コスパコスパうるさいなー

 

 なんだか最近は何かにつけてコスパが重視されますね!怒り。投じた費用と得られた効果を比べるわけですけど、そこまで気にする必要あるのかと思うこともしばしばです。国が貧乏になってきたからか安いものばっかりもてはやされていて、そんな状況を見ているとこっちの心まで貧しくなりそう。安くてすぐに酔えるお酒とかね!そういうものの蔓延、社会崩壊の黄色信号に思えてしかたない。心配しすぎかな。

 よーく考えてみましょうよ。本当に「コスパが良い」というのは単に安いことじゃなくて、値段の割には優れているってことでしょ。安いものをいたずらに褒めるための言わば安価礼讃の麗句ではないのです。コスはええけどパはどやねん、ということです。パフォーマンスは!良くて安いものは素晴らしいと思うけどそんなものばっかりでもないじゃない。どんなものにしろ安かろう悪かろうは絶対ある。というか、安いものは悪いのが当然ぐらいの気持ちでいないと。経済の自然ってそうじゃないの?牛丼屋の店員さんに料亭の接客を求めてはいけないのと同じです。良い思いをしたかったら高い金を払うべき。

 安いものを買うことで、ケチったその差額を気持ちで払っているような気がする最近。つまり心の豊かさを削っているような気がしてならないのです。その心の豊かさなるものが有限なのか無限なのか、どうすれば増えるのか減るのかはここでは深くは追究しないことにするけれど。何かが失われているように感じるの。だからそういう僕みたいな人は一定以上の物を買うのが心の健康のためにもいいと思う。ブラジル産の鶏肉とかは避けた方がいいの。

 何も高い物ばっかり買えと言っているわけじゃないんです。そうじゃなくて良い思いをしたかったら、それなりのお金を払いませんかと言いたいのです。あんまりお金を出さないのに良い思いを求めるのはあさましくないですか?あさましいです。日本円より大切なものを失っています。心は錦でありたい。心の持ち様ひとつで変わるなら、こんなにパがいいことってないです。話は戻って、良い物にお金をかけるとやっぱり良い気持ちする。お金じゃぶじゃぶ使うと脳内麻薬もドバドバ出るしね。いやそういうことじゃなくて。ちょっとそういうことでもあるんだけど。

 本当にコスパを追い求めたかったら今すぐに死んだほうがいいです。前にも書いたかもだけど合理的をどんどん追及していくと死んだ方がいいということになる。人間は合理的に出来てないし、コスパがめちゃめちゃ悪い生き物だと思う。だからこそ素晴らしいというところもあると思うんだけど。自分に合ったほどほどを見つけないとね。

 人間(の心)は無駄の塊だけど、一方で無駄は贅沢でもある。贅沢しましょ贅沢。それから、モノよりコト(体験)にお金を使うこと。僕はこれを意識してから質オブ人生が高まりました!

 

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