2020年9月後半のつぶやき

 

~近況報告時事雑感~

 

 ・『涼宮ハルヒ』の新刊発売がアナウンスされた。生き続けていると時々こういう良いことがある。日頃未だにエヴァンゲリオンとかカードキャプターさくらとかの話してる人たちを少し怖く感じているが、傍から見れば、いつまでもハルヒハルヒ言ってる自分も似たようなものなんだろうなと出し抜けに客観視。

 ・新しいフェアレディZのデザインには賛否両論あるようだ。あまりにも長方形なグリルが話題を呼んでいるが、昔のdocomoの絵文字みたいでカワイイと思った。自分にとってフェアレディZとはZ32型(4代目)。なんとなく特急電車みたいな顔。あれはエンジンとタイヤが4つ付いた「平成」だ。

 ・買うチャンスを逃がし逃がし逃がし逃がし、ついに「Newニンテンドー3DS LL」生産終了。買う機をとらえなかったのは「あつまれ どうぶつの森」も同じで、もうプレイすることは永遠にないだろう。

 ・「あるを尽くす」という言い回しを知る。宴会やなんかで今ある食べ物を残さず食べきってからお開きにするというような意味の、信州の方言らしい。空気まで美味しそうな土地の高潔な言葉。

 ・プリモ・レーヴィ『休戦』を読む。「荷物は毛布が一枚と、小さなボール箱で、初めはパンのかけらを入れていたのだが、今では空っぽだった。」という一節が目を引いた。もののけ姫のアシタカが郷を離れ西へ向かうシーンで「アシタカの持ち物はこれだけなんだろうな」と感じたのを思い出した。アシタカの雅な椀は、食器を仕舞う棚なんてモノまで所有している我々にとってみれば丼茶碗のひとつに過ぎないが、彼にとっては財産のひとつだ。きっとスナフキンのハーモニカにも同じことが言えるのだろう。もし自分が毛布しか持っていなかったらどうやってどこまで生きるだろうか。スマホの充電が無くなってきただけで何となく不安になる自分は生き物としてあまりにも弱い。