精神をぼやかして

 

 労働に手を染めてフルタイムワーカーになると人は心を殺すこと/考えないようにすること、が上手くなるようだ。上手くなるというよりはもしかしたら条件なのかもしれない。労働者として世を渡る能力と引き換えに宝石のような何かを捨てるのかもしれない。働かなくてもいい身分にあった頃に唯一無二の他の誰とも似ていない、美しい感性や美しい思考のくせを持っていた人が、社会と混ざり合ってそれらをスポイルさせていく(されていく/させられていく)さまを見知りするとき、私は珍しく怒りを露わにする。怒りと憤りと悲しみが混ざった炎を噴き上げる。国家の運営の杜撰さに対する怒り、経済のシステムに対する怒りだ。

 すし詰め状態の満員電車の中で心を「無」にする労働者。彼ら彼女らはイヤホンから注がれる音楽をすがるように聴きながら意識を飛ばしたり感情を殺したりぼやかしたりしている。彼らは通勤中において例えば幼いころ描いた将来の夢や何もせず何も考えずとも存在することを許された時代、について思い出すことはしない。その蓋をあけると心の柔らかくて温かい部分が現実に曝されてしまうからだ。そして自らの人権が毎朝蹂躙されている事実に刺し殺されてしまうはずだからだ。彼らはそれを知らずして知っている。毎朝毎晩少しずつ摩耗していく定期券や靴やらに、心が仲間入りすることを人間の本能は拒否する。代替可能な部品として壊れれば交換される人員であると人間の心は思いたがらない。群集の構成要素でしかない通勤者たち、彼らもかつては一人一人がその人らしさを完全に備えた存在だった。景色や背景ではなく主題だった。その真実について思いを巡らせるとき私はつらく悲しい暗い気持ちになる。このやり場のない、張り巡らせ過ぎの観念をどこに捨てればいい?

 

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