失われた午後の楽園

 

 カメラが壊れた。ある朝いつもと同じように、握りなれた造形を手に取ると使えなくなっていた。この機種特有の持病があって、それが夜のうちに発症して自然死したようだった。CANONのEOS55というカメラで、僕は「午後」とか「楽園」(「楽園へ、イオス。」というコピーに由来している)と呼んで連れ歩いていた。なかなか気に入っていたのだ。

 数年前の年末に手に入れた。状態の良さにも関わらず二束三文で売られていた。この時代のカメラにはよくあることだけど、元々気になっていたので良いめぐり合わせだと感じた。今年最後に買った趣味の物になるなと思ったのも覚えている。24ミリか40ミリのレンズをつけて毎日のように使った。日付が濃く太く入るし、ストロボもついてるし、使い勝手がよかった。何より気に入っていたのはデザインで、どことなくキヤノンらしくない、(初期のミノルタαシリーズに似た)直線的な風貌に惹かれた。

 しばらくして、説明書とカタログも揃えた。どちらも必要のないものだ。コレクター的意識を刺激されるほど気に入っていたということである。20年ほど前の製品で、そのうえ中古なのに一度も調子を崩すことなく動いていた。部品取りも兼ねて用意した予備機を人に譲ってしまうぐらい、それは健康そのものだった。壊れるまでは。

 なんだか寂しい7月末だ。7月8月の下旬というのは夏の1日の夕方と相似関係なので寂しい気持ちになるのも自然なことかもしれない。もうEOS55を買うことはないだろうと思いながら最後のフィルムを現像に出した。