2022年の雑多な所感

 

 銭湯の湯船でG-SHOCKの文字盤を見る、お香をたく、新しい曲に出会う、お気に入りの曲を聴く、楽器を演奏する…………一瞬一瞬の”快”を、それこそ煙のように次の瞬間には消滅しているような”快”を辿り辿りして生きていくしかないのだろうか、ないのだろう。

 人生を変えるためには住む場所と、あと、なんだった?仕事?と付き合う人?を変えるといいとかよくないとかって話があるけど、まあ、なんにせよ、変わりました。2022年に。写真を変えるためにはカメラを変えろ、のカメラと、人生を変えるなら何とやらを変えろ、の何とやらも変えました。それでもウツウツするときがあるし、右手と左手が入れ替わったような不器用さで身体が動く時とか、気の置きどころが見当たらないこととか、多々あります。洞窟の暗さから下水道の暗さに変わった、ぐらいの変化しか無かったのではないだろうか。

 つまるところ私は意識がある状態、意識が清明な状態そのものが不愉快なんだろう。その事実と改めて向き合うこととなった。顔をしかめさせる腐臭がどこへ行っても鼻についていたけど、ふと手を当てた胸の底からそれが湧きおこっていたことに気付いた。「我思う、故に希死念慮在り」とでも言えるような、問いそのものが答え的構造をもった、自己存在に立脚した希死への感情が、憧憬まじりに、ある。

 

 

 匂いを記録する装置があればいいのにと思った。前の冬ぶりにつけた暖房のにおい、紅茶とか、古い住宅街とか、道とか、通りとか。

 

 

 2022年特によく聴いたアルバム。天野清継『AZURE』、アート・ファーマー『処女航海』。AZUREはマイブームだった。夜散歩しながらよく聴いてた。歩く風景とよく合う感じがしたから再生する回数も多かったんだろう。