娯楽シフト

 

 子どもだった頃、お金はなかったけど時間の方は今思えば莫大にあった。基本的にこれは大人になると逆転する。お金はある(ないことはない)けど時間がない、というように。すると娯楽は創意工夫から消費にシフトする。周りの同年代達がその移行を完了していく様を目の当たりにすることで、僕はその変化に気付いた。悪いことだとは全く思わない。映画に行く、ライブやコンサートに行く。自由に使える金額は多い方がいい。楽しみの幅は広がって、そこにつながる選択肢も増える。

 だが消費文化的、受動的になったのではないかという指摘には首を横に振れないはずだ。最早お金を使わずキャッキャすることは不可能になってしまったのではないか、そこに一抹の寂しさを感じるのである。お金と、それからアルコールなしに。一生お箸が転がっても笑える人間でいたい、いたかった、いたい、いたかった……今、成人したあなたはお箸が転がっただけで笑えますかシラフで。そんなの無理でしょう、何らかの化学物質が体に入ってないと。

 楽しいことを考え続けていないと脳味噌の楽しい担当区域が萎びてくる。多くの人は頭の上にモヤがかかっていてその真実に気付かない。シラフで横断歩道の白い部分(川に浮かぶ木板だという説があるアレ)を飛び飛び渡れますか。そこに楽しさを覚えることは出来ますか。

 

 近所に住んでいて同じ期間に生まれたというだけで集められた人間との交流。輪の中にいた人間全員の、人生で最も輝いていた期間はあの頃にぴったり重なっていたのではないだろうか。僕自身の話をすれば生まれたころから世間に対して斜め向きでいたから、決して頭空っぽでハッピーというわけではなくて、当時は当時なりの地獄を抱えていたはずなんだけど。幸か不幸かその地獄もずいぶん味がとんで色あせてしまったようだ。年月の篩によって楽しい記憶ばかりが残されたような気がする。