2023年2月のつぶやき

 

 ・2月が好きな人は「通な人」だと思う。好きな月は何月ですか?って聞かれた時、初心者は8月とか12月とか、4月とか1月とか答えがちだよね。「うーん、私は2月が好きですかね」って返されたら、「あ、この人分かってるな」ってなる。”一周まわって”12月を好むみたいな玄人も一方で存在するからあんまりざっくばらんなことは言えないけど。始めたての人は7月8月あたりがいいかなってなりがちだから。けど7月8月が良い!って無邪気に笑ってるうちが実は一番幸せなのかもねって考えたりもする。そこから12月4月あたりを順当に分かっていって、10月とか5月もいいじゃんっていう時期が一回あって、通ぶりたい人はそこで6月に行っちゃたりもする。でもそれは早い。そんなにすぐ6月を愛好してるみたいな顔をしちゃいけない。そういう背伸びは陰で笑われるし、あとから自分で恥ずかしくなったりするから。物事には順番ってものがあるし、段階ってものがある。2月が好きな人ってあんまりそれを大っぴらにしない傾向がある。分かってる人だから自分を大きく見せる必要もないし、自分でその良さを28日かけて味わうことが大切だって解ってる。え、私ですか?9月ですかね…………

 

 ・好きに使える空白の時間を過ごすとき、自分を休めることにあんまり焦ってはいけないなと自戒。気持ちが安らぐアレコレを、ながらで全部開始してしまうと結局入力情報過多になってしまう。耳栓をするだけで、あるいは、イヤホンでゆっくり音楽を聴くだけで、過ぎていく時間を気にせず目を瞑るだけで、お香をたくだけでいい。何かひとつでいい。

 

 ・買ったまま忘れていたバスソルトを使う。お気に入り、クナイプの松とモミの木のやつ。こうやってわざわざ文章に残したくなるぐらいやはり良いものだった。私はひとり浴室で森林のあのうっとうしいぐらい濃い香りに包まれた。その臨場感といったらすごいものだった。ぐっしょり濡れたシダ植物や道のわきにまとめて積まれている丸太が目に浮かぶ。夏頃、雨の後の森で嗅ぐあの匂いだ。気持ちの濁りが汗に溶けてお湯のなかで分解除去されていくようだった。今一つスカッとしていなかった気分が一発でリフレッシュできた。真っ暗にした浴室でふかく呼吸すると喉や肺が清められていった。お風呂で深呼吸したくなるなんてことがそもそもあろうか。そう考えるとこのバスソルトはすごい。

 ・贅沢はたまにするから贅沢なのだ。バスソルトでさえ有り難いと思わないといけない。ゼータクが当たり前になると不幸になる。昼職に転じたのに夜職時代の金銭感覚が抜けない人とか、バブル期が忘れられない日本とか。そもそも蛇口をひねればお湯が出てくることがまずありがたい。これを享受するに値する人間かどうか自分に訊ね続けたい。

 

 ・何年も継続して考えていた大切なことの輪郭が急激に、気付けばぼやけていた。それが丸だったか四角だったか、温かかったか冷たかったか判然としない。やがてそれがどのように大切だったかが分からなくなり、最後にはその存在そのものも忘れてしまうのだと悟った。そのとき私は今と似た、しかし今とは全く違う秩序を当然のこととして受け入れているのだろう。

 

 ・生活は容赦なく続く。色々なものを巻き込んで、ぐいぐいと私を引っ張っていく。その粗雑な推進力は心強くもあり憎々しくもある。

 

 ・少し離れたところに建っているタワーを見るのが気付けば、散歩のときのくせになっていた。色んな時間色んな角度で眺めていて今のところ飽きそうにない。天気や光の当たり方で雰囲気が変わるのが楽しい。入ったこともない建物なのに親近感みたいなものがあり、その捉えかたは山に近いのかと思った。一方で「高層建造物に対する崇拝」という、むかしSF小説だか漫画だかで見たような気がするモチーフを思い出したりもした。もしかしたら、あのタワーの中には巨大な機械仕掛けの神がいるかもしれない。行き場のない放浪者や私のような徘徊人や、傷ついた人を癒して労わってくれて赦してくれるのかもしれない。あるいはセーブポイントかもしれない。あるいは中ボスがいるのかもしれない。……と、いうような空想もあってそのタワーに聖性をみとめるような心のうごきがある。

 

 ・ここ数年メインで使っているデジタル一眼レフとレンズを修理に出した。戻ってくるまでは少しだけ身軽。しばらくはコンパクトカメラ生活。レンズが固定されているカメラの良いところは交換レンズのことを考えなくて済むところ。無限に広がる可換性は物欲を刺激し、邪念の入る隙となる。

 ・もし一台しかカメラを持たなかったとしたら、それがSONY RX0であったとしたら私は物事をどういう風に考えるようなるだろう。昼でも夜でも、海でも山でも、嬉しい時も悲しい時も、1インチセンサーに24ミリ相当のレンズがついた小さなカメラでしか記録しない生き方にはどんな感触があるのだろう。春夏秋冬の喜怒哀楽のすべてを10MBほどのJPEGに託すとき私は何を思うのだろう。

 

 ・たまには持ち出してあげようとNIKON Z5を携えて、高速で移動するものを撮りに出た。電子先幕シャッター使用時のローリングシャッター歪みを強く意識した。写真を印刷した普通紙がよれたような画像が生成される。最初はいら立ったが、実在しない風景が記録されるのは興味深くて、苛立ちはおさまった。画像のふちはレンズの歪曲収差もあって、ぐにゃんぐにゃんというか、ぼにゃんぼにゃんとしている。新しい表現の手段になり得ると今さらながら思った。このカメラには世界がこう見えているのだ。でもやっぱりムカついたので常にメカニカルシャッターを使うように言いつけた。真っ直ぐなものが真っ直ぐに写らないのは写真機失格だと思う。

 ・かわいそうだけど、このカメラには未だに愛着がわかない。レンズも最初に買った一本以外に欲しくならない。色んな所に連れて行ったり撫でたりすればそのうち本当の相棒になるとは思うんだけど。「いつもありがとうね」とか声をかけたりはするようにしている。

 

 

 ・指の皮膚が乾燥によって小さく裂けることが多い2月だった。今は薬があるけど昔(江戸時代とか)はこういうときどうしていたんだろうとふと思う。

 

 ・その時の空気に合う曲がすぐに選べてそれがぴったりハマることがあった。聴きながら「この曲が合うということは今の空気はあの時のあの空気と同じだ」と思った。今でも、私が好きなある空気に出会えたことが嬉しくなった。過去の自分と感覚や嗜好を共有できた経験のおかげで、自身の連続性が担保されたように思えてどことなく安心。

 

 ・町の喫煙所でおじいさんが灰皿を漁っていた。シケモクを集めているように見えたが、もしかすると加熱式タバコのスティックに入っている小さな金属片を集めているのかもしれないとも思った(小さな金属片を集めてどこかへ持って行けばお金になるのかもしれないとその時の私は想像した)。私が一箱千円もする缶入りの煙草を買って吸えているのはこれまでの運が良かったからに過ぎないのだと思った。加熱式タバコの感覚で丹念に吸い込んだ煙を肺にながく留めたせいで視界がゆらり揺れた。自分だって、良い身なりをしたそのほかの喫煙者だって何かが違っていれば、ぼろの服を着込んでは他人の吸い殻を手にとってより分けていたかもしれない。喫煙所に向かう前から別の事柄で気が重くて、どこか内臓が痛むような顔をして歩いていたが一層気が重くなった。春先の陽気が満ちた日曜日に全く似つかわしくない表情であり心持ちでいた。

 

 ・ジャズクラブへライブを観に行った。私が大好きなミュージシャンのライブだ。一曲目から大好きな曲が演奏され、音の質量に心身が震えた。私が一番好きなジャンルの、最高の音を含んだ空気に前からぐっと圧されて自然と涙がじわりと出た。それは生理的反応だった。

 ・小さな頃に始めて子どものうちにやめたピアノを続けていれば、今の私の人生はもっともっと音楽的だっただろうな。というトピックが久しぶりに頭のなかに起こった。当時の親の判断で教室を退会したいきさつがあって、当時どう思ったかは忘れたが、高校生以降の私の感覚からすると「やめ”させられ”た」と書きたい。もしピアノを続けていてもし音大に進んでいたら……という一時期の私の精神を締め付けたたらればが数年ぶりによぎった。もしかしたら新進気鋭のジャズミュージシャンとして雑誌に名前が載るような人たちとセッションをしていたかもしれない。音大に行ったからといって稼げるプロに絶対なれるというわけでは決してないものの、プロになるないし名を成す可能性を上げるためには音大へ行く必要はあるように思う(と、いうようなそのへんの見立てというか推測も、私が音楽のアカデミックな世界を知らないが故にゆえに精度が甘いわけである)。なんというかその(義務的に音楽をさせられるような環境に身を浸し続けなかったという)一点だけでもう充分に生きるに値しないなという感覚がある。

 とはいえものすごく苦しんでいるトピックでもない。学費を貯めて今から受験しようというほどのことではないのだ。別にプロのミュージシャンになろうがなるまいが鬱鬱とした心的構造は自分である限り変わらないわけだし、どう転んでもやっぱりこれはなるべく早く穏便に終えたい人生だ。音楽とは関係ない大学に進んで得られたものは物凄く多かったし、いま縁がある人とは知り合うことのなかった世界線の2023年は想像すると怖くなる。

 

 ・「タイタニックジェームズ・キャメロン25周年3Dリマスター」を上映期間中に観に行けなかった。次映画館でやるのは何年後なんだろう、十何年後なんだろう。