今年のこと

 

 12月になると世間が慌ただしくなってきて、どうも1年を振り返る気にさせられちゃう。外的な圧力とか世間の雰囲気によって心向きが移ろわされるのってなんとなく腹立たしい。今が何月何日だなんて人間が勝手に決めたことなんだよ。あまのじゃくが頭をもたげてケの日にハレしたりハレの日をケとして過ごしたくなっちゃう。大切なのはその日が社会にとってどうかというより自分にとってどうかなのにね。日本人にとってはなんてことない2月頃を旧正月として祝う国さえあるわけだし。その一年を振り返るのは686日に一度だけだという星だって多分あるだろう。自分にとってハレがちゃんとハレならそれでいいと思うんだよね。

 さて振り返ってみれば今年2018年は一区切りの年、変革の年だった。何年か続いた習慣が終わったり新しい何かが動き始めたりした。多くのモノ(物品)を捨てた。「生前形見分け」と称して持ち物を周りの人間に譲ることもした。もし何も譲られてないという人がいたら連絡してください。してこないでください。

 「今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。笑ってはいけない。笑うのは昔の生活を懐かしんでいるからだ」と自分に言うことが時々あった。これはポル・ポトの言葉だ。彼のやったことを肯定するつもりはないけれど、僕が僕に言うにはぴったりだと感じた。

 ずっと生きているとどうしても積もってくるものがある。モノ(物品)もたまってくる。そうなると動きがにぶる。フットワークが悪くなる。それは避けたい。いつ死んでも思い残しがないように生きたい。僕はもともと「たばりグセ」がある人間で、好きなものも最後に食べる子どもだった。「たばる」って方言だな。「(大切に)とっておく」「とっとく」ということです。何となくもったいなくて使えない何かって誰にでもあると思うけど、僕はそれが多い気がする。

 今いる土地を離れられない。ずっといる。結界が張られているからなんだけど、ときどき気持ちが塞ぐ。けどそんなしがらみもどうでもいいや、スイって全然知らないところで生活を始めるぐらいの軽快さをもってやっていきたい来年は。

 

 戌年も終わりだね。

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