2022年8月さいしょのつぶやき

 ・学生時代の場面とか空気を思い出すことが増えた、気がする。あの場にいた人とそれを思い出してこうやって文章を書いている人が同一人物であることがやはりどこか信じがたく、改めて自己の連続性というやつの不確かさを感じざるを得ない。当時の自分(私と同じ名前で呼ばれていた人)がとった選択肢と行動は、今の自分にとっては間違いだったり歯がゆいものだったりする。いや、間違いだったと思われる行動についてばかり覚えているのかもだけなのしれない。あの時あの人にああいうようなことを言っていれば今の生活は大きく変わっていたのかもしれない、というかすかな後悔混じりの想像がある。「あの時」は一度きりでそしてごく短い時間だ。ここぞのタイミングは今なんだなと分かっていても行動に移さないことがあったし、そもそもここぞのタイミングに気付いてなかったこともあったんだろう。そして、その手の歯がゆさはたぶん、今の自分に対しても未来から向けられる、向けられている、向けられることになるはずなのだ。