2020年8月下旬のつぶやき

 

 ・自発の「られる」は動詞「思い出す」に付くことがほとんどで、そしてそれは名詞「嫌なこと」の類語群に付くことがほとんどだということに今更ながら気付いた。

 ・朝の空腹は栄養摂取の効率がいいとかで、フルーツを食べるべき状態らしい。とりわけ柿が様々な栄養をバランスよく豊富に含んでいるということだった。それを読んで自分は柿が嫌いだったことを思い出した。というかほとんどの果物が嫌いだった。選ぶならパイナップルの缶詰だろうか。

 ・ある日浴槽の水を抜くときふと、流れるプールの内壁に空いた穴を思い出した。いくつかは流れをつくるため角度をつけて穿たれていて子どもたちはその水流によって加速することを楽しんでいた。それ以外のもういくつか、真っ直ぐと開けられた、それを囲う防護柵ごと一回り大きい穴は見向きもされない。自分だけが大きい方の穴を、憑りつかれたように潜ってはいつまでも見つめていた。砂防堰堤に開けられた水抜き暗渠に対して抱くのと近い、恐怖と畏怖と知的好奇心が混じった感情に支配されていた。もう何年もプールには行ってないが、あの黒の真円は記憶から抜けない。

 ・いつか水族館でカピバラを見たことを思い出していた。広さ12帖20平米ほどのそこから出られない空間としては明らかに狭いスペース、その一角に湛えられた濁った水に浸かったカピバラが、他にやることもなさそうな様子でただぼんやりとしていた。ほとんどのスペースにいる魚類たちは嬉しいとも悲しいとも感じ取れなかったが、間違いなくそれなりに溌剌としてはいた。ぬるそうな汚い水のなかのカピバラは全てを諦めているように見えた。