2023年6月のつぶやき

 

 ・古着をオキシ漬けした。これまで洗濯では落ちていなかった臭いが消えて嬉しい。

 ・コーン茶割り、というのを飲んだ。美味しかった。お茶のあまみってなんとも言えないよさがある。

 

 ・映画『誰も知らない』を観た。投げっぱなしの結末にびっくり。この映画の評価の高さは、展開に対してではなくて描写に対してなのではないだろうか。

 ・Netflixが『アメリカン・スナイパー』を6月末で配信終了すると告げてきた。音楽にしてもそうだけど、サブスクが提供するのは期間限定の視聴権なのだなと再確認。そのあやうさにもたれかかりすぎてはいけない。

 だから私は意識的に(特に音楽の)ディスクを買い続けたい。

 ・「『○○(あるバンドのアルバム)』サブスク解禁されないかな」という誰か他人のツイートが引っかかった。じゃあ今はどうやって聴いているのだろう。youtube?CD持ってたらサブスクで聴く必要ないしな。今現在youtubeでタダで聞いてる状態を、あまりにも当たり前のものとして受け入れている姿勢は褒められたものではない。

 

 ・ある他者との距離が近づいて関係が深まったもののそれは一過性だった。ということは珍しくないことなんだけど、いやそれどころか人間関係とは基本的に一時的なものだと冷静に思うんだけど、残念でかなしいことには変わりない。

 ・人と人を繋いだり交感させたりするのは「縁(条件)」。離れてもまた条件が巡ってくるのかもしれない。数百年後の後生においてかもしれない。し、もしかしたら明日道でばったりかもしれない。「条件」に身をゆだねること。起こるべくして起こったのだと思うこと。因果律に縛られないこと。

 

 ・G-SHOCK DW-6600PC-5JFの実物を見に行った。思ったよりその色味はこってりとしていて、期待していた砂漠仕様の雰囲気はなかった。安物のカフェオレ。チュッパチャップスのプリン味。あるいはハードオフとかでたまに見る、黄ばみまくって猛者みたいになったファミコンに近かった。「1970~80年代のプロダクトから着想を得たセピアカラーをベースに、当時をイメージした液晶の色味など、レトロな懐かしい雰囲気のデザインに仕上げました。」*1 と説明があるが、ほんとにそういう、中途半端に古ぼけた色合いだった。見事だった。個人的にはもう少し薄い色だったら嬉しかった。半年ぐらい屋外に放置すれば褪せたりするかな。実際に見て、ディスプレイの緑色がすごくよかった。初期のガラケーみたいな鮮やかなグリーンだった。

 

 ・Vガンダムの音楽を本当に日常的に聴いている。もはやそれはマイブームではなくなった。決意とか、悲劇的な運命とか、そういうシーンをヒロイックに演出する音楽だと感じる。よるべなさ、どうしようもないやるせなさのなかで生きていく”しかない”者たちのバックグラウンドミュージックとしてこれ以上の作品があろうか。抗いようのない定めと重圧のなかで醜くもがく人間たちに向けられた、一輪の美しい手向け花、それが機動戦士Vガンダムサウンドトラックだ。

 

 ・ふと自分のお墓はどこにしようと想像した。いや別に、焼いた後はその辺に撒いてくれればいいんだけども。けど「お墓をどこにしよう」という妄想は自分の死後の面倒を見てくれる人がいることを前提として進められるもので、それ(死語の面倒を見てもらえる)って幸せな環境だよなと思った。因みにお寺の候補はここか、あそこか、あそこだなと3つにしぼれた。予算と人員が潤沢にあれば頭、胸、足、みたいにバラで納骨してもらっても楽しいかもしれない。

 

 

 ・来月の目標。

 ◆ロシア(含む近隣諸国)料理を食べる。セリョートカ食べたい。ニシンの酢漬け。はじめて食べたときあまりにも「和」を感じて京料理かと思った一品。

 ◆何か本を一冊買う。欲しい本リストの中からなにか注文する。キッカケがないまま何年も何か月も買わないままでいるものが—―本に限らずだけど—―多すぎる。キッカケを待っていてはいけない。今日大安やん!とか言ったりして自分でキッカケをつくって動きをつけたい。

 ◆スマホを触る時間を減らす。何も生まないので。

 

 ・「二月二十三日(木) 仕事一向に進まず、そろそろ焦りが生じてくる。夜、流れを変える為に買淫。帰路、喜多方ラーメン大盛り。明け方まで寝室で腹這いつつの作業。のち、飲酒。缶ビール一本、ワンカップ大関三本。手製の目玉焼き三つとパック詰めのもつ煮込み。最後に、袋入りのマルちゃんカレーうどんをすすって寝る。」

 「三月二十二日(木) 午後二時起床。また入浴してからサウナへ。帰宅後、深更三時半まで短篇。ノート十一頁。オリジンで購めた唐揚げと肉ダンゴ、それと、のり鮭弁当で缶ビール一本、宝一本。久しぶりに飲酒が楽しい。」(西村賢太『一私小説書きの日乗』より)

 

 ・「遺品整理の現場でまず重要なのは、遺族の気持ちに寄り添うこと。そして遺品を大切に扱うのはもちろんのことだが、故人がどこかにしまった貴重品―通帳や不動産売買契約書など―を、大量の処分品のなかから探し出して遺族の手に渡すことも重要な仕事だ。これができなければ、真の遺品整理人とは言えない。ただまとめて処分するだけなら誰にでもできる。」(小島美羽『時が止まった部屋 遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』原書房