はじめてのミニマル写真(実践編)

 

 後半です。ここで説明するのはミニマル写真を撮るにあたり実際にこころがけていること。ここからは取り決めというよりはもっと緩いルールで、こだわりとでも言えようか。具体的になってきます。6項目を順に見ていこう。

 

・中望遠から望遠のレンズを使うこと、そして近づくこと

 ビギナーにつよくお勧め。風景の一部分を切り取ることで、線と情報量が少ない写真にすることは簡単になる。ズームレンズを用いれば望遠へズームするにつれ線とオブジェクトと情報が減っていくことを感じられるはず。広角レンズでミニマルな写真を撮るには、何もない広いところへ行かないことには難しいだろう(そうでなかったらうんと近づくことだ。ただそうなると次はレンズの収差が気になってくる)。

 

良い感じの壁。

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もうちょっと近づいてみる(あるいは望遠へズームしてみる)。

f:id:artexhibikion:20190924021013j:plain引き算が出来た。

 

 

・余白、空白を多くとること

 背景が混雑していることは全くはミニマルじゃない。背景を静かにさせるためにはボカせばいいわけですが、ボケを操作することでミニマルにするのはどうも正攻法に思えないな。

 

物理的に何もない開けた場所がなかなか無いからカメラを上に向けてしまう。空はこうやって使う。

f:id:artexhibikion:20190924023939j:plainただこうなるとパースがついて気持ち悪い。シフトレンズが要る。

 

 

・ボケを作らないこと

 昨今ネコもシャクシもボケですな(呆れ)。僕は画面全体をのっぺりさせる方が――つまり立体感を消す方が――よりミニマルだと考えている。ボケによって主題(モチーフ)を主題づける手法はミニマル写真にはそぐわないと。被写界深度のコントロールによってモチーフを際立たせるのではなく、フレーミングのコントロールでモチーフを際立たせなさいということ。モチーフ以外の物を画面から追い出すこと。

 

みんな何かあるとボカすけど、ミニマルの文脈で言えばちょっと外れてる。時代の越え方としても違う気がする。

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f:id:artexhibikion:20190924022845j:plain例えばこうしてみるとか(絞りで言えばこれでもまだ不十分だけど)。

 

 

・意思や思想が入らないこと

 つまり(意図なしに)文字や記号を入れないこと。前半の「情報が少ないこと」と一部重複するけど、何かを伝えようとしない方がミニマル(だしクールでしょ。ミニマル写真はクールじゃないといけない。湿度や情感があるとよくない)。それは歌詞のない音楽が易々と国境を超えることに似ている。

 

f:id:artexhibikion:20190924021128j:plain「銀行」と言うぐらいならいいかも?この辺のバランス感覚はセンスに依存する。

 

 

・時代と場所を感じさせないこと

 つまり「いつどこ」の手がかりを消し去ること。僕はミニマル写真を撮るうえで広告やランドマークが写りこむことを嫌う。いつどこで撮ったかが分かってしまうから。するとそこに不要な意味が生まれてしまう。受け取る人の思考と感情を方向づけてしまいかねない。例えば京都タワーが写っていれば京都だと分かるし、そうなると京都に関する感情や記憶や生起される。

 

f:id:artexhibikion:20190924021306j:plain高槻市営」はいささか喋りすぎだね。撮影場所も伝わってしまう。

 

 

・人間を入れないこと

 目的が2つある。一つは「いつどこ」の否定をしたいから。時代場所を感じさせたくない。つまり日本人が写っていれば日本で撮ったのかと感じさせてしまうし、服装は時代性を匂わせてしまう。もう一つが私性を含ませないため。私であること、あなたがあなたであること。私らしさ、あなたらしさを排するため。家族や友人の笑顔が写っていればあなたが撮ったのだと分かるでしょ。表情は関係性を感じさせてしまう。人間をミニマルに撮るなら理想は防犯カメラ。

 

ダメダメな例。色々入れすぎ。

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 〇最後にちょっと脱線、ポートレートのこと

 ミニマリズムを応用したポートレートだ、と言える例があります。それは植田正治砂丘。この有名な写真群はシュールレアリスム的で、今見ても古さを感じさせません。これはミニマリズムの取り決めに沿っているからだと説明することもできます。砂丘、空、人しか写っていない写真は明日撮ることも出来るわけです。70年代に撮られた彼の砂丘の作品からは1970年代的な要素はほとんど見つけることが出来ません。そこには田中角栄あさま山荘よど号インベーダーゲームも、またそれらを匂わせる情報もないのですから。

 

 というわけでした。どこまで伝わったか分かんないけど、これまでインターネットに日本語で書かれていなかったことを書けた気がしてる。気だけね。もし次回、ミニマル写真に言及することがあれば更に具体的に、もう「鬼十訓」(!?)みたいに、今までに説明してきたルールを‟ドグマ”としてまとめた記事を書くつもりだ。そこから写真運動が起こったり潮流が出来たりすると面白いね。最後に写真をいくつか貼っておくのでよかったら見ていって。

 

 

 

突然ですがここでクイズです。これは何でしょうか。制限時間10秒。

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答えは「はにたんのお腹」でした。

わかるか! ←わかんないよね。でも分からないのがミニマル写真的には正解。だと思う。

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ちょっと崩してリズムをつけたり。

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ダメな例。写っているものの中で一番手前にあるものと一番奥にあるものの差、(距離差、前後差)が大きいと難しい。つまり奥行きがあると厳しい。立体感が出ちゃう。

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ダメな例。雲が(まだらに)入ってる。入れるなら入れる、入れないなら入れない。なぜ空を使うのかが分かってないとこういう写真をミニマルだと認識することになる。空撮ればいいってもんじゃない、お気持ち写真じゃないんだから。この写真も上すぼまりが気になる。

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対象がフィルム面に対して平行だと気持ちいい。奥行きも立体感もない。

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ひとつの極致。ただあまりに淡泊。

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ひとつ何か入れてみるとか。足し算の作業。

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テクスチャを変えてみるとか。でもこれは情感が出過ぎ。

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I:L

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おしまい。