これまでのこととこれからのこと

 

 若い女の子ってすごくけんけんしてるでしょう、男もそうだけど。自分もいつ頃か前まで、ずっとけんけんしてた気がする。世の中の全てを24時間呪っていたような。昔のことだからうまく思い出せないんだけど。でもなんだか今は角が取れて丸くなってしまって。大人になったね。愛想笑いとか上手くなったもの。「困ったように笑う」はもう特技の欄に書けるレベルだよ。たはは……。

 けど、「いよいよ丸く……すっかり大人に……」って感じではなくて、けんけんとギラギラはまだまだ燃えていると思うし、そう思えることがとても嬉しい。青さみたいなものを大切にしていたくもある。多分若さって失ってからでは取り戻すのは既に遅い。理想を言えば大人でもあって子供でもあり、大人でもないし子供でもない状態でありたい。もっと言えば、第三の性じゃないけど、男でも女でもありたくない。男である前に僕でありたい。誰しもがそうある方が美しいと思うんだけど。主語が大きい人を最近よく見るけど生きづらくないのかな。まあいいや他者(ひと)のことは。

 人生がすっかりスポイルされてしまったように思える時があるけど、今に限って言えばまだ取り返しがつく感触がある。希望的な日差しが当たっている心の部位がある。この個体はまだ自分でも知らない可能性を秘めていると感じる。人間というものは、たかが二十数年で全容を見渡しきれるほど浅い生き物ではない。まあ僕は人間ではないんだけど。

 交友関係は広い方だと思ってるけど、自分と同じ星に生まれた人を見たことがほとんどない。新しい人間と知り合って、この人はそうかも、と期待して、それが外れることの繰り返しだ。同じ星から来た人探しに疲弊して人間を遠ざけたい気持ちになっている。そういう時はもう1人の自分が「人は人の中に田んぼは田んぼの中に!」と言うんだけれど、自分はえーやだなーって返答している。もうずっと川底で砂金が見つけられずに、いい加減に腰が痛いような感じだよ。

 こういうブログって現実の生活と離れた文章を書いた方がおもしろいって。ツイッターやブログに本心を書くことが当たり前になってしまってる人ってもう多数派だろうけど、それはひどく不自然に感じる。だから、インターネットに本音を散らしたことはほとんどない(誰かに向けては勿論あるという意味で「ほとんど」)。誰が見ているかも分からない、誰にどう受け取られるかも分からない危険なところに本音をこぼせる人というのは物凄い向こう見ずか考えが及ばない人じゃないのかな、なんにせよ僕とは遠いところに立っている。自分をないがしろにする行為だし、ある意味で自傷行為だよ。本当に大切なことって言いたい人に会って、直接言うべきなんだよね。まず空気が震えないと心も震えないんじゃないか。お、いま結構いいこと言っちゃったんじゃないの。

 これからは取れたらしい角(かど)の代わりに角(つの)を生やしていくつもり。自分の異質性を武器にしていく年度だよ。

 

 この写真自分でもすごく気に入ってる。思い入れがあるわけじゃないんだけど、不思議とひかれる。よかったらじっと見つめてみて。

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