24ミリの話

 

 ライカ判24ミリという画角は広角に分類される。今でこそ標準ズームの広角端、でも僕にとっては特殊な感じがする。これは古い人間の感覚なのかもしれない。そして未だに慣れない。僕は28ミリレンズさえあればどこへでも行けて一通りのことはまあできる。28ミリのまなざしは血が通った、温かい感じがする。きつねうどんみたいな画角だ。一方、そこから4ミリ広い24ミリレンズだけ持って家を出ると、足がつかないところまで泳いできてしまったような、なんとなく不安な気分で歩くことになる。24ミリはセロリみたいな画角だ。

 24ミリの画角には「茫洋」という単語がぴったり当てはまる。うわの空で、見るともなしに見る、茫漠とした目。それから「現代的」という言葉とも近い感覚がある。僕はクレバスを切り開く道具として使うことが多い。

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 都市の切れ目をクレバスと呼んでいる。24ミリのレンズを使うと、らしくなる。

 

 

 最後に、前に書いた「24の生活」という文章を手直しして再掲する。

『 24歳の24時間を24ミリレンズで(24枚撮りフィルムに)記録する。これが「24の生活」と題した写真行動。

 ある頃から、何でもない日にこそ写真を撮っておかないといけないと思うようになった。人生というものは強く記憶に残る日より、何かを見ないと思い出せない日の方が圧倒的に多い。ので、思い出しの助けも兼ねて「24の生活」は行われる。絵日記の絵と同じ。何気ない日常は脳みそに残りにくいので、これを記録することを怠ってしまうと後から振り返った時その日々をどのように生きていたかが分からなくなってしまう。思い出せないとその時に自分が本当に存在していたか自信がなくなる(し、思い出せることが少ないと人生が薄かった気がしてくる)ので出来るだけ毎日写真を撮っている。』