ちゃんとするところはちゃんと

 

 ちゃんとするところはちゃんとしようよ!!!

 別に人は人だしみんな思い思い好き勝手気ままに生きたらいいとは思うんだけど。それでもあんまり僕の機嫌を損ねるようなことはしないでほしい。直すのはこっちなんだから。でも相手もヤイヤイ言われるのも嫌だろうからそういう人とは距離とる。これがいい。

 どっちが偉くてどっちが偉くないじゃなくて価値観の違いだねこれは。何が大切で何がどうでもいいかの組み合わせ、ちゃんとしたいところが違うのだと。だから誰も悪くない。誰も悪くない。……いや、でも、「生まれついてのあさましさ」みたいなモノは存在するでしょ。と思ってしまう自分が時々所々にいます正直に言えば。自己嫌悪。

 僕は自分がそれまで思ってたよりはあさましさレベルがどうやら低いみたいで(加齢と共にどうしようもない奴に遭遇することが増えた)。思ってたよりは割りときちんと育ってきたらしい。ちゃらんぽらんな人は何なの一体。言って変わるわけでもないし変える気もないけど。やっぱりどうも相容れない。ちゃんとしてたりこだわってるポイントが見当たらない人もいて。ほんとになんなの一体。

 その人の為になるなら嫌われてもいいと考えている。のでこうした方が(その人にとって)いいと思ったことは言いたい。「その人がその人にとって良い方向に進む」と「自分がその人から嫌われる」を僕の天秤に掛けると前者の方へ傾く。

 でもお節介や押しつけって鬱陶しいじゃん。それに20歳越えたらもう自分の選択で自分が出来ていくわけじゃん。(ちゃらんぽらんな人であっても)他者の気分を害したくないし言わないのもひとつだなって。もう合わないんだって置いとこうと。年取って人とバチバチやりあって消耗する、気力体力のマージンがなくなったのかもしれない。

 そもそもどうでもいい人とは喧嘩しないでしょ。喧嘩するのってエネルギー使うし。関係を発展させそうだったり、その人が好きだからそれ違うんじゃないのとか言って押す。好きな人とは良い喧嘩をしたい。そして良い喧嘩が出来る、出来そうな人を自分は好きになるようだ。

 

 ちゃんとしたい人間だからといってちゃんと出来るわけではない。そこのところはよく思い違われている。でもそれは違うんだよってこれからも何度でも訂正したい。完璧主義者ってなんとなく字面は美しい感じがしないでもないけど、人間として抱えてはいけない致命的な欠陥を持った人。柿が牡蠣になりたがるようなもんだから。存在してはいけないところに生まれた、起こるべきではない資質だから。

 人生の終わりさえ/ぐらいはきっちり綺麗にしたい。誕生日に死んだらきっちり何年だなとか。きっちりしたいじゃん。すべてが良くなくても終わりぐらいは良くすること出来るし、大体のことは。