ノルウェイの森のハツミさんが好きな奴、君の名は。だと奥寺先輩を好きになりがち

 

 『ノルウェイの森』はぼろぼろになるまで読んだよ。

「ぼろぼろになるまで?」

そう。文字通りぼろぼろになるまでね。

「敬虔なクリスチャンの聖書みたいに?」

そうかもしれない。あるいは。

「あるいは?」

ライナスの毛布”みたいに。

「ねえ、それってどういう意味?」やれやれ、僕は射精した。それからスモーク・サーモンのサンドイッチをライト・ビールで流し込んだ。それからプリン・ア・ラ・モードオルケスタ・デ・ラ・ルスを……………

 

 ブログはインターネットの対極としてではなく、その一部として存在している。(?)

 

…………????

???

 

 

 【『ノルウェイの森』のハツミさんが好きな奴は『君の名は。』だと奥寺先輩を好きになりがち】という持論がある。サンプル数は1で、その標本は今これを書いている。

 しかしハツミさんと奥寺先輩は似ているようでありつつ決定的に違っていて、「救われること」を鏡にしてまるで反対方向に位置している。その正面にいるのはワタナベくんであり瀧くんであり、そしてその真ん中にいるのが『ノルウェイの森』のレイコさんではないだろうか。3人のお姉さんの立ち位置を確かめつつ、(そして救われることとはの問いについては答えを出さずフワフワさせたままで)話を進めていこう。

 

・おいでよ『ノルウェイの森

 村上春樹は好きでも嫌いでもないけど1987年発表の『ノルウェイの森』だけは別。思い入れがある。大学生の頃、知っている人が愛読書にあげていて【気になる坊主の羽織ってる袈裟まで気になる現象】で読み始めて、それから何度も読んだ。今もときどき目すさび的に読む。読みにくいと言われることも多い文体だけどそれはあんまり感じたことない。他の作品もいくつか読んだけど読み進めにくいと思ったことはないなあ。

 2010年に実写映画化されているんだけど、これが美大生が作った女性向けアダルトビデオみたいで酷い出来だった。酷いなあと感じつつも、誰もが納得するように撮るのは無理だとも思った。それぞれの登場人物について、原作の読者はそれぞれ違う俳優を思い浮かべるだろうし、浮かべないだろうし……

 

・ハツミさん

 ハツミさんは主人公ワタナベくんの寮の先輩永沢さんのガールフレンドで、お金持ちが多い女子大に通う育ちの良さそうなお姉さん。出番こそ少ないもののファンが多い登場人物の一人だ。完璧超人の永沢さん、ひいてはワタナベくんをも救ってくれそうな女神。

 私がイメージするハツミさんは銀より金が似合う、ドレッシーな装いもきちんと自分のものにしているお姉さん。「はっと目を引くような美人ではない」とワタナベくんは評していたが、顔の造りが「平凡」だとしても人を惹きつける女性は現実にも存在するし、その後でワタナベくんが付け足すように魅力的で、思うに振る舞いや所作が美しい人なのだろう。

 

・レイコさん

 レイコさんは主人公ワタナベくんが思いを寄せる直子のルームメイト。なんのルームかっていうとメンタルの療養所である(なななんだってー!?)。ピアノもギターも弾けて面倒見がよく、ワタナベくんより19歳上、おばちゃん寄りのお姉さん。皺が印象的な人物で、(ふっくらした人なのかと勝手に想像してたけど)直子の服が着られるほどには小柄。家庭も持っていた。

 

 

・『君の名は。

 2016年公開のアニメ映画『君の名は。』は岐阜の山奥に落ちてくる隕石の軌道を変えるためにスペースシャトルで割りに行くというお話。「Don't want to close my eyes.(やっと目を覚ましたかい)」でお馴染みのテーマ曲は誰もが一度は聴いたことがあるだろう。

 映画自体はなんといってもその映像美。都会(東京)のキラキラをこれでもかと詰め込んだ彩度&カロリー高め、「新海調」の画面が田舎に住む人間の劣等感を目からチクチクつついてくる。やや荒唐無稽に思えるストーリーも美麗なフォーマットのおかげであんまり気にならない。

 個人的にはもう一人の主人公三葉の祖母、一葉おばあちゃんがことあるごとに「それもまた”むすび”」と全部自分(/伝承)の文脈に回収してくるのが印象的で、「いやむすび理論万能過ぎるやろww」と笑ってしまった。なし崩し的に3回ほど観に行った。 その他の雑多な感想→ *1

 

・奥寺先輩

 奥寺先輩は主人公瀧くんのバイト先の先輩で、女子大生の割には落ち着いた色香漂うお姉さん。サブヒロインである。職場の男どもは皆彼女に羨望のまなざしを向けていて、瀧くんもその一人で密かに思いを寄せている。別室に連れ込まれたあげくスカートを脱ぐよう強要されたり、動いた着ぐるみに喜んで可愛らしく跳ねるなど見せ場も充分。最初観たとき声優が長澤まさみだと気付かなかった。名演。

 

 

・3人のお姉さんたち

 で、ですよ。

 奥寺先輩が劇中最後、別れ際に言う「君も、いつかちゃんと、幸せになりなさい」というセリフは『ノルウェイの森』、レイコさんが劇中最後の別れ際に言う「幸せになりなさいよ」のオマージュであることは間違いないだろう。だが完璧になぞられることが出来るわけではない。*2 どちらも別れ際に主人公に投げかけられる言葉ではあるものの、そこに込められた思いには大きな違いがある。それは当人が幸せか(救われたかそうでないか)という違い。

 奥寺先輩はまず本人が幸せになっている。救われている。結婚指輪をしている人間が言うのだ。そのセリフには、あなたも私と同じように(もちろん私以外の!)誰かと一緒になって幸せになりなさいというニュアンスがある。この「ちゃんと」は、大切な人と2人で/名実ともに/社会的にもね、という「ちゃんと」だろう。瀧くんをよく知り、一度はその内面に深く触れたお姉さんからのメッセージである。加護の祝福とまではいかないにしても、その言葉には主人公を幸せに向ける力がある。

 一方でレイコさんのそれは当人が幸せではない状態で発せられている。救われていないのだ。*3 彼女は(当人の自分語りを全部信じるなら)離婚して精神を崩して療養所に何年もいてシャバに出て、これから社会でもう一度やっていくという段階にいる。結婚指輪を一度外した人間が言うわけである。「私のこと忘れないでね」「あなたと会うことは二度とないかもしれないけれど、私どこに行ってもあなたと直子のこといつまでも覚えているわよ」に続くセリフであり、一種の呪縛、呪詛のようにも感じられる。と言うのは少し深読みが過ぎるだろうか。

 またレイコさんは「幸せになりなさい」と直接伝えるより前に、ワタナベくんに宛てた手紙の中で「あなたは誰にも遠慮なんかしないで、幸せになれると思ったらその機会をつかまえて幸せになりなさい」とも書いている。

 付け加えておくと救われなかったお姉さんであるハツミさんに対しては、逆にワタナベくんから「だから僕としてもハツミさんに幸せになってもらいたいんです」という言葉が送られている。彼女は後に永沢さんじゃない別の人と結婚して、一時的に結婚指輪を得ることになる。のだが。

 奥寺先輩とレイコさん、2人の女性の立ち位置を比べてみると、その「幸せになってね」が持つ祈りの性質はかなり異なっていることが分かる。私のようにあなたも出来てね、なのか、私が出来なかったことをあなたが叶えて、なのか。

 ていうか瀧くんは何故奥寺先輩と幸せにならなかったのか。押せばいけただろ。どこで押すかっていうと「君は昔わたしのことがちょっと好きだったでしょう」「そして今は別の好きな子がいるでしょう」と見透かされたときに即座に否定して「ハアー?!いやいや、今でも奥寺先輩のこと好きですけど何か?!?!」みたいな返しをデカい声でする。そしたらきっと怪訝な顔をすると思うけどそれでもなお押す。無理かしら。無理ですね。もう彼の心は動いている。それに瀧くんが三葉と結ばれないといけないのと同じぐらい、三葉もまた瀧くんと結ばれないといけないのである。

 

・吸うんですね……

 唐突に完全な邪推だけど新海監督はオタクが嫌いなんだと思う。奥寺先輩にタバコを吸わせたのは喫煙者の元カレの存在を感じさせて観客のオタクの心を傷つけるためだと思った。「しばらくやめてたんだけどね……」とか言いつつ手元にあったのは、久しぶりにタバコ吸いたくなった時にコンビニで一緒に買うような100円ライターではなく、もうちょいちゃんとした、明らかに前々から持ってたであろうライターだ。昔から手元にあって多少の思い入れもあるものを、捨ててもいいんだけどキッカケもないから置いてたというところではないだろうか。でもカバンに入れて遠出にまで持って来てた訳だからもう少し身近なアイテムなのかもしれない。このシーンで、女がファッションで愛煙しがちな銘柄ランキング堂々1位のピアニッシモ(ちなみに2位はブラックデビルだと識者の間では言われている)を持ってきたところも小憎くて、「吸ってないに等しいタール/ニコチン量じゃねえか」みたいなイキリ大学生的無粋ツッコミは置いといて、そのチョイスの生々しさこそ、(部分的にデコられたスマホケースのダサさと共に)新海監督が天才と称される所以であろう。知らんけど。

 なんにせよこのシーンがさしはさまれることによってオタク達は、自分が女性(の登場人物)に求めている処女性/聖女性みたいなものが汚されたと感じたり、もしくは奥寺先輩は実は最初からそんなもの備えていなかったという事実に直面して、傷つくわけである。そして、ああやっぱり三葉だわ、と考え直すわけである。でも監督ご自身も多分オタクだから作ってて自分も傷ついてたんだと思うよ、自傷行為なのかもしれないね、自分を傷つけることに悦びを覚えるタイプなのかもしれない、知らんけど。

 そして「好きだったんだ、私。ここ最近の瀧くん」から始まるセリフで奥寺先輩は完全にヒロインから降りるわけである。

 

・救われなかったお姉さん

 非喫煙者のハツミさんには恋人の存在が明かされていて(てか「永沢さんの恋人」として登場する)、主人公にとっては良いお姉さんとして機能する。永沢さんのワタナベくんに向けた「俺にはもったいない女だよ」「俺には過ぎた女だ」という吐露があったが、そこからもう一歩踏み込んで、引っ越しするとき冷蔵庫をあげるノリで「もし俺と別れたらお前が付き合ってやってくれよ」みたいな前時代風男尊女卑的提案がもし投げかけられていたとしたらハツミさんがワタナベくんの良きパートナーになる未来もあったかもしれない。

 どうやら永沢さんはワタナベくんがハツミさんを好きだということを見抜いていた。そして実際に「俺のあとをワタナベがひきうけてくれるのがいちばん良いんだよ。お前とハツミならうまくいくと思うし」とまで言っている。ハツミさんはワタナベくんを高めてくれて成長させてくれる人物だというのは間違いないだろう。だが結局ハツミさんは前述の通り別の男性と結婚して、最後には自殺してしまう。のちにワタナベくんは振り返る。「永沢さんにも僕にも彼女を救うことはできなかった」。

 ワタナベくんも「僕にもあなたみたいなお姉さんがいたらよかったなと突然思ったんです」とまで言って喜ばれてたんだし押せばいけただろ(押さすな)。しかし彼は終始死の匂い漂う直子のことで頭がいっぱい、直子の死後は生きるパワーに溢れた溌剌わがままガールの緑とくっつくわけである。それにハツミさんはハツミさんで時々ひどく意地悪になる機械みたいな男永沢を愛しているし、そのうえで彼の割り切りすぎなスタンスや感情が変わっていくことを期待(あるいは信じてたり)してて、多少夢見ちゃんなところもある。そこがまたファンが多い要素だったり。それにしても懐が深すぎる。

 

・救われ損ねたお姉さん、あるいは幸せが続かなかったお姉さん

 引き続きタバコを切り口に語るなら、レイコさんはノル森きってのヤニカスである。精神科入院生活あるある「時間の持て余し」に起因することを差し引いても吸い過ぎ。ていうか精神病院じゃなくて療養所だし、レクリエーションとか動物の世話とかやることは細々とありそうだったし。だからやっぱり吸い過ぎ。レイコさんはセブンスターをことあるごとに美味そうに吸う。食べる代わりに吸うしラジオを聴きつつ吸う。 *4

 レイコさんは既婚者だった。結婚して6年幸せだったと述懐している。しかしある少女との出会いをキッカケに日常生活が瓦解する憂き目に遭い、精神の調子も崩し、彼女から別れを切り出すかたちで結婚生活に終止符を打った。そして京都の山奥でサナトリウムのヌシみたいな役割を8年ほど続けることになる。

 どうも私にはレイコさんの未来が明るいものだとは思えない。ワタナベくんはきっと手紙も返事も書かないだろうし、「作り損ねた落とし穴」みたいな新天地旭川で恋人が出来るようにも思えない。ワタナベくんや緑とは違って、そして自殺した直子と同じように、これから幸せになることは無いサイドにいる人物だろう。

 

・で、やっぱり

 この3人について見比べてみて、やはり奥寺先輩に与えられた役目はハツミさんでもなくレイコさんでもなかったということは改めて確認された。字面では似たようなことを言っていたとしても、その意味には大きな違いがある。ハツミさんは救われなかった人、レイコさんは救われ損ねた人、奥寺先輩は救われた人である。奥寺先輩はハツミさんとレイコさんにあり得たかもしれない幸せを持っている人物と言ってしまってもいいのかもしれない。

 奥寺先輩がちゃんと幸せになったのを見届けたことによって、そして「幸せになりなさい」の後押しによって瀧くんは三葉との再会に専念できる。ハッピーエンドの下地はこうして固められたのだ。

 『ノルウェイの森』のストーリーを追うと、ワタナベくんは結果的に緑に救われることになる(だろう)。緑はワタナベくんと結ばれるために彼氏と別れているうえに、料理が上手いわ性的な好奇心旺盛だわで生きるパワーに満ち溢れている。

 レイコさんは「(略)でもそれとは別に緑さんと二人で幸せになりなさい」とも言っている。むしろこのセリフこそが奥寺先輩の「”ちゃんと”幸せに」と対応するのではないだろうか。もしこの文章の続きを書くことがあるのならこの点についてもう少し深く考えてみよう。

 

 最後に『ノルウェイの森』劇中に登場する『君の名は。』的モチーフ、つまり入れ替わり/取り違えが起こる場面を引用して本稿のシメとしたい。

 「なんでまたキウリなんてものがここにあるのよ?(後略)」

 「キウイと聞きまちがえたんじゃないかな」

 いやどういうやりとりだよ。

 

 

 

 

*1:●一番好きなのは弁当を忘れた瀧くん(三葉)のために友達2人がお昼ご飯を作ってあげるシーン。「なんかあるか?」「たまごコロッケサンドにしようぜ?(イケボ)」だけのやりとりで友人同士の関係の深さと、男子高校生の日常がもつ空気感が正確に無駄なくキチンと描かれているように感じた。 ●まだ見知らぬ三葉が電車の中でいきなり話しかけてきた時に「お前、誰?」と返す瀧くんあまりにも不躾で嫌い。 ●チャリンコも壊されたうえにバイクでこけちゃうテッシー不憫過ぎて好き。 ●落下途中で割れた彗星を世界中の人が見上げるシーンは逆シャアのオマージュに違いない。

*2:それらが似ている!という指摘こそ散見されるが、で、だからどうなのという点が語られた文章が見つからない。

*3:19歳年下の若者と散々やりまくったあれは儀式で、それによってレイコさんは死から蘇ったと読むことも出来るかもしれないが自分はそう思わない。

*4:この点なんとなくで喫煙に手を染めた緑とは正反対、彼女はマッチで火をつけた赤マルを半分残して灰皿にこすり付けて消している。