食欲と嫌悪感のこととか

 

 おうち焼肉なんだけどね。焼く前に漬け込んでおいて、食べる前にはわさびをつけるだけ。というスタイルに落ち着いた。今のところの最適解。漬け込みダレはみりん砂糖にんにく胡麻油醤油。気分によってすりゴマや一味やらコチュジャンを適当に加える。

 下の写真は内臓系を中心に、加えてハラミ(だったかな)を漬け込んだところ。どうでしょう。美味しそうって思う?美味しかったよ。焼く前に冷蔵庫から出しといて、ある程度室温に戻すと良いんだよ。

 

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 でもなんか……グロテスクよね。ボウルに入ってて、真っ白な所に置かれてるからってのもあるんだけど。 *1

 美味しそうと思うか、ギョッとするかの違いってどの辺にあるんだろうね。上の写真はギョッとさせる盛り方撮り方なんだけど。

 同じ調理前の写真でも、例えば綺麗にサシが入ったステーキ肉の写真だったら、ほとんどの人が食べたいと感じるはずよね。内臓系だから嫌悪感というか不快感が生起されるのかな。食欲と嫌悪の間をつくとしたらホルモンって中々いいセンいってると思う。どう感じるか、人によってはっきり分かれそうって意味で。

 

 水族館でマグロとかアジ泳いでるの見て美味しそうって思う人って結構いる。その人は牧場で牛見たら焼肉とか食べたくなるのかな。競馬場行ったら馬刺し食べたくなるのかな。犬食べる国の人は犬見るとお腹空く、みたいな話読んだことある。芋虫が貴重なタンパク源だって人達は芋虫見ると多分、ちょっとおやつにつまむか、ってなるはずじゃん。アザラシだってエスキモーの人にとってはご飯だし。

 自分もジビエの魅力に憑りつかれてしまったらシカ見てお腹鳴るのかな。向こうでは普通に食べるセミを、日本で食べたがる中国人をテレビで見たことある。ぞっとしたね。まあでも私はヒグラシ以外のセミ嫌いなんで絶滅するまで食べてくれるとすごーく助かります。

 

 人間の中身が出ちゃったりしてるグロ画像ってなんで生理的な嫌悪感を呼び起こすんだろうね。自分だって同じものが詰まってるのに。いや、だからこそ不愉快なのかな。

 強制収容所で遺体を焼却する行為はヨーロッパでは土葬が一般的だから一層残酷に感じられたと読んで、なるほど、と思いました。日本では普通火葬だし亡骸を燃やすこと自体にはあんまり抵抗とか、人権の蹂躙だって感覚ないけど。あくまで燃やすこと自体にはね。

 

 寿司食べたい!!!って思うときに頭に浮かんでるのは、もう完成された「寿司」。出来上がって、あとはもう食べるだけの状態にある「寿司」。田んぼとかコンバインとか、海原の波間とか背びれとかは完全に頭に無くて、そんなことは一切考えてなくて、ただただ「寿司」という概念に直接アクセスしているインプレッションがある。そこに至るまでに関わった人間の数や労力の総和は(その一貫へと結実しているにも関わらず)、完全に思考の蚊帳の外。ただただ、手なり箸なりを操作して、寿司を掴み、口に運ぶだけの肉の塊として機能するわけです。

 私は泳いでる魚を見ても食欲は湧かないが、「寿司」という二字熟語を見るだけで、鼻の奥にお酢の香りが感じられるような幻嗅覚が起こり、なんだかいてもたってもいられなくなる。日本語が読めて意味が分かってしまうが故の弱点。

*1:例えば「愛犬の手術が終わりました。かなり悪い腫瘍だったようです」みたいなキャプションが付いてたらオエーってなると思うんだよね。写真のあやうさ(言葉の強さ)を改めて認識した。