好感に変わる違和感

 

 不快感とまではいかないけれど強烈な違和感を最初に感じたものを、後々好きになるってことがある。これは何度も話したことだし、これからも書かれることだろうけど、僕が初めて意識したそれは砂防堰堤だ。自然の中で溶け込むことなく不気味に佇むそれは子ども心ながらにひどく怖ろしかった。言葉を知るより先に起こったデペイズマンとの邂逅が、芸術にまつわる原体験として鮮烈に焼き付けられた。美的感覚に楔が打ち込まれたような気がしてならない。

 もちろん最近でもそういうものがある。SUVクーペもその一つだ。例えばBMW X4とかMercedes-Benz GLEクーペとか、ああいうカテゴリのクルマ。見た目がめちゃめちゃ気持ち悪い。実物は画像で見るよりもっともっとヘンだ、やけにデカいし。奇形車とでも呼んでやりたくなるような風体をしている。SUVとクーペの悪いところ取りだろと思っていた。けど、いつ頃からか欲しくてたまらない自分がいる。まったく不思議な心境の変化。今でも悪いところ取りだろとは思ってるけど。

 心に与えられる(いくつかの類の)衝撃は、時間が経つにつれ絶対値として処理されるのではないか。つまり最初に与えられたインパクトが正の方向(快)に向いていようが、負の方向(不快)に向いていようが、後からみればその方向(快・不快)ではなく量(好き・嫌い)が重要になってくるのではないか。うまく説明出来なくて歯がゆいけど、右斜め上の線だろうが、左斜め上の線だろうが高さだけみれば変わらない、というような。好きの反対は無関心という言葉があるが、まさしくその通り、好きの反対に嫌いは無く無関心があり、そして嫌いの反対もまた無関心なのだと思う。