お金がないことよりも無いと思うことの方が苦しい

 

 別にお金なんかなくっても生きていけるはずなんだよ本当は。鯉とか鹿は所持金ゼロ円でもやっていけてるんだし。人間に(日本人に)生まれてしまったばかりに貨幣経済のシステムの中にすっかり組み込まれてしまった。

 時々「私はお金しか信用出来ない」みたいなことを「他に何にも信用できない」という意味で言う人がいる。でもお金を信用してるってことは日本銀行も政府も信用してるってことじゃないのか。国や政府まで信用出来てるなんて幸せなことだと思うけど。

 お金なんて案外もろいものだと思う。そもそも取り決めの上に成り立っているものは常に崩壊の危険性を孕んでいる。ドイツでハイパーインフレが起こった時、子どもたちは本物のお札で遊んでいたというのは有名な話だけど、当時お金を妄信していた人はどうしたのだろう。彼らはもう一度世界観を構築しなおさないといけなかったのではないだろうか。インフレなんかに価値観を変えられてはいけない。これは理想だけど。例えデノミが起こったとしても、変わらない自然の営みを美しいと感じる感性や心がある(/持っている)ことが真実の価値。であるはず。

 お金しか信用できない人は自分も信用できないのだろうか。それはなんとなくむなしいことだと感じる。時々、自分自身を信用できなくなった人に一体何ができるだろうかと考えることがある。国や政府なんかより自分を信用する方がよっぽど大切なのに、それが難しいというのは。むずかしいことだ。

 お金がないことそのものより、「お金がないんだな」という認識が生まれること、そしてそれに対して感情が起こることの方がよっぽど苦しい。あんな数字が書いた紙切れの枚数なんかに気分を左右される自分が情けなくなる。

 逆の場合もそうだ。手持ちが多い時に湧いてくる万能感や全能感の萌芽。本当に情けない。お金だけじゃない、ステータスシンボルも同じ。
 何か、特に物質に依拠した自己肯定感や万能感は偽物だ。それらは弱い人間の為の麻薬だ(他者がどのような人間であろうとなかろうと当人の自由だし、僕に非難する権利はない)。真実の自己肯定感というものは自己存在そのものからすくすくと、適度に湧いてくるものだと信じたい。これは全くの理想論なんだけど。でもやっぱり、動物じゃなくて人間に生まれたからにはこのようにありたい。

 とは言うものの僕はまだまだ弱い人間なので、胸を張って通りを歩くため財布には常に300万円ほど入れることにしている。ポケットが膨らんで仕方ない。