炭水化物ジャンキー

 

 こないだ入った『天下一品』にはラーメンと天津飯のセットがあった。ラーメンのこってりとしたスープを絡めたネギやメンマを「おかず」に天津飯の白米を食べたとき、幸せがやってきた。炭水化物に炭水化物は身体に悪いと分かっていてもやめられない。アルコールよりよっぽど依存性がある。白米とのマッチングを前提としたかのような家系ラーメンなど、もうどうしようもない。目に見えた罠だ。最初は麺の味方のような顔をする海苔やホウレン草も、白米の前には屈服せざるを得ない。

 関東、東日本、東北のしょっぱい味付けが妙に恋しくなるときがある。しょっぱいお漬物や魚料理の味付けに私は、素朴ながらも力強い文化や、土着の匂いや、たけだけしさを感じる。東北地方の人は塩分の取りすぎもあって平均寿命が短いと読んだことがあるが、しょっぱいお漬物でたくさんの白米を食べてそれでおじいちゃんになる前に死ねるだなんて理想の人生ど真ん中だと思う。

 それから、次に名古屋に行った時は味噌煮込みうどんに白米をつけてみるつもりだ。お好み焼きでご飯は食べられないのと同じぐらい、うどんでご飯は食べられない私にとってこれは冒険である。うどんはうどんで完成されているので、いなり寿司や炊き込みごはんを付ける気にはどうもなれない。いなり寿司はきつねうどんのきつね部分と、炊き込みごはんは出汁の部分がうどんと当たってるように思われてどうも受け入れがたい。ドとド#がぶつかるような違和感。

 

 私の敬愛する中島らもは「うどんでご飯を食べるのは昔ながらの浪花の丁稚どんや書生やらの食べ方で、根底には『天丼と素うどん食べたら高いけど、中身は天ぷらうどんとご飯食べるのといっしょやないか』みたいな合理主義がある。」と書いている。

 同じ項からもう少し引用する。「(略)、若かった僕らの常食は『焼きソバ・ライス』だった。(略)、神戸の中国人経営のメシ屋の焼きソバは具がたっぷりのアンかけ風『広東焼きソバ』だったので、これはいわば『八宝菜のややゴッツイやつ』を相手にご飯を食べてる感じで、いかにも育ち盛りの僕らの血となり肉となる感じだった。」私はこの文章が大好きだ。

 

 文中の天一とは別の店舗でもオーダーした。やっぱり店によって味が違う。

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