『秒速5センチメートル』のこと

 

 ある物語(=人生)が喜劇か悲劇か、というのは観客(=他者)が決めること。その物語がハッピーかバッドかというのは登場人物(=自分)が決めること。なのかもしれない。ふとそう思った。2組の対立概念はねじれの関係。あるいはマトリクス図の縦と横。

 で登場人物(=自分)がそのあたり(=現状認識、自己客観視)を取り違えると「笑わせているつもりが笑われていた」「悲劇のつもりで生きてたけど喜劇だった」みたいなことが起こるのかもしれない。と思うんだよね。

 いいや、そんなことはない、「喜劇なんて主観さ」という意見もあるだろうけど。

 


 私も『君の名は。』が『秒速5センチメートル』みたいなすれ違いで終わらなくてよかったと思った観客の一人だった。だって一流のバッドエンドより三流のハッピーエンドを求める小市民だもの……

 映画『秒速5センチメートル』なんだけどね。主人公の貴樹がいつまでも子どもの頃の恋心を引きずっているのが何ともつらくかなしい……言葉を選ばなければ痛々しいお話。でもそれが喜劇(笑いもの)にならなかったのは——終始画面が美麗だったから、うそ——最後に想いを”自分で”断ち切ることが出来たから(こういう想いを捨てさせてくれる大人が全く別のアニメに出てくる。後述)だと思うんよ。貴樹くん名前の字面は喜劇っぽいのにね。

 つまるところ『秒速』って、「幼い頃の恋を忘れられずに引きずる男が、大人になってしばらくしてやっとそれを過去のものに出来る」というそれだけの話です。ただそれだけの話なのに、なぜ多くの人を惹きつけるんでしょうね。

 『秒速』本編3部作には明里のほかにあと2人、貴樹をとりまく女性が登場する。そのうち1人は貴樹と恋人の関係に。でも貴樹は『ノルウェイの森』のワタナベくんのように、心同士の繋がりを(明里のことを想い続けるがゆえに、無意識的に)拒否っちゃう。「相手の顔じゃなくて、その向こうのホテルの壁見つめてる」的うわの空状態が、看過できないレベルで続いてたんだろうね、憶測ですけど。

 で、明里は別の男とくっつきます。でもここで観客諸兄は「え?寝取られ?!」とか言うべきじゃなくて(そう言うピュアさは大切にすべきだとも思うけど)。これが社会の、生物の摂理なんだよね。むしろやや批判的に注目すべきなのは「昔両想いだったしこっちがずっと想い続けてんだし向こうも想い続けてるだろう」という童貞的……とも言い捨てられない悲しき男の性みたいな希望的観測風マインド。女性はその手の変な義理堅さみたいなのは持ってないから。想い続けてた、は、何かをした、のうちに入りませんからね。 *1

 それに貴樹のイメージの中で生きる明里はむかしの姿のままだろうけど、現実の明里はどんどんアップデートされていってるわけでして。ラストシーン、貴樹は踏切の向こう側に現実の、最新版の明里の姿を見る。ここで過去の幻影が振り払われた。幻影と同時に「明里が好きな自分」とも別れることが出来た。過去の恋愛は過去の美しい思い出としてアーカイブ保存にして終了、貴樹が次に進むことが示されて物語は結末を迎える。踏切はあちらとこちらをへだてるモチーフ、そこを恋人たちの距離を縮める手段である列車が駆け抜けて、走り去っていくわけです。

 『秒速』は貴樹によって喜劇になることが回避された物語。そしてその結末はハッピー(に向いた)エンド。この2人はもう会うことはないように思える。広い広い大都会東京で奇跡は2度も起きない。奇跡的に2度起きたのが『君の名は。

 《向いのホーム 路地裏の窓 こんなとこにいるはずもないのに♪》そうだよ、いないんだよ、分かってるけど探しちゃう。分かってるけど探しちゃう人がこの映画に惹かれるんだろうか。ほんとに心の、青臭くて生暖かく湿ったところをマチ針でつつくような映画だよね。観た後2ミリほど落ち込むし、なのにまた観ちゃう。どうでもいいけどメール1000回で1センチって何速何センチメートルなんだろうね。

 

 

 

 後述ここから。

 先ほどちらっと述べた、想いを断ち切る手伝いをしてくれる大人をご紹介します。それが『機動警察パトレイバー』に登場する警察官、後藤隊長。次の段落は彼の名シーン、失恋して大騒動を起こした犯人に対する呼びかけ。途中にはさまる犯人の返答は省略してます。

 「やめなさいって。女なんて広い世間いっぱいいるじゃないの。みんなそう思うの、フラれた時には特に。あいつしかいないって。俺にはあいつだけだったって。あいつと一緒になれない世の中なんかぶち壊して死んでやるって。そういう自分を見ればきっとあいつも俺って男をふったことを悔やむだろうって。でもそれは間違いなわけ。そういうことは全然ないわけ。バカな男のバカな死が、三面記事を飾り立て、世間の物笑いの種になる頃、女は別の男と引っ付いて、子供コロコロ産んじゃって、自転車に乗っけて買い物なんか行ったりして、塾なんかに行かしたりして。それで世の中、収まったりするわけ。バカバカしいと思うだろう?」

 この犯人も自分は悲劇の登場人物だと思っている人。それを後藤隊長は喜劇(三面記事を飾る、世間の物笑いの種)にしかならないよ。だからやめなさいよ。と説得(?)するわけである。こうやって優しく冷や水をぶっかけてくれる大人って貴重よね。

 『秒速』の貴樹も二三歩間違えてれば喜劇の主人公の悪い大人になってた。多分ハッカーとかクラッカーとかいうやつに。核ミサイルの弾道を変えたりしてたね。間違いない。

*1:この辺の生々しさというか甘えみたいなのが気持ち悪いって女性も多いんじゃないかなと勝手に思ってるんだよね。だから、こんなにメジャーな作品になってテレビで放映されたりして世間に馴染んでるのが本当に不思議。