・存在を半ば忘れるほど死蔵していたアブソルート ヴァニリアを減らし始めた。ウォッカらしいキレがありつつもわざとらしいほどにバニラフレーバー。香りは甘いのに味は甘くないフシギさが楽しい。飲みやすくてなかなかうまい。コーラで割るとコーラフロートぽい味になる。ごくごく飲める。そのうちメロンソーダで割ってみたい。
やっぱりウォッカにも良い悪いがあるな。アブソルートは良い。身体に入るとわずかに筋肉をゆるませて、冬の外気にスッと抜けていく。
・Twitterで、ある作曲家が話題になっていた。上から目線の尊大な物言いによってだ。それらのツイートにはくせになる痛恥ずかしさがあって、当時のフォロワーと笑いのタネにした。
と、いうのがほぼ10年前のこと。先月その作曲家が亡くなったらしい。訃報によって彼のことを思い出した。そしてからああやって笑いあっていたのが10年前だと知らされた。
・猫カフェに行った。雑居ビルの10帖ぐらいのスペースに結構な数の猫がいた。大学時代に顔を覚えられていた野良猫*1によく似た猫がいたので、私は始終そのそばにいた。彼は大人しく黙って撫でられていた。あまり目は合わなかった気がする。
・12月も崎谷健次郎のアルバム『DIFFERENCE』を隙があれば聞いていた。下旬は辛島美登里の「星空のクリスマス・パーティー」をヘビロテしていた。
・「ヨコハマ買い出し紀行 芦奈野ひとし画集」が復刊されると知った。これは嬉しい大ニュースだ。すぐに注文する。商品が届くまで力強く待つ。
・『少年Aこの子を産んで』を数年ぶりに再読。少年Aの父親の手記が胸にのこった。少年Aの弟達のために思い切ってサッカーボールを買いに行く場面だ。以下引用。「誰かに会ったらどうしよう、と他人の眼を気にしながら何時間も歩き回り、やっとの思いでボール一個を買う」引用ここまで。父親の心境を想像するだけでつらくなる。言うまでもなく殺された子どもの親はその何万倍も苦しんでいるわけだが。
自分自身がいつ少年Aになってもおかしくない子どもだったことを振り返りつつ、身内を加害者家族にしなくてよかったなあと改めて安堵した。自分の言動なり振る舞いが犯罪を起こした瞬間なり事実へと収斂あるいは結実していかなくてよかった。そういう文脈へと回収されていかなくてよかった。「あの子はおかしかった」「変な子だった」「暴力的だった」などと、薄い顔見知りが訳知り顔でインタビューに答えることがなくてよかった。
いくつもの「もし」を潜り抜けて立派な善良市民へと成長した自分に乾杯したい。今きみは人生の大きな大きな舞台に立ったり立たなかったりしたりなんかしちゃってね。環境と全ての出会いに感謝。そして自分の我慢強さに手放しで称賛をおくりたい。今年2023年だってそう。誰一人殺すことなく終えることが出来た。ありがとうございました。
*1:私はその猫を体色にちなんで「厚揚げ」と呼んでいた