パニック発作のこと

 

 私はパニック発作デビューが遅い方で。大学出てからだった。何年の何月何日かまで言える。その日は、誰も悪くないけど人と噛み合わないってことがあって。自分のペースを乱された。3日経てば笑い話になるような、いや、2日で笑って話せるようなことだったんだけど。でもその時の自分は手っ取り早く気分を変えようと、今思えば安易に、1グラムの錠剤を2シートほどよばれた。そしたら数分も経たないうちに調子が分かりやすく狂った*1。人生最大のバッドに入った。そのときの私は"薬にしても酒にしても、「楽しくない」を「楽しい」にしてくれるものではない"ってことを完全に忘れていた。彼らはあくまでも「楽しい!」を「もっと楽しい!」にしてくれるものであって、サイアクの方は更にサイアクにさせちゃうものだってことを…………

 薬を飲んですぐ生まれた違和感はものすごいスピードで膨らんで、次の日の昼前まで「死にそう死にそう死にそう死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」ってなった。昔のゲームやパソコンや何かのメカが機械音を短くループさせて全ての操作を受け付けなくなることってあったけど、それの人間版。パニック状態の私は口をぱくぱくさせて呻きながらもだえ苦しむ反復動作をひたすら行なう壊れた人形になっていた。もし公共の場だったら救急車を呼ばれて運ばれただろうし、薬物に明るいポリスメンがお見舞いに来てくれもしたはずだ。ヤバさ(ヤバさと形容するのがしっくりくる)には波があっていけそうだったりヤバさが増したりしたけど、そのときは完全に大丈夫になるまで12時間ぐらいは苦しんだと思う。

 (後から思い出して冷静に分析すると)呼吸が浅く早くなって、汗がとまらなくて、背中がムズムズして、聞こえてくる音にどれも現実感がなくて、どんな匂いも臭く感じる状態だった。何が起こってるか分からないから何をどうすれば収まるのか分からない。そもそも収まるものなのかが分からない。「なにこれなにこれ」とか言う自分のテンパった声がものすごくやかましく聞こえる。めちゃめちゃヤバいんだけど、何がどうヤバいのか分かんない。でもとにかくヤバい。*2どうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃどうにかしなきゃ…………でもどうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいいどうすればいい…………

 「ああ……ここで死ぬんだ……」って覚悟した。けど本当に死にそうだったら、死ねそうだったらきっと私は安心したと思う。普段から死にたいんだから。でもそうじゃなくて、どう考えたって安らぎの真反対にいる。ギリギリのところで焦らされてるみたいな感じがあった。前述の通り波があった。「めちゃめちゃヤバい」と「死ぬほどヤバい」を往復する波だ。なにせ気持ちが焦って、逸ってどうしようもない。「何がなんだか分からない」「いてもたってもいられない」ってのはパニック発作のために作られた言い回しなんだと思う。

 それから「パニックぐせ」がついてしまったっぽい。最悪。腰や顎は一度やるとくせになってしまう、なんて言うけどパニック発作もそうなんだろう。広場恐怖はなかったけど、いつどこでどうなるか分かんない。私の場合は乗り物に危険な香りを感じる。夜行バスで襲われてから夜行バスが無理になり、新幹線は安パイをとって「こだま」を選ぶこともあった*3。京都から東京まで普通に3時間半ぐらいかかる。笑う。愛知や静岡の死ぬほどどうでもいい駅にも当たり前だけどバカ正直に停車する。でも繰り返すけど私のパニックは自業自得のうえに軽度も軽度。世の中には自分が運転してるクルマの中でも発作を起こしてしまう人もいるらしい。大変だ。

 夜行バスはヤバい。乗ってたときに一回パニック起こしてから改めて思うけれど、あんなの人間が乗るものじゃない。すごい速さで走るし、揺れ方は下品だし(この揺れが引き金になる)、外は暗いし、バスの臭いがするし、他人がぎっしり詰まっている。客の呼吸のせいで湿度が高い。客層もあまり良くなかったりする。人それぞれ事情はあるんだろうけどワクワクしているお客さんはまず見当たらない。例えばだけど、スタバの店員さんみたいにニコニコしてる若者しか乗ってなかったら多少はマシな気分で目的地まで行けるかもしれない。でも現実は違って。……「今すぐ停めて降ろしてください!!」って運転手さんに言いに行こう、でもやめよう、でもやっぱり言いに行こう、預けた荷物はどうするの、でも言いに行こう。やめよう。言わないと。やめようって。言わないと。やめようって…………

 パニック発作とかパニック障害って名前は、字面だけはよく存じ上げていた。2回目の発作で「あ!これってもしかしてアレか!アレだったのか!」ってピンと来た。他者様より長く心理学部を過ごした留休王国の民に死角はなかった。ICD-10のF410だ。製薬会社がでっちあげた日本人特有の病気だとか、生真面目な小心者が襲われやすいものだとかいう風説を16分の1ぐらいは信じていた。ただこの考え方には大きな誤謬がある。どんな人にだって生真面目な小心者になる瞬間があり、そこをパニックの奴に襲われると終わるのだ。

 私の場合だが。なんとなく違和感があって、そこに意識がフォーカスしてしまうと違和感が何倍にも増大してしまい、ヤバい自分を見てヤバく感じる。ヤバいと感じることにヤバいと感じる……ことにヤバいと感じる、ことにヤバいと感じる、ことに。みたいな加速し続ける高速ループに巻き込まれてしまう。だから「いや、この違和感は身体が凝ってるからだろ」「水分不足で筋肉がこわばっているのだ」とか「今日は気圧が低いからなあ」などと何か別の理由のせいにして、出来れば声に出して自分に言い聞かせて立ち向かうことにしている。私の場合背中に違和感を覚えることがあって、なんかムズムズするなあ、と思うとどんどん不穏になってくる。指数関数的に不穏さが増す。

 パニックで医者にかかったことも処方をうけたこともないが、薬そのものより「薬飲んできたしいけそう」という思念、安心感を持つことの方が効果があるのではないだろうか。「救心」が効くとか「命の母」が効くとかいうけど、いかにも効きそうな商品名ではないか。プラシーボ効果を呼び込む思い込みが大切。それから他者の存在。理解のある彼くんでもオタクに優しいギャルでもいい。背中をさすってもらうとか、「大丈夫大丈夫」「一緒に深呼吸しよう」と声をかけてくれる存在。それが居なければ自分の状態を徹底的に客観視すること。……首を絞められてるわけでもない、お腹にナイフが刺さってるわけでもない、毒を飲んだわけでもない。何を焦る必要がある?深呼吸だ。おれは死なない。無敵だ。どこからでもかかってこい。深呼吸だ深呼吸。畳の和室を思い浮かべろ、お風呂の湯船につかっているところを想像しろ。……などと自分に言い聞かせる。パニックに襲われがちな各位、私のパニックは雑魚の下っ端なので皆さんの苦しみとは比べるのも失礼な話ですが、一緒にやっていきましょう。

 

 

*1:食べ過ぎたせいでドーパミンやアドレナリンが出過ぎたのだろう

*2:トイレに行きたいのにすぐに駆け込めないとき、日本人はその時だけ神様に本気でお祈りをするけれど、そのときの精神状態のみ、つまり強烈な焦燥感だけが抽出され何倍にも強められて存在全身に襲い掛かってくる感じ。

*3:漫才コンビ中川家のお兄ちゃんにも京阪電車で各停にしか乗れなかった、というエピソードがあった。その気持ちが少しだけ(私のパニックの方がはるかに軽症なので少しだけ)分かった。