・2024年の5月は新しいことに挑戦した。1つはまずまずの成功をおさめた。すごく天気がよかった。時間がゆっくりと流れていた。
・なんか生活習慣病な気がしてる。野菜を増やしてタバコを減らさないと。減らさないとってほど吸ってるわけではないんだけど。玄米の日を増やしてヨーグルトをちゃんと食べます。
・ジムキャノンとグフ飛行試験型のロボット魂が発売されるらしい。欲しい。
・「『国産ワゴン』なぜ衰退?わずか4種類に減少!」というYahoo!ニュースの見出し。
なるほどマツダ6ワゴンが終了しちゃって4車種になったのね。カローラのワゴンが2車種と、あとレヴォーグ(スバル)、あと1車種は何?しばらく考えたけど分からなかったので記事を開いた。正解はミツオカ・リューギだった。それは1車種にカウントしていいのかビミョーなとこなんじゃないのかと思わないこともないけど、何しろ4車種を残すばかりとなってしまったということだ。
5ナンバーセダンと共に風前の灯となったカテゴリ。私はステーションワゴンが一番好きだけどな。
・共同作業所の製品が売られていた。障害のある人が作ったものなんだろう。さをり織りという技法で作られているという、小さな小銭入れを買う。配色とか手ざわりが心を和ませるものだった。つくりはなかなかしっかりしているし、素朴で手に馴染む感じがある。今月あった良い出会いのひとつ。
・ガラスの灰皿を買った。灰皿が欲しかったわけではなくて、なんとなくそのモノの雰囲気がひっかかったからその場のノリでパッと買ってしまった。深いオリーブ色で段がついた丸いガラスの塊。そのオーラが昭和以外のなにものでもない。表面はつるりとしていて触るとひんやりしている。不思議なのが灰皿なのにタバコを掛けておくサイドのくぼみがないこと。お香立てにしようか小物置きにしようか考え中。指輪とかピアスとか小銭とか置いとくのにちょうど良さそう。
・土地勘か地図アプリがないと自分の座標を見失いそうな、夜の暗い住宅地を歩いた。公園からビーーーーという虫の声がする。草ぼうぼうの中に停められた古いセダン車、少し向こうから流れてくる山の匂い、用水路の流れの音。
普段とは違った環境のなか私は昔知っていた人たちのことを思い出していた。そして私自身も誰かにとっての過去の人だという事実を、手にとってまじまじと見つめてみたりした。まっすぐ進むべきところをちょっと横に曲がれば、何年も前にさよならをした人が昔そのままの姿で歩いているかもしれなかった。
・アイスをレジに持って行ったら店員さんに「50ミリですか?」と訊かれた。タバコのこと?50ミリ?と固まっていたら「R6ですか?」と覗き込まれた。「私はRを使ってるんです、気になったので話し掛けちゃいました」的なことを言われてやっと、カメラの話かと解った。せっかく話しかけてくれたのに自分は「ああ」とか「はい」とかつれない声しか出せなかった。咄嗟のことだったので気の利いた返しは出来なかった。
・夜の川を見た。いや夜の水面を傍観したと書くのが厳密だろうか。しばらくはずっと見ていられそうだった。
・サントリー「こだわり酒場 お茶サワー」を買ってみた。お茶が薄いお茶割りの炭酸飲料だ。「抹茶味の味」がした。抹茶の味、ではなくて、抹茶味の味。観光地なんかで売ってるアイスクリームの抹茶味の味。それはそれでチープで嫌いではないのだがお茶割りには求めてないフレーバーだった。
・このところ外食で失敗することが多い気がする。外食というかラーメンだな。何円出してまで食べる味ではないな、という感想をいだいてばかりいる。ある店には「3杯食べれば、もう忘れられない!/やみつきになる!」みたいなことが書いてあって、なんか無性にふざけんなバカと思った。1杯目でいきなり虜になりたいんだよこっちは。
・立ち食いそば屋さんに入った。カウンターの中、洗い場に立っている店の女性が電話をしてて「すいません今ミーティング中でして……」みたいなことを言っていた。明らかに大ウソで面白かった。
・ここの料理はどうだあの店はどうだとか話すとき一瞬どこか得意げになっている自分とか他者とかがいて、嫌い。誰かが作ったものを講評して何かを成した気になるのは醜い。そういう奴って本当に多いけど須らくカス。彼ら自身は何も生んでない。文句だけは一人前のカス。黙っている人の方がえらい。死んだ方がいい。
生産者側が使うツールがパソコンで、消費者側が使うツールがスマホだみたいな話があった。スマホ人間にはなりたくない。
・「あれ、最後に楽しいと思ったのっていつだっけ?」って内なる声に問いかけられた。絶対に最近楽しくなってんだけど思い出せなかったし、思い出せなかったら無かったのと同じような気がしてショックだった。ないわけではないです、すぐに出ないだけ。
・大学時代のある先輩のご実家のあたりを通ることがあった。その人はジェントルで若干理系ぽい誠実な話し方をする人で、私のような変わり者のこともよくして下さって、でもその人自身もやっぱり変わり者だった(人文系、心理学系の学部なんか変わり者であることが標準みたいなとこある)。頭がよくて機知に富んだ人だったけど元気にされているのだろうか。
連絡先は知っているしその気になれば今からでも——繋がるかどうかは別として——電話出来るんだけど、なんとなく今ではないのかなと思う。未来のある時に予想もしないタイミング・場所でパッと現れてくださりそうな気がしている。そういう人なのだ。いつかのそれが楽しみ。
・今よりも大学時代の方が、色々な事柄について深く、色んな角度から考える余裕があったのかもしれない。
・出先で宝焼酎の美味しいお茶割りが飲みたくなったのだが、何軒か回ったどこのコンビニにもなかった。仕方なく「ジャックダニエル&コカ・コーラ」を買うことにしたんだけど何故かゼロカロリーの方しか置いてなかった。炭酸飲料の気分ではなかったのだが。冷やされて売られているアルコールのほとんどが炭酸だと気付いた。辟易。モンエナも時々飲むのだが炭酸無しバージョンが出てくれたらいいのにとよく思う。炭酸だと毎朝飲むのはしんどい。
コンビニ巡りの前は味玉ラーメンを食べて、その前は低血糖と大きくて重たい鬱によって横たわっていた。妙な夜だった。月が薄皮一枚向いたようにつるつると綺麗だった。私の気持ちなどお構いなしに刻一刻と状況が変化して変化して変化していく日常人生のなか、変わらないでい続けてくれる存在が安心をくれる。
・ずっと独り言をいっているおじいさんがいた。同じバス停から同じバスに乗り合わせた。住む家はありそうだったものの服装や持ち物には頓着していない様子だった。独り言は目についたものと思いついたことをひたすら口に出していくというストレートスタイル、だったんだけど、その語り口がえらく物悲しくてなんだかやけに切ない気分になってしまった。せんきゅうひゃく何年はこういうことがあってねえ、とか、昔はここに何々が建ってたんだ、とか、そんなことを延々と言っていた。その独言に何かを腐したり攻撃したりする要素は一切なくて多分心がきれいな人なんだろうなと推測した。バス停で私方向の虚空に向かっても話してたんけど優しく反応してもよかったなあ。良い人ぶるみたいで嫌だけど。でも「一人で勝手に喋ってるおじいさん」と「町の青年(私のことである)に一方的に話してちゃんと聴いてもらっているおじいさん」の差はすごくある。とも、その時思ったわけ。何が正解だったんだろうね。なんにしても彼が穏やかに幸せに暮らしていけますようにって神様に祈りたい。
・気が滅入って仕方ないものの取り組まないといけないことが相変わらずある。ここ半年間に特有の通奏低音だ。ちょっと頭をよぎるだけで厭世的なムードが立ち込める。30秒ほど全部投げ出したい気持ちに駆られる。でもその1秒後には後ろ向きの空気を帯びた、決然たるムードが立ち上っている。やらへんとなあ……。
・軽トラに乗った。三菱・ミニキャブトラックの自社生産時代モデル。すごく良い体験だった。もう大興奮。キーレスじゃないし、ラジオしかないオーディオのモノラルスピーカーの音質は100均レベル。窓が手動だし、内装は鉄板むき出しで「外装の裏側」以外のなにものでもなかった。ちょっと布を張っただけの背もたれ部分は当然直角。常に微妙に猫背にならざるを得ない。*1 キャビンも部屋というよりは人間2人を横並びにすっぽり覆えるフルフェイスヘルメット、といった印象。すぐ向こうは車外だという事実が薄い鉄板越しにありありと伝わってくる。狭いがゆえに落ち着く感じこそあったが、丸1日乗るのはきつかった。夜行バスなんかと違って自分が運転している乗り物なのに身体が凝るという珍しい経験をした。高速道路を走っている時は心もとなかった。タイヤが細くて重心が高いわけだから、遠心力や横風であっという間に、リカバリーする暇もなく倒されてしまうんだろうなと分かった。
荷台に、ぼん、と雑にカメラを置いてみた。最高の眺めだ。
・基本的にスウェットとDW-5500で暮らしていた。寒いと上からざっくりとしたセーターを着ていた。