2022年7月のぼやき

 

 お金が減ってくると気持ちの余裕が減ってくるのがどうにも悔しい。「貧すれば鈍する」とはよく言ったもので、確かに貧になれば鈍になる。と、いうことはつまり貧をすると、やがてあるいはすぐさま鈍の状態に陥るということである。

 現状出費の大半が交際費だ。支払いを私がすることを前提とした楽しいおでかけが定期的に開催されていてそれが心底バカバカしく思えてくる。バカバカしく思えてくる事実は心に余裕がない証拠であり、相手が最適でない証拠なのだろう。

 結婚しても重荷が増えないから、いやそれどころか減るから、しきりに結婚したがるんだろうな。こっちは責任が増える立場なので前向きになれない。金だって当然ない。結婚出産子育て家を買うこと車を買うことなどなど人生の必需イベントが贅沢になってしまったこの国で、男の稼ぎに文句は言っても政治に関心を持たないあたりがいかにも女らしい近視眼的な世界観。謹慎期間の近視眼的な近親相姦に親近感。

 結婚式なんつうのは本当はしなくてもいいんだが、やりたがる人たちは周りがやってるからやりたがる。思考停止だ。あるいは幸せな自分をアピールしたいがためにやりたがる。ハリボテに必死になっちゃいけない。頭が弱いから金をジャブジャブ使わないとその場の主役になった気になれないんだろうか。まな板の上のピーマン切ってるときだろうが、上長にニコニコペコペコしてるときだろうが、人はいつだって世界の主役になれるんだよ。

 人生のけじめとか通過儀礼について考えたことあるのかよ。人生の区切りを外的な要因に乞い求めるんじゃあない。ゲームボーイカラーが欲しくなるのはみんなゲームボーイカラーを持ってるからであって、もしかしたら本当に人生に必要なのはワンダースワンカラーかもしれない。

 私の理想の結婚式。13時から始めて26時ぐらいまでやる。スシローあるいはフレッシュネスバーガー(いや、いま書いてて思いついたがドムドムハンバーガーでもいい)を貸し切りにする。ケーキではなく憎たらしい奴に入刀する。スニーカーぐらいの大きさのふわふわとした羊のぬいぐるみを500個、新婦の家族に送る(これは本物の羊の代わりで、嫁を迎える家に充分な富があることを示す意味がある)。地域に住んでいる食べることに困ってる人たちを呼んでチーズバーガーをふるまう(幸せはおすそ分けした方がいいに決まってるので)。引出物は2人の顔がプリントされた誰もが一生使わないであろう平皿(これは直径28センチぐらいある)と、柄杓(柄杓は何かと便利だからだ)と、非常食の詰め合わせ。二次会は家でやる。新郎であるところの私が作ったごちそうを招待客に食べさせ、そしてキンキンに冷えたプレミアムウォッカを飲みかわす。私が作った音楽でズンズンと踊る。夜が終わりそうになるころ、バヤリースと氷結(これは「女と男」を表している)の空き缶をくくりつけたカローラフィールダーで北陸方面に温泉旅行へと旅立つ。天気は今にも泣きだしそうな曇天。参加者はこれが何だったのかがよく飲み込めないまま、どういうテンションでいたらいいのかが終ぞ分からないまま、てんでばらばらに帰っていく。