自分で自分の機嫌をとること

 

 自分で自分の機嫌を取らなきゃいけない。これがひとりで生きてゆく者に課せられた不文律。自分の機嫌は自分でとるしかないのだと日々日々感じる。あやしてくれる人がいるのは実はとても幸せなことだ。恋人とかパートナーが持つ意味合いのうち大きなもののひとつに宥めたり賺したりしてくれる役割、というものがあるんじゃなかろうか。内的外的様々な理由で損ねられた機嫌や損なわれた気分をとなしてくれる他者。お互いにとりなし合う関係。これがあるとないのとでは人生の快適さがかなり変わってくるのだと思う。でも。

 でも僕は他者とずっと一緒にいるのは無理。誰かと住むことに耐えられないみたい。同居相手は当人の考えに基づいて動いているわけだけど、好き勝手きままにうろうろされるといらいらしてくる。でもだからって言う通りに動いて欲しいと言うつもりも勿論ない。そこまで無理して同じ空間で生活することはない。だいたい僕によって疲れる人が増えてはいけない、僕に疲れさせられるのは僕だけで充分だ。そういうわけでパートナーとの距離感は、隣同士の部屋を借りる、ぐらいがしっくりくるように感じる。あとよく言うけどほかの人は母屋に住んで自分は離れに住むのも大変に心地よいだろう。離れでも土蔵でもいいんだけど。セルフ私宅監置。起きて半畳寝て一畳。天下取っても二合半。三四がなくて人間五十年というところだろう。