日記 2022年6月20某日 味覚障害

 

 味が分からなくなっていた。二度目だ。夕食のカップ焼きそばの味がやけに薄く、ソースの量を間違えたのかと感じた。昼のコンビニ弁当の味は分かっていたはずなので、それからどこかのタイミングで味覚と嗅覚が長めの休憩に入ってしまったのだろう。味覚障害はクセづくと読んだのを思い出してあまり良い気がしなかった。私は舌と胃(あと耳)のみが生きることを奨励しているような存在であり、つまり生への欲求は食べることのみによって後押しされているような状態で、そんな生物が食事を楽しめなくなると灰色の人生の灰色が更に数段暗く黒くなってしまうことは間違いなかった。

 味と匂いが分かりにくいのは何とも奇妙な体験だ。食べ物の食感しか分からないのだ。それが塩っぽいとか甘いとかそういう大まかな方向性だけは刺激として分かった。風味ではなく味のみが分かるような状態だった。タンパク質を合成して作った偽物の肉を食べたら、もしかしたらこんな感じなのかもしれないと夢想した。

 

 逗留先の近くにバーがあるのでウイスキーでもすすりに行くか、と思い立って、その一拍後に気付いた。今味分からんのやんって。

 

 (その次の日か次の次の日、亜鉛とヘム鉄の錠剤を買って飲んだ。しばらくすると枕元に置いたルームフレグランスの香りが急に感じられた。まるで今置かれたようだった。嗅覚スイッチが「切」から「微弱」へと、ぱちんと切り替わったようで不思議な体験だった。)