このところため息といっしょに出た言葉たち

 

 ・ショートホープを「短い希望」「つかの間の希望」と訳する態度には前提として厭世があるのではないだろうか、とふと思った。たばこに火が着いて煙がのぼっている間には、いやその間にのみささやかな救済があってあとの人生時間は暗澹たるものだという世界観が。

 ・明らかに自殺するタイミングを失ってしまった感がある。一番空気がきれいだった時を逃がしてしまった、ことに気付くのも遅かった。世の中に数ある手遅れのなかでも上位にあるダサい手遅れだ。「もうええな!ええ、ええ。よう頑張ったよ!はいおしまい!このへんでやめとこか、人生!な!ほな、お先に失礼します!」と叫んで終わりにしたい。

 ・「死はゼロに戻す現象なので、生きることが喜びである人間にとっては下降であり恐怖、生きることが苦しみである人間にとっては上昇であり救済」みたいな言説を思い出した。考え方の1つだな。

 

 

 ・なんというか、物心ついてからずっとうんざりし続けているので、うんざりすることにもうんざりしてしまった。…………だったらここらで趣向を変えて前向きにやってみますか!……って、なるか!!

 ・時おり「何がだめだったのか」「どうしてこうなってしまったのか」と考えている。くせになっているらしい。あるとき気付いたのが過去形で語っている、ということ。自分を過去形で語るようになったら人間はおしまい。これが「どうしてこうなっているのか」となれば、次は「じゃあこうすればいいのでは」「こうしてみてはどうだ」と、好転のしっぽが掴めるようになる。はず。きっと。

 ・今の私は少しずつ沈んでいる大型客船を洗面器ひとつでどうにかしようとしている。あるいは沈んでいることに気付かないふり、見ないふりをして洗面器に石鹸やタオルを入れてみたりしている。姑息的治療でだましだましやっている。うまくやれているフリばかりが上手くなる。

 ・一日一匹木桶に、魚の死骸を放り込んでるみたいな毎日。出来損ないの魚醤みたいなどろどろとした感情が底に沈殿して堆積している。暗澹たる気分は心の底から身体の各部すみずみへと行き渡るうちに心身にがっちりとこびりついてしまった。配管の汚れみたいに。どこをどう切っても腐臭がする最悪のイカめしが服を着て歩いていたら、それは私だ。

 

 ・過去のメモ「今日が一番マシ。明日はまた悪くなる。少しでもいいうちに終わらせたい」「せめてきれいなかたちで終わらせたいという自己愛」

 

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