不器用になりたいとか言って

 

 不器用になりたい。「多芸は無芸」の逆をいきたい。色んなことに手を出してどれも中途半端になってしまっている。器用貧乏に陥ってしまっている。「これ!」というものが無いまま、ここまで来てしまった気がする。「何でも出来るのは何にも出来ないと同じ」というような言葉が、時折私の心をちくちくと突いてくる。

 色んなことに手を出すことは決して悪いことではない。ある分野と、全く違う分野とで近い構造をとっている事実に気付いたり、あるいは理解の助けになることがある場合がある。全く違う領域にある点と点が繋がったりして、ひらめきの快感が走ることがある。ただし問題なのはあらゆるリソースには限りがあるということ。自分は1人しかいなくて、1日は24時間しかないということ。

 若いうちはあれやってこれにも手を出してってしたくなるんだと思う。若者は多分そういう風に出来ているんだろう。

 例えばサックスの話。アマチュアでもソプラノからバリトンまで持ってて、そして吹き分けるという人がいる。一番モノにしているのは(ソプラノ・アルト・テナー・バリトンのうち)どれ?と訊きたくなる。自分のスタイルが確立されないうちにあれこれ手を出すと後から困る気がする。手を出せる環境にあるのもまた不幸だと感じる。スタジオミュージシャンじゃないんだから、便利屋になってはいけないとぼんやり思う。

 それからレンズの話。最初からズームレンズを使う人と例えば50ミリの単焦点をずっと使い続けている人とでは画角に対する敏感さが違う。後者がその経験を土台にしてズームレンズを使用すれば、前者に比べて無駄なくその性能を生かすことだろう。それは「50ミリ」という基準を持っているからだ。基準点を持たないまま画角に取り組むのは、これもやっぱり不幸なことだと私は個人的に思うのだ。

 「自分にはこれしかない」というのは強い。そこに向かうために、私は捨てることをしなくてはならない。

 

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