あるものを数える

 

 毎日毎日熱い湯につかれるなんて、なんてありがたいことなんだろう。最近そう感じる。思い入ってます。有り難い有り難いと言いながら入浴してたら心から尊いことに思えてきた。毎日の寝床にもナンギしている人たちのドキュメンタリーを観たり、そういう人が多い地域に行ったのもたぶんたぶんに影響している。家とかとりあえず落ち着ける所がない状態のストレスってプライバシーの無さなんだよね。屋根があるところにありつけたとしても壁が薄かったり布団を敷いたら床が見えなくなったりする。物音を立てないように気を付けたり逆に聞こえる物音に気を引かれたりしてたりして知らず知らずのうちに心が摩耗する。災害時にも言われてることだけど。

 無いものを数えていけるほど人生は長くない。数え上げ切れるほど。あれがない、これもない、あれが欲しいでもお金も無いから買えない、あの人にはあるのに自分にはない……これ言い出したらキリが無い。そうではなくて「あるものを数える」。これが僕のここ数年のスローガンだ。あれはある、これもまあある、ああ、あれもあったな、これもあったっけ、と数えていく方がはるかに生産的だと信じている。し、持ってる「あれ」とか「これ」は実際に触れるわけです。だって持ってるから。欲しいなー手に入れたいなーの「あれ」は試したり想像したりするわけだけど、持ってるなーの「あれ」はひざのうえに乗せてナデナデしたり慈しむことが出来るわけです。そういうものを数える方がよいね。どうやら。