2023年9月のつぶやき

 

 ・具合が悪かったので病院に行った。自分達の身体の状態を調べる機械を造って量産して、それを扱える人を育てて……ってそんなことしてる生き物は人間ぐらいだろう、と思ってた。ネオンテトラがレントゲン撮ってもらいに行くなんて話は聞いたこと無いし。

 待合室にあった自動車雑誌を見ても同じようなことを思った。別の国(似てるようで違う種類の人間が、通じない言葉を話す土地)で造られた乗り物の、写真を撮る人がいて印刷をする人がいて。そしてその紙束を売る人やここまで持ってきた人がいるわけで。例えばトヨタの工場が愛知県にあるとしてそこに行かないとクルマが買えないなんてことはなくて。最寄りの販売店にさえ行けばいい、という事実に人間のすごさを感じる。アルミのお鍋を持ってお豆腐を買いに行くみたいに広島まで電車で行ってマツダのクルマを売ってもらうような買い方もしてみたいけど。

 ・ガンです、とか言われないかなと幾ばくかのワクワクがあったが、そんなことは言われなかった。

 宣告されて一番嬉しい余命は何年かということを考えていた。10年、5年?いや、5年なんて10年とほとんど変わらないし、10年というのはほぼ永久と等しい。嬉しくない。3年?いや、1年。いや、うーん、半年だな。身の回りを片付けたり挨拶まわりするのにちょうどいい気がする。1年だと生前整理が中だるみする。あと6か月は生きられます、ぐらいがいい。なんにしたって明日車に轢かれて終わる可能性だってゼロではないんだけど。

 

 ・日常の場から距離が離れると思考も変わること、を覚えておいてほしい。

 

 ・「この街を歩くにはこの腕時計ではないよな」「この街に合う腕時計が必要だよな」と思ってしまった。気の迷いだ。本来はそんなものは必要ない。

 

 ・翻訳すれば「ウクライナから帰国したロシア人が、子供たちを感動させるためにロシアのカザンにあるアパートの前で手榴弾を投げた。」というキャプションがついた動画を見た。

 ベンチに座ったおじさんが近くでたわむれている子どもに、多分「おっちゃんおもろいモン持ってんねんで!君ら手榴弾て見たことあるか!?ボカーン爆発すんねんけどな!w」みたいなことを粗野な感じで話し掛けていた。それから当たり前のように悪気無さそうに、(もしかしたら子どもをびっくりさせて喜ばせてあげようとしたのかもしれない)、どこからか取り出した手榴弾のピンを抜いてポーンと遠くに放った。画面に写らない所で爆発音がする。駐車場の車の防犯ブザーがけたたましく鳴る。多分アパートのオートロックを開錠しつつおじさんを警戒していた母親らしき中年女性が、多分「アホか!!!!!オッサン何してんねん!!!!子どもおるやろ!!!!ここどこや思てんねん!!!!!何考えてんねん!!!!!」みたいな感じでキレ散らかす。怒られているおじさんの、事の重大さが分かって無さそうな若干へらへらした雰囲気が印象的だった。戦場で感覚とか倫理観とかが壊れてしまったんだろうな。

 

 ・コミュニティFMの情報量の少なさ、薄さが最近心地いい。普通のFM放送の、休日深夜帯の濃度が24時間つづくような印象がある。放送局は1日を持て余しているのではないだろうか、という疑念すら、またある。時間を問わず場繋ぎ的に流されるクラシックやジャズ。それってあまりリスペクトを感じない音楽の使い方(ちょっと良い寿司屋で何故か流れている有線のジャズも同じ!思想が無い!)だけど、無音状態と能動的に音楽をかけている状態の中間でいさせてくれて、たすかる。

 ・刺激や情報量のない放送が好き。NHKの深夜にやってた番組も大好きだった。空撮で延々と山肌を撮り続けるやつとか。調べたら『映像散歩』という番組だった。今もやってるのかな。

 

 ・今月のパワープレイアルバム。1983『渚にきこえて』、Kieder『It's Ok, B U』、CHICK COREA EKECTRIC BAND『Beneath the mask』、などなどなど。

 

 ・繰り返しになるが、どんなに広い空間でも広々とした状態は長くは続かない。それは「どんな大きさの空間であっても、そこをいっぱいにするまで散らかった物が広がっていく」という暗黙の法則が存在するから。これはおそらく「何も物がない空っぽな状態は自然界には見出だせない」という法則が形を変えたものだろう。(TERENCE CONRAN『small spaces』杉浦幸子訳 河出書房新社

 ・むかし京都にコンランショップあったのにな。閉店セールの場で、石で出来た写真立て買おうか迷ったのももう何年前になるんだろう。