鉄砲熱

 

 GLOCK 18Cが出土した。バッテリーで動く遊戯銃である。久しぶりに構えると程よい重量感が手に伝わった。的になりそうなものも肝心のBB弾もなかったので書棚の適当なところに重しのように置いといた。

 18歳未満だった頃はあんなに欲しかったトイガンも、18歳を越えると不思議なぐらいどうでもよくなった。このグロックだって”余熱”で買ったものだし、中学生のころ常に持ち歩いていたピストルたちもとっくに捨てていた。

 

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GLOCK社のGLOCK 18C。カクカクしたシルエットが特徴だ。

 

 が。が!このグロックが出てきたせいで鉄砲熱がじわじわと再燃しつつある。このところどうもエアガンが欲しい。今はイングラムM11が欲しいものリストに入っている。*1 M11は片手でも持てるサイズの”サブマシンガン”というカテゴリで、戦争に行く兵士が持つような”ライフル”とはまた種類が違う。M11は『セーラー服と機関銃』の機関銃よりふた回りほど小ぶりなモデルで、『極道の妻たち』の岩下志麻が葬式会場で乱射してたアレをイメージしてもらうと近い。

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M11。グロック以上にカクカクしている。


 トイガンマニアが新しく銃火器を”調達”するとき大切にするのはやはり「設定」ではないだろうか。自衛隊隊員としてサバイバルゲームに参加したいから89式小銃を買おうとか、PMCになりきりたいからM4のカスタムが要るとか、民兵だからAKがいいな、などと自分と実銃の立ち位置関係を夢想するのだ。これが鉄砲遊びの醍醐味であって、弾が出れば何でもいいなんてことはない。

 私は軍人でも警官でもないし、なりたいという気持ちもない。なんの訓練も受けてないのに階級章をつけるのも変な気分がする。さしずめ郊外型の犯罪者といったところだ。だからM11やそれこそAKあたりのイリーガルな香りのする鉄砲が似合うわけである。

 

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SIG社のSG550。世界で一番美しいアサルトライフルだと思う。

 

(記事中の画像はM11以外Wikipedia、M11は https://guns.fandom.com/wiki/MAC-11 から)

*1:あとベレッタPx4。これは実銃を撃ったことがあり、思い入れがある。それからグロック19も欲しい。M11もだけどシンプルなデザインの銃は好きだ。

2021年1月から2月にかけてのつぶやき

 

 ・三脚とカメラ合わせて10キロを担ぐと足にかかる重力が増しているのが分かる。タコ部屋に入れられた土工は、毎日重いものを担いだために肩の肉が硬く盛り上がったという。ちょうど「神輿こぶ」のようなものだろう。そんな身体には絶対なりたくない。

 ・レンジファインダーに100ミリのレンズを付けて振り回したくなった。小さいカメラでラフにあんまり考えずに撮りたかった。ノーファインダーでぱちぱち撮るならRFカメラがいい。別に一眼レフでも覗かずに撮ればいいわけだが、一眼のノーファインダー撮影ではRFのそれと意味合いが変わってくる。ファインダーから見ているまま——視差無くという意味だ——の風景を記録できる一眼レフは、逆に言えば見ているものしか撮れない。そういったある種の厳格さや精密性から解放されたくもあった。

 ・FUJIFILMの新機種X-E4に60ミリのマクロをつけてパチパチ撮るのも軽快でいいだろうなと空想した。ボディもレンズも良いデザインだ。デジタルだからもっと考えなしに撮れる。

 ・すこし前には——私がEOS 55+EF85mmF1.8の現代版だと思っている——EOS RP+RF85ミリマクロの組み合わせも気になっていた。(カメラのバッテリーが私が持っていないタイプだったので欲しい物リストから消えた)

 

 ・チック・コリアが亡くなった。エレクトリックバンドのファーストアルバム『The Chick Corea Elektric Band』を初めて聴いた日のことはよく覚えている。CDを買って帰って通して聴いていると、「King Cockroach」という曲の最中になんと本物のCockroachが現れたのだ。その前の邂逅がいつだったか思い出せないぐらい久しぶりに、である。この偶然の一致には意味がある気がしてならなかった。運命のめぐり合わせに感嘆しつつ急いで殺したが、今思えばフュージョンが解るCockroachだったのかもしれない。

 アルバムそのものは、シーケンサーのようにカッチリしたグルーヴ、込み入ったフレーズ、テクニカルな演奏、キメにつぐキメ、FM音源の軽薄できらびやかなサウンドと、私が嫌いにならないはずがない内容だった。

 

 ・思い出話。何年か前のある日、外を歩いていた。小学生か幼稚園児かの子どもが列をなして歩きつつ、みんなで歌を歌っていた。「おひげをはやしたおじさんも むかしはこども」という一節が耳をひいた。それはリパブリック讃歌のメロディで、ヨドバシカメラの歌でいうところの「新宿西口駅の前 カメラはヨドバシカメラ」の部分だった。初めて聞く歌詞であって、そしてやけに心を打たれた。♪むっかしはこ~ど~も~!と声を張り上げるキッズたちもいつかおじさんおばさんになるのだなあとしみじみした。これを書いている今も思い出ししみじみをしている。全ての子どもには脅かされたり損なわれたりすることなく思うがままに育ってほしい。

 

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心理カウンセラーはどやこやいう話です

 

 心理カウンセラーの話。

 まず知っておいて欲しいのは”心理カウンセラー”ってのは誰でも勝手に名乗っていいということ。例えば”精神福祉保健士”や”保育士”なんかは資格がない人が勝手に名乗ることが禁じられています。でも”心理カウンセラー”はそうじゃない、つまり”写真家”とか”愛妻家”とかと一緒。勝手に名刺の肩書きにしちゃっても怒られません。

 「経済学部を卒業後、会社員時代にうつ病になり退職。回復後は自分の経験を活かしたいと考え心理カウンセラーになる」みたいな人がインターネット(Twitterアメーバブログなど)に沢山いるけど危険です。「自分がうつ病になった経験を活かし……」「自分/家族がうつ病不登校発達障害に……」活かせると思うな。

 こういう人は基本的に、心理学とかセラピーといったものに対して夢を見ているので危険です。心理学やそれに類するものとの出会い方が宗教体験に近いんです。*1 *2

 そういう人のほとんどは、人格と結びついて密着して離れなくなってどこからが自分でどこからが心理学なのか分からないほど結びついた「技法」ではなくて、頭で覚えた「知識」しか持ち合わせていないです。なので危険。

 で、なにがどう危険かっていうとそんな状態で他人様の心に関わっていくことが危険なんです。自分だけで考えを深めていく分には全くの無害だけど、彼らは傷を得た人と関わっていくからタチが悪い。他人様の心の奥の柔らかくて薄暗くて湿ったところを覗く(そのうえ覗いた後はきちんと閉じないといけない)にはあやうすぎる。「子ども外科医」みたいです。20歳になってから酒やタバコを始めた人みたいな青臭さがある。

 セラピストとしてやっていくうちに、たまたまうまくいくこともあるでしょう。でも何がどう作用してうまくいったか *3の振り返りの精度も低いと思うんですね、専門的なトレーニングを受けてないわけだから。もしかしたら振り返りをしないといけないということにすら考えが及んでないかもしれない。そうなると毎度毎度「たまたま」に賭けることになる。

 河合隼雄だったら「毎度毎度たまたまでええやないか」「僕らの仕事は半分ぐらいは賭けみたいなもんですよ」とか言うかもしれないが、私はそうは思わない。それでは良くない。うまくいかなかったらどうする?何かあった時に医療機関や公的機関につなげるパイプを持ってないのもまた危険です。カウンセラーに限らずリスクが発生した時に被害を最小限に抑えるのもプロの仕事です。そもそも仕事以前にアフターケアぐらいはやるのが大人の行儀ではないでしょうか。

 もし「日本なんとか心理学協会」みたいなところが勝手に作った「なんとかなんとか心理カウンセラー」みたいな資格を10万20万かけて買おうとしているのなら、悪いことは言わない、一旦保留にして、放送大学の傍受から始めなさい。質が高くてタダだから。

 テキストや講師の見栄えがよくても、カウンセリングを取り巻くのはキラキラした世界ではない。人に憎まれることも恨まれることも呪われることもある。これは私の持論だけど、人間が向けられて耐えられる恨みの量は一人分かせいぜい二人分まで。それ以上は耐えられるようには出来ていない。じゃあどうするのといったところも含めて、本職*4のカウンセラーは何年もかけて取っ組み合ってきてるわけです。だから彼らに勝てる訳がない。勝てないとはいっても、そりゃビギナーズラックや大金星は起こり得るだろうけどね。不安定要素の塊である人間同士の関わりなんだから。勝ち負けで判断できるものではないけどね。原則かなうわけがないということです。

 資格商法によって生み出された自称心理カウンセラーの仕事っつーのは「あなたは基本的に人から悪く思われたくないんだけれど、許せないことがあると強く言ってしまって、後から少し後悔するタイプではないですか?」「そんなあなたの前世はチワワです。ラッキーアイテムはピンク色の折りたたみ傘!今日も張り切って、いってらっしゃい!7時30分!7時30分!」ぐらいのもんですよ。それって「やきとりカウンセラー」とかと変わらないわけです。*5

 そんなセミナーや通信教育に金ドブするぐらいならこの記事を書いている私と話をするほうがまだいくらか人格が耕されると思いますよ。1時間2万5千円です。絶賛入会受付中です。ご興味ご関心おありの方はコメント欄まで。今なら金のカウンセリング枕と銀のカウンセリング貯金箱がついてきます。

 

 

*1:自然科学に行き詰まりを感じてオウム真理教に入った高学歴の人なんかもそうだったんだと思う

*2:そこからカウンセラーではなくて、医学部に入り直して精神科医になった、という人がいたらある程度は信用してもいいとは思うけど

*3:本当はそんなもん人間に分かる訳がないですが

*4:心理系学部大学院を出るなど(この「など」にまつわる話は詳しく説明されるべきだけど長くなるので今日はしません)して臨床心理士公認心理師の資格を取った人、と思ってもらえばよいです

*5:やきとりカウンセラーとは焼鳥心理学に基づいて人と関わるセラピストです。焼鳥心理学とは〈かわ/きも〉〈しお/たれ〉の2軸マトリクスで人間を理解しようとする学派です。この話は長くなるので別稿に。

ハッピーバレンタイン!

 2月14日はバレンタインデー!バレンタインデーとはDave Valentinの演奏を聴いて、彼のテクニックや軽快なフレージングを大切な人と確かめ合う日だ。

 Dave Valentinはジャズフルートのレジェンドプレイヤー。”SMAPより再結成してほしいバンド”としてお馴染みSmappiesの一枚目『SMAPPIES - Rhythmsticks』に参加し一曲目でいきなりソロをとっているので、誰しも一度は知らないうちに彼の演奏を聴いているはずである。

 

  「Obsession(Obsesión)」はPedro Floresの楽曲。元々は歌モノらしい。この曲は巨匠Herbie Mannとの共演アルバム『Two Amigos』にも収録されている。


Legends of Jazz: Dave Valentin - Obsession

 

 


Dave Valentin & GRP - Oasis

 ああ~!80年代の音~!(愉悦)

 途中ではパーカッションも叩いている。どの楽器を持っても持ち替えのサブ楽器レベルではなく人を魅せる演奏になっているのは、そもそも身体の中にラテンのリズムが流れ続けているからだろう。この曲はアルバム『Jungle Garden』に収録されている。

 

 

 普段は涼しげな音色に包まれている情熱が時折あふれてくる。これが彼の演奏の特徴だ。とくにこの動画では暑苦しいブラスとの対比で、よりクールにつややかに聞こえる。


"Spain" (Live In Studio) - The GRP All-Star Big Band

 

 笛と名の付くものなら何でも吹いている。


GRP • Dave Valentin - Awakening [Live from The Record Plant 1985]

 


Dave Valentin - Solo Flute

 

 コミカルなステージングは彼が生粋のエンターテイナーであることの現われだと思う。個人的にはなんとなく高田純次を感じる。それにしてもスーツが似合うなあ。


Dave Valentin-Oye Como Va

 

 いかがでしたか。次のホワイトデーにはMaurice Whiteのカリンバ名演奏を紹介したい。うそです、しません。

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Wikipediaの写真からも茶目っ気が感じられる

 

商用車と乗用車のあいだ

 

 それまで好きでも嫌いでもなかったものが急に気になることってない?少し前からそういうモードに入ってて。トヨタカローラフィールダーってなんか良いよなって、具体的に何かあったわけでもないのに思ってる。宝くじ3億円当たったら真っ先に買います。

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https://toyota.jp/corollafielder/より。こういうのでいいんだよこういうので。

 特徴がないのが特徴というかさ。こういうのでいいんだよこういうので。何かが特別秀でてるわけでもないけど、何かが特別劣っているわけでもない。顔がダサいって意見もある。気持ちは分かる。一目惚れはされないだろうけど使ってるうちにまあ愛着わくだろって感じがいい。

 カローラフィールダーって少し前までは乗用車の肩書きを持っていたんだけど、現行モデルはすっかり商用車。プロボックスとかの仲間。で、今はトヨタの乗用車ステーションワゴンにはカローラツーリングっていう垢ぬけたクルマが別に用意されてる。こっちは良いクルマだとかは思わないな。もちろん悪くもないけど。3億円当たっても買わないなあ。

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https://toyota.jp/corollatouring/より。うーんまあ普通にかっこいいですわな。

 

 マクドナルドのCMにホンダのパートナーってクルマが出てた。生産終了してて、わざわざ用意しようと思わないと普通は用意しない車種。だからなんか意図があるのかなって思った。「パートナーとは、さすがマクドナルド分かってるなあ。よし!!ごはんバーガー買うか!!!」と購買意欲を起こす消費者もいるかもしれない。ちなみにその後ろのシルバーのクルマがプロボックス *1です。

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https://www.youtube.com/watch?v=sPjU3h38Alsより

 このパートナーには兄弟というか、ベースになったクルマがあって。エアウェイブっていうんだけどね。左パートナー、右エアウェイブ。元画像はどちらもWikipediaから。よく似てる。

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 日産にADってクルマがあって、それにもウイングロードっていう兄弟がいる。左AD、右ウイングロード。元画像はwikiから。並べてみるとここが違うんだなーってよく分かるよね。

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 なんか……こういう関係・こういうラインナップの仕方って良い。どういいって言えないけど好きだ。乗用車の方の持ち主はどんな気持ちなんだろうね。似た形の商用車が存在してフクザツな気分なのか、それともなんとも思わないのか。

 

 ホンダと日産のこれらはターゲットも仕様もはっきり違ったけど、最初にあげたカローラフィールダーはまだ乗用車感が残ってて好き。ギリギリ家族旅行いけそうじゃない?ダメかな。そりゃカロツーに越したことはないけど。

 でもさフィールダーにはマニュアルがあるんだよ。これであと窓がクルクル方式だったらもう100点満点。ここ最近の私はこういうこと考えてます。

*1:か、双子のサクシード

これを機に駅伝の開催地変えませんか?

 

・去年の12月に

 駅伝のコースにクルマが突っ込んでくるという出来事があった。そのドライバーがつきとめられて書類送検されたというニュースを見た。ネットでは「またプリウスか」「また老害か」みたいな意見が目立ってるけど、全国的なプリウスのコンビニ突撃とか、池袋暴走事件とはバックグラウンドが全然違う。

www.kyoto-np.co.jp

 もちろん今回の出来事はプリウスのドライバーが悪い。そもそも駅伝は迷惑だけどそれはそれ。鬱陶しいからって何やったっていいわけじゃない。

 

・そもそも

 今までこういうことが(自分の知る限り)起こらなかったのが、起こってこなかったのが素晴らしいことだ、とまず思った。警察官とか警備員とかボランティアがちゃんと仕事をしていてえらい、指示に従うドライバーもえらい、当日車を出さなかった人もえらい。色んな人の協力と頑張りで成り立っていた。それでここまでうまくやれてきた。良いことだ。大会運営や選手は「してもらって当たり前」になってないかと胸に手を当てて考えて欲しい。

 今回は不幸中の幸いで事故が起こらずに済んだけど、頭のいかれた人に憎悪を持たれたら生身のランナーなんてひとたまりもないんですよ。2トントラックで突っ込まれて先頭集団片っ端から轢き殺されちゃうかもってところまで想像しないといけない。

 

・駅伝やマラソンは迷惑なんです

 駅伝とかマラソンって冬になるとあるんですけど、住んでて興味ない人間からしたらめちゃめちゃ迷惑。その日仕事がある人にも迷惑。想像以上に色んな人に影響出てます。そのうえSNSで迷惑って言うだけで袋叩きにされる空気すらある。言うだけでだよ。この手の、我慢して当然の風潮とか「他者の不寛容さに対する不寛容さ」みたいなものが、はっきり言って大嫌いだ。

 だからってプリウスで突っ込んでいいわけじゃないけど、明らかに迷惑です。

 「行政とか国家がやることなら大人しく従えよ」みたいな意見もあるけど、それって良い奴隷の思考ですよ。大人しく従え派の人は、住んでる村がダムの底に沈むことになります、とか、空港作るから立ち退いてね、って言われてすんなり応じられるんだろうか。税金20%になっても仕方ないなって受け入れられるの?規模は違うけどベクトルは同じ例え話だよ。公共の福祉って言葉は社会の雰囲気によって強化されるべきではない。何故なら強まる方は簡単だけど弱まることは難しいから。

 「一日ぐらいなら我慢しろよ」みたいな意見もあるけど、だいたいね我慢ってのは自粛と同じで誰かに求められてやることじゃないですよ。色んな理由で車を出さないといけない人、ある時間までのある場所に着かないといけない人、色々それぞれ事情があるわけで。全ての人の全ての用事が必ずしも明日に回せるわけじゃないってことを理解した方が良い。そして自分が我慢できることが人には出来ないって場合もある、ということも。

 「迷惑でもルールは守れよ」、おっしゃる通り。悪法も法じゃないけど今のところは開催して良い大会で、警察官だって出てるんだから早く家に帰りたかろうがルールは守るべき。特にクルマの運転中はセカセカしたりイライラする気持ちをおさえないと。

 

・文句ばっかり言うのも良くないんで代替案を出しますわ

 場所変えません?別に京都市内で市街地でやらなくてもいいじゃん。わざわざ。京都市の北にも南にも、もっと交通量が少なくて封鎖しやすくて人間も走りやすい道がある。周りに人が住んでないような、車なんかめったに通らない道だってある。東京オリンピックが「セルフ経済制裁」なんて揶揄されてたけど、京都市内で開催することにも似たような愚かさを感じています。

 競技場をぐるぐるぐるぐる回るってのは?観戦してる人は初めから終わりまで応援できる。モーターレースだとクローズドなコースで開催されたりする。選手同士がぶつかったりってことは増えるかもしれないけど、プリウスに当たられるよりは絶対マシだよ。救護もしやすいし、競技場に屋根をつければ雨天でも決行できる。観戦者や関係者がその辺にゴミを捨てても掃除が比較的ラク

 もっと大胆なアイデアだけどいっそ公営ギャンブルにしちゃうってのも良いと思うんだよね。出場校ごとに番号振っていって、競馬とか競艇みたいに。番号じゃなくて都道府県名でもいいのか。したら「今年は秋田ー石川ー高知ー長崎のボックスで買ってみるわ」とか言ってワイワイ楽しめる。それなら家でテレビ見る人も増えるだろうし、沿道で応援する人もぐっと増えるだろうし、今よりもっと多くの人が興味を持つようになるはずだ。金稼ぎと絡めると健全で崇高なスポーツ精神がどうとか言う人もいるだろうけど、そもそも公道を封鎖してる時点でそんな綺麗ごと宣うことは許されませんからね!

 

・最後に……

 冒頭で紹介した記事から、事務局のコメントを引用したい。

全国高校駅伝の大会事務局は「警察官が制止しており、あの横切りはあり得ない。選手が事故に遭う恐れもあり、試合成立に関わる問題だった。ドライバーは選手のためにもマナーを守ってほしい」としている。

 「してもらって当たり前」になってないですか?

大切な人います?

 

 「コロナウイルスから大切な人を守るために〇〇を心掛けよう」というような文章を見かける。大切な人を感染させないために、マスクをしようとか不要不急の外出を控えようとか手洗いうがいを徹底しようとかいう呼びかけなんだけど。なんか引っかかってて。大切な人が誰にでもいる前提なのかよって。

 いない人はどうすりゃいいの。マスクしなくてもいいの?飲み歩いてもいいの?

 ……まあ、大切な人がいる誰か他人の為、誰かの大切な人である誰か他人のために色々と心がければいいんだろうけど。そんな人間が出来た人おります?聖人じゃん。

 すごく非科学的で根拠のないことを言うけど、社会がここまでコロナに苦しめられてるのって今まで大切な人がいない人のことを一切考えてなかったツケだよ。なんかそう思えてならないんだ。人生がどうでもいい人は他人の人生だってどうでもいいんだから。そりゃマスクなしで遊びまわったりするでしょうよ。いや言い過ぎた。ツケだってのは呪い過ぎとしても構造的欠陥の顕在化、あるいは想像するいいキッカケ、ではある。

 でも社会は大切な人がいない人を積極的に排斥しようと考えてなかった訳じゃないんだよね。そんな人いるなんて思いもよらなかったのが本当のところだろう。悪気の無い、「大切な人がいない奴なんてマジでいるんですか?」「誰の大切な人でもない奴なんていないでしょ」みたいなナチュラルな、邪悪な無邪気さでもって、彼らの存在を想像することが全く選択の範囲外にあったんだろう。そして未だにそういう能天気さと想像力の無さに浸っているからこそ、冒頭の文章のようなことが言えるわけで。

 これって無敵の人を見ないふりして社会の輪から遠ざけた結果、事件を起こされる(社会に逆襲される)のと似た構造だと思うんだよね。社会は常に無敵の人に狙われている。ほとんどの人は何か事件が起こるまでそんなこと考えもしない。かりそめの平穏はしばしばかき乱される。それら無敵の人が起こす事件は(当然のことながら)全てではないにしろ、身から出た錆に近いものだと私は考えている。本当にそうだと思ってるよ、別にこれで炎上しても構わない。

 無敵の人のなかに巣食う生きづらさと居心地の悪さをやわらげてあげるためなら、優しさや隣人愛も、もっと打算的に使われてもいい。学校や職場で気に食わない奴をいじめないとか、町で見た変な奴を盗撮してネットに上げないこととか、電車の中でくすくす笑わないこととかって結局自分たちを守る術でもある。それこそ大切な人を守るための行動だ。

 話がそれちゃったけど、大切な人がいる人もいない人も、自分と反対側にいる人のことを想像してみるのもたまにはええんとちゃうか、と、そういうことですね。無敵の人各位も、死なばもろともみたいなのは知らない誰かのためにもやめませんか。それにいざコロナにかかったら苦しいのは大切な人いな(くて誰にも大切に思われてな)い人の方なんだよ。誰にもポカリとか買ってきてもらえない訳だし。