印象的なYahoo!知恵袋の回答 ミャンマーの印象

 

 ミャンマー人に良い印象を持っていない質問者が、ミャンマーの印象をたずねたもの。

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 いくつか寄せられた回答のなかに胸を打つ文章があったので全文を引用する。問題があったら言ってください。

 

 

syu********さん

2019/11/2 0:37

私は今から25年くらい前にミャンマーへ旅行に行きました。
内戦が北部の一部を除いてほぼ終息したため、外国人観光客を受け入れ始めた初年度でした。

ミャンマーから英国を追い払い、独立支援に協力した兵士たちもいたため、非常に親日的でした。日本語を話せる人も数人会いました。確かに、ずるい人もいましたね。自転車タクシーみないなのがあるんだけど、中央のパゴダがある広場には入れないのを知っていながら、OKと言って乗せ、数百メートル移動しただけで
「ここまでだ」
と言って、降ろすような人。ただ、そいう人ってどこでもいますよね。日本人にだっている。ミャンマー人は概ね親切でした。カンボジアとかもすごい内戦経験してるけど、観光地にいて外国人観光客になんか売りつけようとする人たちは、もっとしつこいし、ふっかけてきたりします。その点ミャンマー人は奥ゆかしかった。

そのパゴダでたまたま日本語が話せる、他のお客さんを案内中の添乗員さんに会ったんだけど、そのお客さんが暑くて休んでるから、あなたを案内してあげると言って、ただでそのパゴダ内を案内してくれたりもしました。住所聞かれたから教えたら、翌年エアメールで、綺麗なビーチリゾートの絵葉書を送ってくれました。
それは今度、自分がここでツアー会社を始めるから是非来てね。という案内でしたが。すぐには行けなかったけど、十数年後に行ったら、送った本人の方が覚えて無くてびっくりしてました。

あるレストランでは、注文した以上のものが出てきて、東南アジアでありがちな、勝手に出して、勝手に請求するパターンかなと思って、
「ノーノー」
と言ったら、娘の写真もってきて、今娘が日本に出稼ぎに行ってるから、日本人は特別だと言って、頼んだ分しか請求してこなかったりもしました。

中部にあるポッパ山という観光地に行こうとしたら「半日だ」とインフォメーションで言われたので、5,6時間かと思ったら、途中車のパンクやオーバーヒート対策のお昼寝タイムなどがあり、本当の半日の12時間かかって、到着が夜になりました。当時そこにホテルなどはなく、あてもなくぶらついていると、ミャンマー語しか話せないおばさんが声をかけてきて、自分が戸惑っていると、強引に手を引いてお寺に連れて行きました。そこでは英語が話せるえらいお坊さんが出てきて、
「宿がなくて困っているから連れてきたと言っている」
と説明され、私がおばあさんにお礼を言うと、
「お布施をしてくれるならここに泊めてもいい」
とお坊さんに言ってもらえ、少額の寄付をしたら、身の回りの世話をする小姓まで付けれてくれて泊めてくれました。まあ、ベッドは無くて、床にゴザでしたが、屋根があるところで寝られるだけで充分。その後小姓は友達?の子供の僧侶を連れてきたんだけど、その子はエリートらしく英語が話せて
「ここでは書くものが不足してるから、鉛筆やペンをくれたら案内してあげる」
と言われて、ボールペンをあげたら、二人で取り合いするように喜んで、二人で駆けずり回るように、寺院を案内してくれました。
翌日、次の街に移動するのに、何と観光客が乗れる便が無く断られたんだけど、そこにお坊さんがやってきて
「彼は私たちのお客だから乗せてやってくれないか」
と頼んでくれて、よく見る東南アジアの荷台に山ほど荷物を積んだトラックの荷台に
「観光客乗せてるのを見つかると罰せられるから隠れてろ」
と言われて荷物の中に紛れて乗り込みました。その中で寝てたら、ちゃんと目的地の街で、見つかると困るので中心街に行く前でしたが、降ろしてくれました。

パガンの外れにある寺院に行った時の事、自分はよくペットボトルの中に麦茶のパックを入れて飲んでいるのですが、それを見たお坊さんが、
「それは何だ」
と聞いてきたので、コップに入れてふるまうと、随分喜んでくれました。パックの残りがあったので、そのパックをあげると、代わりに扇子をくれました。けっこうでかくて邪魔だったのですが、せっかくもらったものなので、持ち帰る事にしました。飛行機を降りて、タイの税関を通る時、初めて別室に呼ばれました。その扇子をどうしたのかと咎められたのです。麦茶のパックと交換したと説明すると、疑わしい目で見てきて、最終的には日本語ができる人が出てきて、事の顛末を最初から説明させられました。すると最後に、その人が
「良いですか。それはお寺の高僧だけが使用を許されている、ヤシの葉で作られた扇子です。麦茶と交換したとは信じられませんが、きっとあなたに何か期待して渡したのだと思います。大切にしてください」
と言われました。

当時のミャンマーは衛生状態が悪く、ほとんどの観光客が何かしら食事のトラブルに巻き込まれていましたが、私も例外ではなく、国内線に乗る前に強烈な食中毒に見舞われました。建物の外でゲロゲロ吐いて苦しんでいるところに、日本語が話せる人がやってきて
「良い薬を持っている。これを飲んで」
と渡してきてました。当然そんなもの信じらないので、受け取らずにいると
「大丈夫。これはミャンマー製ではなく香港製です」
と言って入れ物の箱を見せて、
「頼みますから飲んでください」
と言って、私に薬を飲ませました。しばらくして、完全に良くなった訳では無いですが、大分楽になったところで、また話しかけてきたので、お礼がてらその人と色々話しました。

彼は26歳で大学生だという事。在学中に召集されて内戦に行っていた事。内戦から帰ってきてまた復学したこと。将来日本に出稼ぎに行きたいから日本語を勉強している事。本当は技術者になりたいけど、ミャンマーでは高度な教育が受けられない事。だから日本に出稼ぎに行って、日本で勉強して、ミャンマーに帰ってきてそれを教える人になりたいこと。そして、実は日本語を教わっているのが中国人の先生だから、日本人に自分の日本語が通じるか不安だったことなどなど。

最後、飛行機に乗る前に、彼が言った言葉は生涯忘れられません。
彼は言いました。
「日本は平和ですか?」
私は何気なく答えました
「はい」
彼はニコリと微笑み、少し目線を遠くに向けて言いました。
「平和はいいです」

以上が、私が知っているミャンマー人です。

 

 

 Yahoo!知恵袋は98%がゴミだけど、ごくまれにこういう宝石みたいな文章に出会えることもある。