離人感(離人症)のこと

 

 自分が知るある感覚と人が言うある感覚が同じものかどうか……というのは確かめようのないことである。だけれども離人感(離人症)の説明を初めて読んだときは時々あったあれってこれか!!これだな!とすぐに分かった。それが気持ちよかった。あれ他の人もなるんだ、あれ離人感って名前付いてたんだ、とパズルか何かがピタッとハマるような快感があった。

 ここに何度か書いたかもしれないけど、覚えているなかで最も古い離人感の記憶は小学校高学年の時。何かの課外活動の最中だった。自分の言葉が相手に届いている実感が無く、また相手の発する言葉が相手から出たように感じられず、身体が何かに、何かが身体に当たっても嘘のように思えた。それから時々不規則に起こる。何か月も起きないこともあるし、一週間のうち何日も起こることもある。

 俗に言う「若者の人離れ」である。*1 他の人が言い書きするような、感覚に伴う不安や恐れに類するマイナスの感情が自分にはあまり無く、「あ~今また変な感じ」とぼんやり思うだけだ。現実に現実味が感じられないぶん自分にとっては、怒られてもダメージを受けないとか、車の運転中だとイライラしないとか、どんな物でもガンガン捨てられるとか、むしろミニ恩恵がないでもなかった。なのであんまり症状という印象は無い。消したいほど困ることではないのだ。学生時代には「離人感とはbrain in a vat(水槽の中の脳)仮説を裏付ける/補強する現象ではないだろうか」という問いが浮かび、論文にしようしようと思い、思っただけで形にはならなかった。

 それがどういう感じなのかを言葉で説明するのは難しい。*2 例えばタイヤだけで人の背丈の2倍あるような巨大ダンプカーがコンビニの駐車場とかにいきなり居たら、嘘みたい、遠近感が狂う、などと違和感を覚えるはずだ。それから、背伸びして手を伸ばせば届くぐらいの高さで旅客機が無音で飛んで来たら同じような感覚を覚えるかもしれない。嘘みたい。映画みたい。ゲームみたい。ゲームのバグみたい。その違和感。非現実感。なんかつじつまが機能していない感じ。ちぐはぐというかヘンテコというか。そのヘンテコが自分、自分の感覚をも含めた世界の総てに適用される感じ。いや、うーん……違うなあ。少し遠くの山並みが光線状態のせいで奥行きのない一枚の絵に見えるような感じ。うーむむむ、違うなあ。遠近感、音の聞こえ方、自分の声の聞こえ方に説明のカギがあるような気がするんだよな。

 そんな離人感(に近い感覚)を得る方法を共有したい。これは本邦初公開だ。まず徹夜をする(私のように夜眠れないのが平常の人は眠気がある状態で)。そして翌日、片目だけ開けて、何も流さないイヤホンを耳に入れて過ごして欲しい。そのままテレビゲームをしてもいいかもしれない。もし眠気が酷ければ差し引いて考えること。この状況の感覚が自分の離人感に近い。あの感覚を身体で知っている人にぜひ試してみて欲しい。で、あなたのそれと近いかどうかを教えてくれないだろうか。

*1:関西の一部地域では「神戸離人感」とも

*2:難しかったからこそ「離人症」の項目にあった簡潔な説明を読んで、そうそう!そう言ったかったの、と腑に落ちたのだろう。