでも始めるのはガチモンの老害だろ。

 

 ・「小岩井 ミルクとココア」、後味がゲロ過ぎる。

 

 ・デイリーヤマザキに入った。なかなか見かけることがない。店内調理らしきパンにもシールが貼られている。店内放送でもパン祭りについてアナウンスされていて、「どの料理にも使える」というような喧伝がなされていた。今年は白いスマートボウルというやつが貰えるらしい、そこで初めて知った。私好みのデザインだ。花びらみたいなフォルムのやつは私好みではない。「ビッグデニッシュドーナツ」を買う。0.5点。

 パン祭りで歯がゆいのが、必要点数集めた後にも微妙にシールがゲット出来てしまうこと。毎回6点ぐらいを捨てている。かといって次の30点を目指すのはいささかハードだし。確か2021年大会から参加しているので今年は4枚目の皿を手にすることになる。しっかし使わないんだよなあ。

 

 ・出先で天下一品に入った。なかなかの当たり店舗だった。うまい。店員さんの愛想もいい。卓上にお酢が置いてある。これは良い天一の特徴でもある。だけれども、麺を食べ終わったあと白米をスープに投じてやった。旅の恥はかき捨てだ。どう思われようと構わない。私はやりたいようにやる。自分の人生の主役は自分だから……

 

 ・印象的なツイート。

 客車が1両だけ。それを機関車1両でひっぱっている列車。

 

 

2024年3月 またしても旅に

 

 またしても旅に出た。

 バスの、ドコンドコンとした人を不快にさせることを目的としているとしか考えられない揺れ。新幹線の、細かく断続的に続くジリジリゴロゴロとした揺れ、それと上下左右へとせわしなく移り変わる重力。

 

 移動している間はどの時も聴きたい曲が浮かばず、またどの曲もしっくり来なかった。そのことに対する妙な不愉快さもあった。脳が疲れていたのだろうか?(おもしろいことに帰宅してシャワーを浴びていると聴きたい曲がスッと浮かんで、再生するとしっくり来もした。)

 スーパーに入った。世界の果てのような一角の町だった。見慣れた商品もあったし見慣れない商品もあった。その場所ならではのお惣菜もあった。20代にも30代にも見える男性店員が黙々とレジ打ちをしていた。毎日毎日テレビから胸焼けするほど流れてくる、流行とか都会のことなんて知らないしどうでもいいというような様子に見えた。彼が休日にどう過ごしているかとか、何を楽しみにして暮らしているのかといったことは想像もつかなかった。ただこの土地に生きて仕事をしているという事実だけが分かった。

 日用品店に入った。何かを買いたくて―—という気持ちは正確に書くならばここで買い物をしたという事実を残したくて――買い物をした。鍋やらヤカンやら栓抜きやらが並べられていた。その店には昭和から平成初期に売り出されたであろう生活雑貨が多く残されていて、宝物の山だと感じられて嬉しくてテンションがあがる一方で胸がしめつけられる感覚もあった。持ち主が現れる日をいつまでも待っている日用品の健気さによって、かもしれない。店内は年月の奔流に流されることの無かった尊い空間のように思えた。買い物は30年は売れ残っていたであろうキャラものの小皿に決めた。バーコードに書かれていた会社はもう現存しないようだった。また捨てられないものが増えた。

 布団の中でG-SHOCKのバックライトを着けては消えさせながら、考えなくてもいいことを考えていた。DW-D5500BBはソーラーじゃないしオートライトが勝手に解除されてしまうこととか。電波ソーラーで普通液晶の5500が出ないかなとか。松本次郎『beautiful place』の登場人物が着けているG-SHOCKのこととか。朝、枕元に置いていたペットボトル飲料が冷蔵庫の奥に仕舞われていたぐらい冷えていた。

 

 

 旅のはじまりはいつもここからJR京都駅。それにしてもなんでこんなインダストリアルな建物なんだろう。和っぽくないという意味では京都らしくないけど、この意味不明さは関西らしいし京都らしい。

2024年2月のつぶやき その2

 

 ・2月は良いことが2つもあった。1つはヨコハマ買い出し紀行の画集の復刻版が届いたこと。ああ、この本はずっと持ってるんだろうな、って思った。

 もう1つはゲーム「フォーエバー・ブルー」の新作が発表されたこと。

www.famitsu.com

 

www.nintendo.com

 長く生き続けてるとたまにこういう良いことがあるなあ。

 

 

 ・ついにパン祭りが始まった。ヤマザキ以外のパンを買って食べるのがなんとなく損な気がしてしまう。ビョーキだよ。で、また春のパン祭り期間中に限ってPascoとかが美味しそうな新製品を投入してくるの。もう揺らぐ揺らぐ、気持ちが。私は「ケーキドーナツ(4個入)」が大好きなのでいつもに増して買ってしまう。そんなことしてたら早死にするだろ、砂糖と油の塊で。人間用固形燃料みたいなもんなんだから。ケキドと同じぐらい大好きな「ひとくちつつみソーセージ6個入」は第一パンなので祭り期間中だけ距離を置くことになる。だからこそ祭り終了後の「ひとくちつつみソーセージ」はひとしお。うまいのなんのって。

 ・ヤマザキの菓子パン一覧。見知った顔のなかに見慣れぬ商品もちらほら。

www.yamazakipan.co.jp

  「アップルパイ」は安定してるよね。「マロン&マロン」も一時期よく食べてた。「大きなハム&たまご」「大きなメンチカツ」なんかは店頭で見てるだけで気分が悪くなってくる。でもたまに無性に食べたくなる。

 ちなみに祭りを効率的に終えたい人は割引シールが貼られた食パン(「ロイヤルブレッド」「ダブルソフト」など)を買っていけばよい。そんな戦略つまらないけどね。映画の倍速再生する若者と一緒だよ。素っ気なさ過ぎ。結果も大切だけど過程だって大切なんだから。あと忘れられがちだけど別にパンじゃなくても点数は得られる。「草まんじゅう」「吹雪まんじゅう」とかにもシールは貼られてる。てか近所にデリヤマあるなら普通におにぎりとかお弁当とか買う方がいい。私みたいにケーキドーナツばっかりいってると絶対よくない。

 

 

 ・Serani Poji「ハッピーエンドをさがして」「スマイリーがやってきた」をよく聴いていた。あと思い出したようにshami momo「町かどタンジェント」、そして中毒のように崎谷健次郎「愛の時差」などなどなど。アルバムだと矢舟テツロー『矢舟テツロー、ベリッシマを歌う』、Tokyo’s Coolest Combo『TOKYO'S COOLEST COMBO IN TOKYO』、ピチカート・ファイヴ『SWEET PIZZICATO FIVE』とか井上睦都美『恋は水色』とかとか。

 ・崎谷健次郎のアルバム『DIFFERENCE』には本当に出会えてよかった。「愛の時差」はよくよく歌詞を聞いてみると結構悲しい歌だったってことを割と最近知った。リズムの良さとかBメロになだれ込んでいくときのワクワク感、サビの合いの手ブラスとかそんなとこばっかり気に入ってて歌詞をちゃんと聞いていなかった。

 ・それがいつっていうのかは上手く書けないんだけど、戸川京子の「動物園の鰐 - Nobody in town」「動物園の鰐 - Back in town」やギャランティーク和恵の「不眠症のパンセ」とかを聴きたくなることがあって。聴きたくなるっていうのも厳密な表現じゃないんだけど。その時の空気にこれらの音楽が流れてて、答え合わせのようにイヤホンから耳に流す動作をとることがある。世界の裏側へつながる穴が出現したのか、今まですっかり忘れていた大変に大切な何かを思い出せそうなのか、ちょっとその理由とか原理とか意味は解らないんだけど。でも自分にとってすごく大事な感覚だという気がしている。しているからこうやって書いておく。

 

 

 ・今月ハマっていた動画。

ポケモン風のBGMを作ろうと思ったらコウメになっちゃいました #コウメ太夫

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ポケモンの世界に閉じ込められてしまったコウメ太夫

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2024年2月のつぶやき その1

 

 ・「縦に伸びたり横に伸びたりしながら子どもは大人になっていく」のと同じように暖かくなったり寒くなったりしながらその一年は春に、やがては盛夏へと育っていくのだなあ。思い入り。

 ・夜ちょっと用事で外に出るみたいなひとときが実はいちばん質が高い時間ではないのだろうか。2月末のある日の夜、決して不愉快ではない生ぬるい空気が量感を持って私を包み込んでくれた。暑くも寒くもなかった、常温の水みたいだった。でも風が流れている分だけゆるやかにつめたかった。

 ・常備ウォッカを切らしたせいかウォッカほどは酔わない軽さが良かったせいか、屋外で酔いたくなることが多かったからか、「宝焼酎のやわらかお茶割り」「宝焼酎の濃いお茶割り」を買い飲みしてばかりいた。ここんとこ常飲していた。普通のペットボトルの緑茶より買ってた。あと缶アルコール飲料だと「ジャックダニエルコカ・コーラ」もしばしば飲んだ。どれも原材料に変なものが入ってないのが良くて、だから美味しんだろうし嫌な酔い方もしないんだろう。

 

 ・中古カメラ屋巡りをした。何店舗か回って合計で多分1500以上のカメラやレンズや周辺機器やコレクターズアイテム的物品を認識した。いくつか手に取った。けれども心がおどる感覚が無く何も買わずに帰ってきた。

 唯一ピンと来たのはキヤノンレンズマウントコンバーターAだった。FDマウントカメラにスクリューマウントレンズを着けるためのキヤノン純正品のアダプターだ。これを買って、Serenar 50mm F1.8や85mm F1.9なんかの、ピカピカ輝く金属レンズをNEW F-1に着けるのは楽しいかもしれないと想像した。でもその楽しい想像は数秒のうちに消え去って、私は財布に触れることすら無かった。カメラオタクだった頃の自分はどこに行ってしまったの!!

 

 ・小旅行に出た。デジイチに40ミリが基本装備なんだけどそこに50ミリマクロを足していった(ほとんど使うことはなかったけど)。40ミリと50ミリマクロの2本という組み合わせが新鮮に思えた。あとサブにRX0。こっちの方がたくさん撮ってた。

 

 ・時々観たくなる映画『ブレードランナー 2049』。物語が良いとは思わないんだけど、小道具とかセットとかがすごく良くて。それ見たさに時々観たくなる。Kの部屋がすごく好きでこういう部屋に住みたいと思う。

 ・齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』講談社を読んだ。医学部を9浪した(させられた)娘が母親を殺した事件についてのノンフィクション。「二〇一三年、あかりは六月に二十七歳の誕生日を迎え、浪人生活はついに九年目に入った。」というようなことがさらっと、淡々と書かれていて考え込まされた。

 

 ・自治体が有償で配布している防災ラジオを手に入れた。前に公共施設で使われているのを見てずっと気にはなっていたアイテムなのだ。電波状態のせいで音質が悪いジャズの放送が流されていたのがすごく良かった。時代に取り残された一角、といった光景だった。自分の部屋に置いて早速コミュニティFMを拾ってみた。選曲に思想の感じられないモダンジャズを筆頭に、ボサノバやらアロハやらワールドミュージックやらが聞き流し前提で流れてくる。良い。すごく良い。

 モノそのものも表示が全部日本語の激ダサデザインで味わいがある。チャンネルもあらかじめプリセットされていて便利と言えば便利。自分でチューニングを合わせることが出来ないのは少々もどかしいけど、まあ、気にしないことにする。どうせ1日の半分以上ただただ音楽を垂れ流す、人の声を聞ける方が珍しいコミュニティFMしかかけないんだろうし。図体がデカいうえに中身がそれなりに詰まっているのか意外と音質は良かった。嬉しい。

 この防災ラジオの存在を知った時、そして手に入れた時に真っ先に思い出したのがオウム真理教のラジオだった。教団が配布していたラジオ受信機も確かオウム真理教の放送しか聴けない仕様だったはずだ。ナチス・ドイツの国民ラジオだってプロパガンダ放送しか受信できないように作られていたと読んだことがある。

 

 ・「何年か経ったら今のこの生活を懐かしく思うんだろうな」とまた思った。それは今の生活に終わりがくることが念頭にあるというか、逗留であって永住でないという命題を頭のどこかに置いているからなんだろう。いつか終わってしまうものだからこそ愛おしく思いたいし丁寧に扱いたい。時間をいたずらに浪費したくない。

 

 ・ある2月29日、京都の町にすごく雪が降ったことがあった。その2月29日が唯一記憶に残っているうるう日だ。何年だったかは定かではないけれど。

 

 

2024年1月のつぶやき

 

 ・私にしては珍しくニュースで心を揺さぶられたのと年末年始の気疲れで1月の1週目は精神の具合が悪かった。

 ・元日に能登半島で大きな地震があった。こんなに悪い始まり方をした年はない。亡くなった人の多さ、被害の大きさにただただ黙りこくることしか出来ない。今、私の大好きな石川県はどうなっているのだろうか。

 

 ・大地震があったのに駅伝をやっていて気楽なものだなあと心底思うが、やめたところで何かが良くなるわけでもないのかもしれない。あんまりこういうこと言うと不謹慎厨だみたいなレッテルを貼られそうだから言わないようにしてるんだけど。でも、じゃ一体何が起こったら駅伝とかマラソンは中止になるんだろう。中国や韓国が攻めてきても無邪気にかけっこやってんのかな。

 

 ・他者を深く知ろうとしなくなっていたことに気付いた。この人はこういう性質なのかな、などと色々考えてみることとか。しなくなっていた。「仮説ならいいけど『こういうタイプだ』と断定してしまうと、そこから不幸が始まるというか、現実と考えが解離していってしまう」、みたいなことも思い直す機会が減った。

 いや、もしかしたら、深く知りたいという人にそもそも出会わなくなっただけなのかもしれない。

 

 ・ポストアポカリプス漫画『ウスズミの果て』を読んだ。ミリタリー要素がちらほら。ヨコ買いよりシビアな世界らしい。

 

 ・MAZDA6日本国内生産販売終了。マツダのフラッグシップはどの車種になるのだろう。それから新品で買える国産ステーションワゴンがまた1車種消えたことになる。

 

 ・「機動戦士ガンダム 水星の魔女~アスティカシア高等専門学園 ラジオ委員会~」放送終了。よく続いたなあ。ほとんど全部の回聴いた気がする。

 

 ・久しぶりに入ったハードオフで美品のYAMAHA SY55を見た。ボタンのクリック感が健在で鍵盤の黄ばみも無くて思わず買いそうになった。

 が、私はすでにTG55を所有していたことを思い出してやめにした。TG55を持っていることはSY55を買わない理由には本当はならないのだが……(むしろSYを買い増す理由にすらなり得る)

 遠い昔――まだYahoo!ジオシティーズがバリバリに生きていた頃――個人のサイトでSY55を「ヤマハのM1だ」と評しているのを読んだ。数年前にTG55を手に入れたときその表現は的を射ていると思ったものだ。それをなぞって今ここで言いたい。TG55はヤマハのM3Rだと。

 しばらく電源を入れていないTG55のことを思い出してきた(もしかしたら電池が死んでいるかもしれない)。音色の並びがぐちゃぐちゃだったこと。確かピアノの次がいきなりパッド系だった。そのパッド系の音がやけに壮大で暗いこと。それはポピュラー音楽よりダークアンビエントに使い勝手がよさそうなサウンドだった。ビット数の問題もあるんだろうけどヤマハにしては線が太くて存在感のある、混ざるよりは立つ音色が多いという印象がある。そのあたりにもコルグを感じるのかもしれない。

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 デモソングが全然楽しくなさそうで笑う。なんかシリアス。最初の4秒ぐらい真・女神転生を感じる。ヤマハのシンセのデモソングって大体パターンが決まってるのに(暴言)、このSY55は例外らしい。最初はピアノかオーケストラのストリングスから始まって、軽快なジャズのズンチャズンチャって小粋なパートがあって、一転ハードロックになったり、それっぽいサンバになったり、近未来的なシンセサウンドにもなったりしちゃったりして、最後にはドラムとSEが絡んで……みたいな感じ。ほとんどの機材がそんな感じ(暴言)。「楽しいパーティ」って感じなのに。

 

 ・ヤマハから新しいガジェット「SEQTRAK」が発売されるという。AWMに加えてなんと4オペのFM音源まで積んでいるらしい。これまで他のメーカーからはこの手の機材がリリースされていたもののヤマハには無かったわけで、大歓迎だ。QY100の後継機はこれでいいんですかね?私は旧式で頑迷な人間なのでパラアウトでないことが引っかかっている。

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 ・年末に閉店したという飲食店の前に自由に持って帰ってくださいコーナーが出現していた。新年早々ラッキーだ。「アサヒビール」の裏面に「三ツ矢サイダー」と彫ってある栓抜きを持ち去る。一般には流通しない飲食店向け業務用のアイテムなのではないかと思われる。今年はこれを持ち歩くことに決めた。

 

 ・最寄りのショッピングモールを歩いているとき、今自分がどのモールにいるのか分からなくなることがあった。その空間認識の混乱が心地よかった。

 

 ・新興宗教のことを調べていた。宗教の信者というのは心に留め置いておく、救いに近づくための一節を持っている人種なんだろう。私にとっての宗教的な色合いを持った一節あるいは指針というのはJAGATARAの「もうがまんできない」の歌詞かもしれない。

ちょっとのひずみなら何とかやれる ちょっとのひずみならば

がまん次第で何とかやれる 日々の暮らしには辛抱が大切だから

心のもちようさ

心のもちようさ 心のもちようさ

心のもちようさ 心のもちようさ

 

 ・1年のうち最も寒いのはいつなんだろう。多分今ごろなんだろうなと思った1月下旬だった。日差しがもう春めいてすらいる瞬間はあったが、太陽の暖かさはまだまだ希少だ。

 

 ・一年の計は元旦にありじゃないけど1月はその年の小さい相似だと思った。これは「結局ファーストアルバムにそのミュージシャンの全てが詰まっている論」と似ているかもしれない。私はこの1月、ミスドにも31にもジョリパにもロイホ行けなかった。2024年丸ごとそうなってしまいそうで怖ろしいのだ。

 

 

 

ここ最近の写真・カメラ話

 

 ・11月に手に入れたコンパクトカメラのこと。試写の結果に問題はなかった。操作できる項目が限りなく少なくていい。フォーカスや露出に関するほとんどの要素がカメラ任せ。人間はカメラをどこかに向けてシャッターボタンを押すだけ。久しぶりのフィルムコンパクトだからか使うのが楽しい。気軽にパチパチ押してしまう。DPEショップへいそいそと持って行きフィルムをおうちでせっせとスキャン。家内制手工業的チマチマ感。

 

 ・久しぶりにEF85mm F1.8だけを着けて散歩した。1992年―今から32年前―に登場したこのレンズはバキバキに解像するわけではないが、かといってゆるすぎることもない。粗が無いわけでは決してないもののその写りは中庸そのものだ。しかしある光線状態においてはっとするようなドラマチックな、克明な描写が出来る。それを再確認させられた。

 

 ・Nikon Zマウントレンズに28-400mmというレンズが新しく発売されるとかされないとかいう噂をみかけた。24-200mmというレンズは既に発売されていて、これさえあれば一生やっていけるじゃんと思っていた。28-400mmにも興味を惹かれる。28ミリ始まりが許せる人はこちらを選べばいい。運動会でも結婚式でもお誕生日会でも、旅行でも日常生活でもこれ一本あればあとは他に何もいらないのではないだろうか。予備バッテリーと予備メモリーカードを無限に買い増やしていくぐらいではないだろうか。それでもお金が余るなら気分転換用のストラップを買ってもいいかもしれない。

 そんな私は24-120mmユーザー。F4通しなのでこれにした。とくに広角の周辺減光が気に障るがそれ以外は完璧と言っていい。デジタル補正を前提とした設計なんだろうなと思う部分もある。でもシャキシャキとよく写るレンズだ。

 24-200mmと悩んだのだが24-200の方は可変する開放F値が35mmの時点でかなり暗くなるのと全然寄れないのでやめにした。24-200は135mmの開放がF6.3で、24-120の120mm開放F4の方が魅力的だったし、200mmまでズーム出来るというのも私にとってはさほど嬉しいポイントではなくて(120mmも200mmもそんなに変わんねえだろという暴説がある)、24-120mmはSレンズらしいから24-120mmの方を選んだ。

 ……と、いうのはほとんど後付けの理由。単純にF4通しだから選んだというのが真実だ。でもこっちにして正解だった。「買った後に買わなかった方が欲しくなる」気持ちも生じていない。