・原付で5時間ほど走った。車では何度も通っている、よく知っているルート。それでも新しい発見はあった。
・お墓参りに行った。古い花を捨てた。
・乗っていた新幹線が止まるということがあった。ずっと先を走っている列車が豪雨で運転見合わせをしている余波だという。予定が詰まっていたからオンタイムで到着してもらわないと大変困るのだが、すごい密に走らせているんだなとのんきにも感心した。
窓からは軽自動車が入るか入らないかぐらいの農機具小屋が見えた。そして趣味の延長ぐらいの規模の畑と住宅地。古い家ばかりではない、築10年20年ぐらいであろう家もある。奥には低山。全く手入れがされていないというわけではないが自然のままという趣があった。運転再開は2時間後だという。今回は窓際の席にしといてよかったし、喫煙スペースがなくて残念だった。
東海道新幹線開業前には大阪東京間に在来線特急が走っていたわけだが、所要時間は6時間50分だったという。それに比べれば新幹線2時間半の1時間半遅れなんて些事だ。
・空港に行くことがあった。ドラマ「やまとなでしこ」のサントラやらMISIAの「EVERYTHING」を聴いたりしていた。メロトロンぽいフルートの牧歌的な音がその時の光景に、つまり複雑で高い秋の空に合っている気がした。少しずつ落ちていく太陽がもたらすその日最後のうららかさを身体に受けていた。昔、中川家の剛さんが「入院してると太陽の光が沁みるのよ」みたいなことを言っていたのを思い出した。
何故か、散歩を少しだけした入院患者のような心持ちになっていた。それは病んでいるからではなくて太陽光線が温かく優しくてどことなく神々しかったから。
・韜晦ぐせがひどくなった。私のことをよく見て観察する人、知ろうとする(知ろうとしてくれている)人からの質問の投網を習性めいて軽やかにすり抜けようとしてしまっている。私は私のことを知られたくないのだろうか。
でも多分そうじゃない。自分のことを分かってくれている人といるのは心地いいし、知ろうとしてくれている他者がいるのは幸せなことだと思う。なのになぜ。見透かされるのが怖いのか。いやそうでもない。見透かされたようなことを言われるのがシャクだからだ。あまのじゃくからくるクセ。
・動作に支障が出るレベルの高熱と関節痛。後から思えば前日の喉痛が前兆だった。たまらず病院に行く。インフルでもコロナでもなかった。でも喉を中心にウイルスが暴れているらしかった。採血される。手汗じんわり。どっさりと抗生物質をもらう。それから1週間毎食後に合計6錠ぐらい飲んだ。
・お気に入りだった散髪屋さんが11月末で営業終了。最後の散髪に行った。また色々な話を聞かせてもらった。床屋さんと千円カットの違い。職人は最初の5年で腕が決まる。ご主人が床屋さんをやめた後のこと。
・「どうぶつの森 ポケットキャンプ」サービス終了。
・カメラホルスターとかズームバッグと呼ばれるタイプのカバンをふらっと買ってしまう。
・ドライヤー買い替え。壊れたものとほとんど同じ形の後継機をえらんだ。
・おでかけ。駄菓子屋。射的。ゲーセン。
・ある男が玩具問屋で日本人形をもらってくるところから始まる話をかんがえていた。まだまだブラッシュアップの余地はある。
・右脳で感じ取っても左脳で考え出しても算出結果として自殺を導きだす冷静さ。毎日毎朝の激鬱に、荘厳さと数グラム分の気高さを縁取ってくれるVガンダムのサントラ。