2022年5月のつぶやき

 

 ・陰謀論者どもが打ったら死ぬって言ってたから注射イヤなの我慢してワクチン打ったのに未だに死ぬ気配がない。一言、手をついて謝ってほしい。

 ・ここ2,3か月思うこと。「自殺するのは本格的にうつ病になってからでも遅くない。」

 

 ・6割の力しか出さないように!と心がけて暮らすことを心がけることを心がけている。意識して手を抜くと、手を抜いていいところとそうじゃないところが見えてくる。

 ・淡々とやってくる日常とか生活とか時間とかを味方につけることが出来るかどうか、に人生の成否がかかってくるのではないかとふと思った。それは洗濯物を干したり、まな板の上でホウレン草を切ったり、腕時計を着けたり、スマホを充電したりすること。私にとって生活は敵だ。きっと向こうにとっても同じなのではないだろうか。

 ・「飽きる」が脳や心にのみ存在する現象でよかった。もし視神経がうんざりすることを知っていたら、この土地の風景や縦長い画面の中のタイムラインはとっくに、薄暗くなったり白くぼやけたりしていたはずだ。

 

 ・やはり自分は「文字の人」なのだと思う。書くために書いている。キーボードをピチピチ打つことは、ずっとやめないでいたい。

 

 ・手首なんか多くてせいぜい2本なのにG-SHOCKを増やそうとしている。曜日によって違うものを付けるために7本までは許そうかな、とか、「休日用」「銭湯用」と2本増やそうかなとか、バカバカしい思考ばかりが脳の表面を滑っている。休日に着けるG-SHOCKはカラフルな方がいい。赤とか黄色とか、アッケラカンとしたカラーがいい。電波ソーラーはなくていい。

 

 ・プリンタに互換インクを入れた。純正インクを入れない場合、カートリッジ残量表示のグラフが(シアンとかマゼンタとかの)インクの色ではなくグレーになることを知った。闇のバトルチップやん、とロックマンエグゼ4のダークチップを思い出して、そんな下らないことを思い出す自分のことが少し厭になった。

 

 ・業務用タオルの問屋を覗いたら、「草津温泉 料亭旅館 つつじ亭」と書かれたフェイスタオルが安価で売られていた。2ダース衝動買いしてしまう。家にいながらにしてかすかに旅行気分を味わえる。検品で弾かれた個体をまとめ売りしているらしい。よーく観察するとわずかにほつれているものもあったが、まず気にならないレベルだった。大満足。

 

 ・Wikipedia記事「マンデラ効果」*1の一覧に「007 ムーンレイカーのドリーが実際の映像にはない歯列矯正具を付けていた記憶」とあった。嘘だ嘘だ。矯正具付けてたって。これ事実と異なるの??マンデラ驚き度が高かった。今まで真実だと信じ切っていたことが実はそうじゃないという体験はなかなか出来ない。お前は本当は人間じゃなくてレプリカントなんだよ、と聞かされたら少なくともこれぐらいは驚くんだろうな。

 

 ・ブッツァーティの『タタール人の砂漠』を読んだ。心に刺さった。でもその一方で自分が初めから人生を諦めている分抵抗なく、物語の流れを納得しながら読み進めることが出来た。原文がそういう雰囲気なのか訳がそうなってるのか分からないけど、時おり演劇めいた文調になることがあって、その臨場感が良かった。内容のヘヴィさと裏腹に読む者を奮い立たせてくれるように思えた。

 「その間にも時は流れて、その音もない鼓動がいっそう性急に人生を刻んでゆく、一瞬立ち止まり、ちらりと後ろを振り返る余裕すらない。「止まれ、止まれ」と叫んでみたところで、もちろん無益なことだ。すべてが過ぎ去ってゆく、人も、季節も、雲も。石にしがみつき、大きな岩の先端にかじりついて抗おうとしても無駄だ、指先きは力尽きて開き、腕はぐったりと萎え、またもや流れに押し流される。そして、その流れは緩やかに見えても、決して止まることを知らないのだ。」

 「こうしてドローゴはまたもや砦へと谷道をのぼって行く、少なくともまだ十五年はそこで暮らさなければならないのだ。だが彼は自分があまり変わったとは思っていない、時があまりにも速く過ぎ去ったので、心が老いる間がなかったのだった。過ぎゆく時に対する漠とした不安が日々につのるとはいえ、ドローゴは大事なことはこれから始まるのだと幻想になおもしがみついているのだった。ジョヴァンニはいまだ訪れない自分にとっての運命の時を辛抱強く待ちつづけて、未来がもうひどく短いものになっていることには思い至らない、もう以前のように将来の時間が無限にあり、いくら浪費しても心配ないほど無尽蔵だと思うことはできないのに。」

 「ドローゴは片手で馬の首を叩くと、馬は優しく頭を後ろに向けたが、もちろん彼の気持ちなど分かるはずもなかった。ドローゴは胸にこみあげるものを感じた、遠い日の夢よ、さらば、人生のすばらしいものよ、さらば。陽の光は澄みわたって、人を優しく包み込み、爽やかな風が谷を吹き抜け、草はかぐわしく、小鳥のさえずりがせせらぐの音に伴奏をしていた。人々にはさぞ楽しい日和だろう、とドローゴは思った、そして自分の若いころのすてきだった朝とうわべは少しも違っていないのに驚いた。」

 「ページがめくられ、年月が過ぎて行く。ドローゴの学校友だちは、もうほとんどみんな、働くのに飽き、白髪まじりの髭を四角く整え、うやうやしく挨拶をされながら、鷹揚に町を歩いて行く。彼らの息子たちももう一人前だし、なかには孫のいる物さえある。ドローゴの昔の友だちたちは、おのれの力で建てた家の戸口にたたずみ、おのれの成功に満足して、今では人生と言う川の流れるさまをじっと眺めて楽しんでいる、そしてその雑踏の渦の中に自分の息子たちの姿を認めては喜んで、早く行け、他人を追い抜いて、誰より先きにたどり着け、とせきたてる。一方、ジョヴァンニ・ドローゴは、希望が刻一刻と消えてゆこうとするのに、それでもまだじっと待っているのだ。」(ブッツァーティタタール人の砂漠』脇功訳)

 

 ・中川家の公式youtubeチャンネルはかかさずチェックしている。「時代警察」というシリーズも面白い。このコントはお兄ちゃんの第一声が面白くて何度も観てしまう。

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