やめなくては

 

 いい加減にしろ!もうスマホはダメだ。こんなものがあるからいけない。使うつもりが使われている、使わされている。使わさせられさせられさせられている。アルコールやタバコと違ってランニングコストが極めて低くて怖ろしい。臭いもしないし。このスマホ浸透の現況は何らかの集団によって行われた愚民化計画の一環に違いない。人々はテクノロジーの奴隷にされているのだ。僕もその一人である。

 自制心の無さを見ないふりして陰謀説にすがってしまった。ダメなのはスマホでもTwitterでもなく弱い心なのに。僕がこれまでにTwitterYouTubeにかけた熱量と時間を世間で評価される方向に向けていたら、今頃は厚生労働省の大臣とかトップアスリート(種目はバイアスロンだ)とかになっていただろう。全く惜しいことをした。

 

 人間はとんでもないものを生み出してしまった。インターネットだ。スマホTwitterSNS)だ。これらは人類を自壊させるに充分なパワーを持っている。流言飛語、悪意や怒りを拡散するツールだ。そもそも怒りというものはエネルギーを持っていて、そして負の感情をもたらす情報は目を引くから広めやすいし広まりやすい。第三次世界大戦は語訳とかデマとか些細な勘違いから始まるのだろう、そんな気さえする。

 

 SNSはそれそのものが病んでいる。そもそも歪な構造をとっている。指先でちょちょっとフリック入力するだけで会ったことのない人を不愉快に出来てしまうのだ。ゲームのコントローラーで爆撃ドローンを操作してボタンひとつで殺せるみたいに。FF外からの予期せぬ攻撃や雑言は、心を確実に損傷させるものの一発で人を殺すことはしない。殺されたことに気付く間も与えない爆弾の方がまだ優しいかもしれない。

 自らのスワイプによっても自尊心は損なわれる。人間が社会的な動物として備えている、一種の自衛手段であり致命的な欠陥である「比較」。ある社会ある集団の中で自分が今どのあたりにいるかをざっくりと知るこの認知機能に、Twitter(など各種SNS)はバグをもたらす。インターネットは、人間が自分と比べる対象(他者)を数十倍に増加させたはずだ。

 自分より容姿に優れていて綺麗な恋人がいて、良い大学を出ていて稼ぎが多くて、良いクルマに乗っていて広い家に住んでいて……と自分の上位互換みたいな奴は世間にいくらでもいることに気付かさ(れたように錯覚させら)れる。自分の頭が作り出した体温のない仮想敵に心の柔らかいところを突かれる。体験しなくていい(するだけ無駄な)苦悩・挫折だと思う。

 

 「いまインターネットで話題」のトピックは昨日と今日でもう違う。昨日今日どころか例えばTwitterにいれば1時間後にはもう、今さっきRTしたツイートのことを忘れている。日本中世界中に記者と読者がいる巨大な通信社に出入りしているようなもので、給料など一円も出ないのに一日中かじりついている。この流行り廃りのサイクルはどんどん加速しているように感じられるのだ。

 発信者と視聴者、拡散者は秒ごとに入れ替わり、さっきまで内輪でワイワイやっていたはずが気付けば炎上のさなかにいてもおかしくない。(おかしくない、は言い過ぎかもしれない。燃えそうな言動は普通に慎めるので充分に防ぐことは出来るからだ。しかし近所から延焼する可能性、誤認に因る攻撃を受ける可能性はあってそれらは防ぎようがない)。

 「水を得た魚」の同義語として「大義名分を得た人間」というのを考えたんだけど、どうでしょうか。流行語大賞は厳しいですか。正義の側に立ったら勝ち馬で勢いづく人がひしめいている。着火すれば実名から住所からどんどん暴かれる。匿名性の皮を剥かれ裸にされてしまう(一方で、そもそも実名で言えないことは匿名でも言うなとも思うけど)。一度ターゲットにされると、物凄い数のユーザーの生活や社会や自分に対する不満の、とりあえずの八つ当たりしどころとしてサンドバックにされてしまう。

 炎上の範囲は焼き畑農業のようにどんどん移動していく。新しく情報が出なくなった事件、事象にじっと向き合うことを人はしなくなったのではないか。目新しくてセンセーショナルな出来事は毎日毎日起こるのだから。

 

 一人の人間が処理できる情報の量には限りがある。処理というのはここでは選別して貯蔵することを意味する。貯蔵というのは置いといていつでも使えるようにしとくことだ。系統だてることやカテゴライズすること。それらが整理されているということ。これが難しく、情報の多くは「死蔵」されている。ばーっと入り続ける情報が自分にとって有益かどうかの判断はすぐに出来るがそれをどう使うかというところまで中々及ばない。次から次からどんどん入ってくるからだ。そして内容どころか貯えたということさえ忘れてゆく。

 Twitterだと、いいね欄は重要度ではなく(自分がいいねした)時系列によってならぶ(ある時から絶対的な日時順ではなくなった)。「有益」なツイートが次から次に積もるのだから当然埋もれる。スクリーンショットをとり画像データとしてフォルダに貯めたり、いっそのことプリントアウトして紙をファイリングしてやろうかと思うことがある。A4のファイルに「可愛いネコ」「行ってみたいお店」「レシピ」などと手で書くのだ。これはちょっとアナクロで極端だけど。でもそうすれば死蔵ではなく貯蔵と言えるし、情報は正しく処理されていると言えるだろう。

 

 知らなくてもいい情報がものすごく多い。ものすごく入ってくる。テレビの全国ネットと同じ病態を持っている。近畿四国九州にいるのに東京表参道に新しく出来たパンケーキ屋さんのことを知れる状態に似ている。そんなこと知ってどうするのだ。我々は今住んでいるところで生活をやっていかなくてはいけないわけで。遠く離れたコンビニで店員がバカなことをしていようがネコがどっかに挟まってようがどこかの電車の中でヤバい人が叫んでいようが、生活にはほとんど関係のないことだ。

 腹を立てなくていいことで腹を立て(させられ)ている。ドラレコとか喧嘩とか揉め事の動画なんかは見ないことにしている。不必要に心が波立つから。自らの心のざわざわに鈍感な人は知らず知らずのうちに消耗している。「なんだこれムカつくな、やっぱりプリウスにはバカしか乗ってないな」とか言って。自分が公道で怒るならまだしも、会ったこともないユーザーが当てられた動画を見ていら立ったり悲しんだりする必要がどこにある?そこにつけられた同意や異論反論にまた気持ちを逆撫でされたり、それに対してコメントをしたら、またそれを誰かが見て……

 

 タイムラインで得られる知見というのはとても乱暴に言い切ってしまえばあくまで実体験の代用品でしかない。空疎な知をもたらすものでしかない。匂いを嗅いだだけで食べた気になっているような、いやそれよりももっとむなしい状態だ。

 

 ダメだ!スマホなんか叩き割れ!お風呂に沈めて壊せ!……それが出来たら今こんな苦しんでません!!