2024年1月のつぶやき

 

 ・私にしては珍しくニュースで心を揺さぶられたのと年末年始の気疲れで1月の1週目は精神の具合が悪かった。

 ・元日に能登半島で大きな地震があった。こんなに悪い始まり方をした年はない。亡くなった人の多さ、被害の大きさにただただ黙りこくることしか出来ない。今、私の大好きな石川県はどうなっているのだろうか。

 

 ・大地震があったのに駅伝をやっていて気楽なものだなあと心底思うが、やめたところで何かが良くなるわけでもないのかもしれない。あんまりこういうこと言うと不謹慎厨だみたいなレッテルを貼られそうだから言わないようにしてるんだけど。でも、じゃ一体何が起こったら駅伝とかマラソンは中止になるんだろう。中国や韓国が攻めてきても無邪気にかけっこやってんのかな。

 

 ・他者を深く知ろうとしなくなっていたことに気付いた。この人はこういう性質なのかな、などと色々考えてみることとか。しなくなっていた。「仮説ならいいけど『こういうタイプだ』と断定してしまうと、そこから不幸が始まるというか、現実と考えが解離していってしまう」、みたいなことも思い直す機会が減った。

 いや、もしかしたら、深く知りたいという人にそもそも出会わなくなっただけなのかもしれない。

 

 ・ポストアポカリプス漫画『ウスズミの果て』を読んだ。ミリタリー要素がちらほら。ヨコ買いよりシビアな世界らしい。

 

 ・MAZDA6日本国内生産販売終了。マツダのフラッグシップはどの車種になるのだろう。それから新品で買える国産ステーションワゴンがまた1車種消えたことになる。

 

 ・「機動戦士ガンダム 水星の魔女~アスティカシア高等専門学園 ラジオ委員会~」放送終了。よく続いたなあ。ほとんど全部の回聴いた気がする。

 

 ・久しぶりに入ったハードオフで美品のYAMAHA SY55を見た。ボタンのクリック感が健在で鍵盤の黄ばみも無くて思わず買いそうになった。

 が、私はすでにTG55を所有していたことを思い出してやめにした。TG55を持っていることはSY55を買わない理由には本当はならないのだが……(むしろSYを買い増す理由にすらなり得る)

 遠い昔――まだYahoo!ジオシティーズがバリバリに生きていた頃――個人のサイトでSY55を「ヤマハのM1だ」と評しているのを読んだ。数年前にTG55を手に入れたときその表現は的を射ていると思ったものだ。それをなぞって今ここで言いたい。TG55はヤマハのM3Rだと。

 しばらく電源を入れていないTG55のことを思い出してきた(もしかしたら電池が死んでいるかもしれない)。音色の並びがぐちゃぐちゃだったこと。確かピアノの次がいきなりパッド系だった。そのパッド系の音がやけに壮大で暗いこと。それはポピュラー音楽よりダークアンビエントに使い勝手がよさそうなサウンドだった。ビット数の問題もあるんだろうけどヤマハにしては線が太くて存在感のある、混ざるよりは立つ音色が多いという印象がある。そのあたりにもコルグを感じるのかもしれない。

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 デモソングが全然楽しくなさそうで笑う。なんかシリアス。最初の4秒ぐらい真・女神転生を感じる。ヤマハのシンセのデモソングって大体パターンが決まってるのに(暴言)、このSY55は例外らしい。最初はピアノかオーケストラのストリングスから始まって、軽快なジャズのズンチャズンチャって小粋なパートがあって、一転ハードロックになったり、それっぽいサンバになったり、近未来的なシンセサウンドにもなったりしちゃったりして、最後にはドラムとSEが絡んで……みたいな感じ。ほとんどの機材がそんな感じ(暴言)。「楽しいパーティ」って感じなのに。

 

 ・ヤマハから新しいガジェット「SEQTRAK」が発売されるという。AWMに加えてなんと4オペのFM音源まで積んでいるらしい。これまで他のメーカーからはこの手の機材がリリースされていたもののヤマハには無かったわけで、大歓迎だ。QY100の後継機はこれでいいんですかね?私は旧式で頑迷な人間なのでパラアウトでないことが引っかかっている。

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 ・年末に閉店したという飲食店の前に自由に持って帰ってくださいコーナーが出現していた。新年早々ラッキーだ。「アサヒビール」の裏面に「三ツ矢サイダー」と彫ってある栓抜きを持ち去る。一般には流通しない飲食店向け業務用のアイテムなのではないかと思われる。今年はこれを持ち歩くことに決めた。

 

 ・最寄りのショッピングモールを歩いているとき、今自分がどのモールにいるのか分からなくなることがあった。その空間認識の混乱が心地よかった。

 

 ・新興宗教のことを調べていた。宗教の信者というのは心に留め置いておく、救いに近づくための一節を持っている人種なんだろう。私にとっての宗教的な色合いを持った一節あるいは指針というのはJAGATARAの「もうがまんできない」の歌詞かもしれない。

ちょっとのひずみなら何とかやれる ちょっとのひずみならば

がまん次第で何とかやれる 日々の暮らしには辛抱が大切だから

心のもちようさ

心のもちようさ 心のもちようさ

心のもちようさ 心のもちようさ

 

 ・1年のうち最も寒いのはいつなんだろう。多分今ごろなんだろうなと思った1月下旬だった。日差しがもう春めいてすらいる瞬間はあったが、太陽の暖かさはまだまだ希少だ。

 

 ・一年の計は元旦にありじゃないけど1月はその年の小さい相似だと思った。これは「結局ファーストアルバムにそのミュージシャンの全てが詰まっている論」と似ているかもしれない。私はこの1月、ミスドにも31にもジョリパにもロイホ行けなかった。2024年丸ごとそうなってしまいそうで怖ろしいのだ。