あやうく人生が完成しかけた

 

 これまでの9千数百日の間に降りかかった苦痛の総ては、昨日一日に起こったことで全て帳消しになったのではないだろうか。そう思いすらした。つまり長く深く呪いのように続いたマイナスが巨大なプラスで相殺されたのだと。

 これまでのあらゆる因果は2019年12月29日に向かって収束収斂していた。あるいは結実していた。てんでばらばらに独立して動いている無数の歯車がたった一瞬、完璧に協調し機能したような感覚。1万桁の数字同士の、途方もない間隔で存在する公倍数に出会ったような感覚。あるいは限りなく「起こらない」と同義の惑星直列を目の当たりにしたような感覚。

 私の存在と人生はこの日のためにあったのだということを確信した。ほとんどそれは直観に近いものだった。そんな「この日」を持つ人が一体どれだけいる?そう確信できる出来事に出会えた人間はどれだけいる?ほとんどの人間は折り合いをつけて死んでゆくのだろう。ほとんどの人間は存在する意味が証明された電撃を知ることのないまま、いや、強烈に""知らされる""ことのないまま過ごすのだろう。私はそうではない。

 しかし昨日は一昨日やそれまでと同じように、いとも簡単に終わった。人生のハッピーエンドにタッチした私はまた、胸までの水深を持った地獄へとターンした。世の人はその地獄を「日常」という名前で知っている。