風景から普遍性を取り出すこと、それからミニマル写真私論

 

 時代を超える写真を撮ることを考えていた。それは語り継がれることで時代をまたぐ名作を作るという意味ではなく、時代を感じさせない写真を撮るということ。僕はこれを「当世感のない写真」「失当世感の写真」「より普遍性な写真」と呼んでいる。例えば、ぱっと見たときに2018年らしさが感じられない画面。それを得る行為は風景から普遍性を取り出すことだと言い換えられる。2018年2月某日の風景を要素や記号に分解し、還元する。撮られた時代の推測が難しい写真は時代を超える。

 あるときに当世感のない写真は写真のミニマリズムにも通ずると思った。

 以前から写真のミニマリズムについて考えていた。ミニマル・フォト(ミニマル写真)とは僕の定義で言えば「必要最低限のモノ(要素/意味)で構成された写真」。分かりやすく言えば画面の中がシンプルですっきりとした写真。かろうじて写真として成り立っている写真が理想、これが難しい。その検討の中で見つかった、ある写真がミニマルであると言える3つの法則を書き残しておく。それは「線が少ないこと」「オブジェクトが少ないこと」「情報(量)が少ないこと」。この3つは要件のように全てを満たさなければならないものではない(し、ある写真から2つ以上の法則が見出されることもある)。

 写真が写真として成り立つ最低限はどこか、写真に満たないものを「撮影」することが出来るのだろうか、という問いと格闘して続けている。

 レンズ選びの話。写真の普遍化とミニマル化を促進するのは、フレーミングの難易度(画面の整理のしやすさ)から考えて中望遠レンズだろう。広くても35ミリ換算で50ミリ、85ミリから135ミリが最適で、長くても200ミリまでのレンズを用いるとすっきりまとめやすい。例えば超広角レンズを用いた写真を探してみれば、ただの状況説明写真や、旅行なんかの記録写真に陥ってしまっている写真はたやすく見つけることが出来る。画角が広いとそれだけ画面の整理が難しいということだ。雑多な画面は言うまでもなく非当世感やミニマルとは程遠い。

 線は多いがオブジェクトは少ない例。f:id:artexhibikion:20180209032839j:plain