2024年2月のつぶやき その1

 

 ・「縦に伸びたり横に伸びたりしながら子どもは大人になっていく」のと同じように暖かくなったり寒くなったりしながらその一年は春に、やがては盛夏へと育っていくのだなあ。思い入り。

 ・夜ちょっと用事で外に出るみたいなひとときが実はいちばん質が高い時間ではないのだろうか。2月末のある日の夜、決して不愉快ではない生ぬるい空気が量感を持って私を包み込んでくれた。暑くも寒くもなかった、常温の水みたいだった。でも風が流れている分だけゆるやかにつめたかった。

 ・常備ウォッカを切らしたせいかウォッカほどは酔わない軽さが良かったせいか、屋外で酔いたくなることが多かったからか、「宝焼酎のやわらかお茶割り」「宝焼酎の濃いお茶割り」を買い飲みしてばかりいた。ここんとこ常飲していた。普通のペットボトルの緑茶より買ってた。あと缶アルコール飲料だと「ジャックダニエルコカ・コーラ」もしばしば飲んだ。どれも原材料に変なものが入ってないのが良くて、だから美味しんだろうし嫌な酔い方もしないんだろう。

 

 ・中古カメラ屋巡りをした。何店舗か回って合計で多分1500以上のカメラやレンズや周辺機器やコレクターズアイテム的物品を認識した。いくつか手に取った。けれども心がおどる感覚が無く何も買わずに帰ってきた。

 唯一ピンと来たのはキヤノンレンズマウントコンバーターAだった。FDマウントカメラにスクリューマウントレンズを着けるためのキヤノン純正品のアダプターだ。これを買って、Serenar 50mm F1.8や85mm F1.9なんかの、ピカピカ輝く金属レンズをNEW F-1に着けるのは楽しいかもしれないと想像した。でもその楽しい想像は数秒のうちに消え去って、私は財布に触れることすら無かった。カメラオタクだった頃の自分はどこに行ってしまったの!!

 

 ・小旅行に出た。デジイチに40ミリが基本装備なんだけどそこに50ミリマクロを足していった(ほとんど使うことはなかったけど)。40ミリと50ミリマクロの2本という組み合わせが新鮮に思えた。あとサブにRX0。こっちの方がたくさん撮ってた。

 

 ・時々観たくなる映画『ブレードランナー 2049』。物語が良いとは思わないんだけど、小道具とかセットとかがすごく良くて。それ見たさに時々観たくなる。Kの部屋がすごく好きでこういう部屋に住みたいと思う。

 ・齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』講談社を読んだ。医学部を9浪した(させられた)娘が母親を殺した事件についてのノンフィクション。「二〇一三年、あかりは六月に二十七歳の誕生日を迎え、浪人生活はついに九年目に入った。」というようなことがさらっと、淡々と書かれていて考え込まされた。

 

 ・自治体が有償で配布している防災ラジオを手に入れた。前に公共施設で使われているのを見てずっと気にはなっていたアイテムなのだ。電波状態のせいで音質が悪いジャズの放送が流されていたのがすごく良かった。時代に取り残された一角、といった光景だった。自分の部屋に置いて早速コミュニティFMを拾ってみた。選曲に思想の感じられないモダンジャズを筆頭に、ボサノバやらアロハやらワールドミュージックやらが聞き流し前提で流れてくる。良い。すごく良い。

 モノそのものも表示が全部日本語の激ダサデザインで味わいがある。チャンネルもあらかじめプリセットされていて便利と言えば便利。自分でチューニングを合わせることが出来ないのは少々もどかしいけど、まあ、気にしないことにする。どうせ1日の半分以上ただただ音楽を垂れ流す、人の声を聞ける方が珍しいコミュニティFMしかかけないんだろうし。図体がデカいうえに中身がそれなりに詰まっているのか意外と音質は良かった。嬉しい。

 この防災ラジオの存在を知った時、そして手に入れた時に真っ先に思い出したのがオウム真理教のラジオだった。教団が配布していたラジオ受信機も確かオウム真理教の放送しか聴けない仕様だったはずだ。ナチス・ドイツの国民ラジオだってプロパガンダ放送しか受信できないように作られていたと読んだことがある。

 

 ・「何年か経ったら今のこの生活を懐かしく思うんだろうな」とまた思った。それは今の生活に終わりがくることが念頭にあるというか、逗留であって永住でないという命題を頭のどこかに置いているからなんだろう。いつか終わってしまうものだからこそ愛おしく思いたいし丁寧に扱いたい。時間をいたずらに浪費したくない。

 

 ・ある2月29日、京都の町にすごく雪が降ったことがあった。その2月29日が唯一記憶に残っているうるう日だ。何年だったかは定かではないけれど。

 

 

2024年1月のつぶやき

 

 ・私にしては珍しくニュースで心を揺さぶられたのと年末年始の気疲れで1月の1週目は精神の具合が悪かった。

 ・元日に能登半島で大きな地震があった。こんなに悪い始まり方をした年はない。亡くなった人の多さ、被害の大きさにただただ黙りこくることしか出来ない。今、私の大好きな石川県はどうなっているのだろうか。

 

 ・大地震があったのに駅伝をやっていて気楽なものだなあと心底思うが、やめたところで何かが良くなるわけでもないのかもしれない。あんまりこういうこと言うと不謹慎厨だみたいなレッテルを貼られそうだから言わないようにしてるんだけど。でも、じゃ一体何が起こったら駅伝とかマラソンは中止になるんだろう。中国や韓国が攻めてきても無邪気にかけっこやってんのかな。

 

 ・他者を深く知ろうとしなくなっていたことに気付いた。この人はこういう性質なのかな、などと色々考えてみることとか。しなくなっていた。「仮説ならいいけど『こういうタイプだ』と断定してしまうと、そこから不幸が始まるというか、現実と考えが解離していってしまう」、みたいなことも思い直す機会が減った。

 いや、もしかしたら、深く知りたいという人にそもそも出会わなくなっただけなのかもしれない。

 

 ・ポストアポカリプス漫画『ウスズミの果て』を読んだ。ミリタリー要素がちらほら。ヨコ買いよりシビアな世界らしい。

 

 ・MAZDA6日本国内生産販売終了。マツダのフラッグシップはどの車種になるのだろう。それから新品で買える国産ステーションワゴンがまた1車種消えたことになる。

 

 ・「機動戦士ガンダム 水星の魔女~アスティカシア高等専門学園 ラジオ委員会~」放送終了。よく続いたなあ。ほとんど全部の回聴いた気がする。

 

 ・久しぶりに入ったハードオフで美品のYAMAHA SY55を見た。ボタンのクリック感が健在で鍵盤の黄ばみも無くて思わず買いそうになった。

 が、私はすでにTG55を所有していたことを思い出してやめにした。TG55を持っていることはSY55を買わない理由には本当はならないのだが……(むしろSYを買い増す理由にすらなり得る)

 遠い昔――まだYahoo!ジオシティーズがバリバリに生きていた頃――個人のサイトでSY55を「ヤマハのM1だ」と評しているのを読んだ。数年前にTG55を手に入れたときその表現は的を射ていると思ったものだ。それをなぞって今ここで言いたい。TG55はヤマハのM3Rだと。

 しばらく電源を入れていないTG55のことを思い出してきた(もしかしたら電池が死んでいるかもしれない)。音色の並びがぐちゃぐちゃだったこと。確かピアノの次がいきなりパッド系だった。そのパッド系の音がやけに壮大で暗いこと。それはポピュラー音楽よりダークアンビエントに使い勝手がよさそうなサウンドだった。ビット数の問題もあるんだろうけどヤマハにしては線が太くて存在感のある、混ざるよりは立つ音色が多いという印象がある。そのあたりにもコルグを感じるのかもしれない。

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 デモソングが全然楽しくなさそうで笑う。なんかシリアス。最初の4秒ぐらい真・女神転生を感じる。ヤマハのシンセのデモソングって大体パターンが決まってるのに(暴言)、このSY55は例外らしい。最初はピアノかオーケストラのストリングスから始まって、軽快なジャズのズンチャズンチャって小粋なパートがあって、一転ハードロックになったり、それっぽいサンバになったり、近未来的なシンセサウンドにもなったりしちゃったりして、最後にはドラムとSEが絡んで……みたいな感じ。ほとんどの機材がそんな感じ(暴言)。「楽しいパーティ」って感じなのに。

 

 ・ヤマハから新しいガジェット「SEQTRAK」が発売されるという。AWMに加えてなんと4オペのFM音源まで積んでいるらしい。これまで他のメーカーからはこの手の機材がリリースされていたもののヤマハには無かったわけで、大歓迎だ。QY100の後継機はこれでいいんですかね?私は旧式で頑迷な人間なのでパラアウトでないことが引っかかっている。

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 ・年末に閉店したという飲食店の前に自由に持って帰ってくださいコーナーが出現していた。新年早々ラッキーだ。「アサヒビール」の裏面に「三ツ矢サイダー」と彫ってある栓抜きを持ち去る。一般には流通しない飲食店向け業務用のアイテムなのではないかと思われる。今年はこれを持ち歩くことに決めた。

 

 ・最寄りのショッピングモールを歩いているとき、今自分がどのモールにいるのか分からなくなることがあった。その空間認識の混乱が心地よかった。

 

 ・新興宗教のことを調べていた。宗教の信者というのは心に留め置いておく、救いに近づくための一節を持っている人種なんだろう。私にとっての宗教的な色合いを持った一節あるいは指針というのはJAGATARAの「もうがまんできない」の歌詞かもしれない。

ちょっとのひずみなら何とかやれる ちょっとのひずみならば

がまん次第で何とかやれる 日々の暮らしには辛抱が大切だから

心のもちようさ

心のもちようさ 心のもちようさ

心のもちようさ 心のもちようさ

 

 ・1年のうち最も寒いのはいつなんだろう。多分今ごろなんだろうなと思った1月下旬だった。日差しがもう春めいてすらいる瞬間はあったが、太陽の暖かさはまだまだ希少だ。

 

 ・一年の計は元旦にありじゃないけど1月はその年の小さい相似だと思った。これは「結局ファーストアルバムにそのミュージシャンの全てが詰まっている論」と似ているかもしれない。私はこの1月、ミスドにも31にもジョリパにもロイホ行けなかった。2024年丸ごとそうなってしまいそうで怖ろしいのだ。

 

 

 

ここ最近の写真・カメラ話

 

 ・11月に手に入れたコンパクトカメラのこと。試写の結果に問題はなかった。操作できる項目が限りなく少なくていい。フォーカスや露出に関するほとんどの要素がカメラ任せ。人間はカメラをどこかに向けてシャッターボタンを押すだけ。久しぶりのフィルムコンパクトだからか使うのが楽しい。気軽にパチパチ押してしまう。DPEショップへいそいそと持って行きフィルムをおうちでせっせとスキャン。家内制手工業的チマチマ感。

 

 ・久しぶりにEF85mm F1.8だけを着けて散歩した。1992年―今から32年前―に登場したこのレンズはバキバキに解像するわけではないが、かといってゆるすぎることもない。粗が無いわけでは決してないもののその写りは中庸そのものだ。しかしある光線状態においてはっとするようなドラマチックな、克明な描写が出来る。それを再確認させられた。

 

 ・Nikon Zマウントレンズに28-400mmというレンズが新しく発売されるとかされないとかいう噂をみかけた。24-200mmというレンズは既に発売されていて、これさえあれば一生やっていけるじゃんと思っていた。28-400mmにも興味を惹かれる。28ミリ始まりが許せる人はこちらを選べばいい。運動会でも結婚式でもお誕生日会でも、旅行でも日常生活でもこれ一本あればあとは他に何もいらないのではないだろうか。予備バッテリーと予備メモリーカードを無限に買い増やしていくぐらいではないだろうか。それでもお金が余るなら気分転換用のストラップを買ってもいいかもしれない。

 そんな私は24-120mmユーザー。F4通しなのでこれにした。とくに広角の周辺減光が気に障るがそれ以外は完璧と言っていい。デジタル補正を前提とした設計なんだろうなと思う部分もある。でもシャキシャキとよく写るレンズだ。

 24-200mmと悩んだのだが24-200の方は可変する開放F値が35mmの時点でかなり暗くなるのと全然寄れないのでやめにした。24-200は135mmの開放がF6.3で、24-120の120mm開放F4の方が魅力的だったし、200mmまでズーム出来るというのも私にとってはさほど嬉しいポイントではなくて(120mmも200mmもそんなに変わんねえだろという暴説がある)、24-120mmはSレンズらしいから24-120mmの方を選んだ。

 ……と、いうのはほとんど後付けの理由。単純にF4通しだから選んだというのが真実だ。でもこっちにして正解だった。「買った後に買わなかった方が欲しくなる」気持ちも生じていない。

 

 

G-SHOCKの話。ここ最近の5900シリーズを振り返る。

 

 こちらが基本モデルのDW-5900。「過去の名機を現代に蘇らせたモデル」。2018年11月発売。ちなみにオリジナルのDW-5900Cは1992年発売らしい。誰もが知る5600や6900の影に隠れてマイナー感が否めないが、個人的にはそのどちらよりも好き。ちっちゃい文字がカワイイ。

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 DW-5900BB。2018年11月発売。BBシリーズ。真っ黒。

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 2020年にはN.HOOLYWOODコラボのDW-5900NH-1、翌2021年にDW-5900NH21がリリースされている。DW-5900NHはオールブラックで通常液晶、プロテクターが着いたモデル。DW-5900NH21はオールブラックにプロテクターの装いは変わらず3つ目にホワイトの縁取りと反転液晶が特徴的なモデルとなっている。

 

 DW-5900TS。2021年9月発売。知らないうちに販売終了していた。反転液晶。透明蛍光バージョン。このダサカッコよさが良いって人もいるかもしれない。-1JFが黒、-4JFがオレンジ。-1JFの方は未だに新品が売られているのを見かけることがある。

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 5900シリーズのラインナップは長らくこれぐらいしかなかったのだが2022年後半から新製品ラッシュが巻き起こることになる。

 

 DW-5900TD。2022年11月発売。Time distortionシリーズ。「時空の歪みをモアレで表現。異彩を放つ蛍光カラー。」

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 DW-5900WY。2022年12月発売。Wasted Youthコラボ。非反転液晶。

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 DW-5900JT。2023年5月発売。JOYTOPIAシリーズ。リステリンでしか見ないパープルスケルトンの色合いがグッド。

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 DW-5900FA。2023年5月発売。FACETASMコラボ。ゴールドの美錠がシック。

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 DW-5900EU。2023年9月発売。Euphoriaシリーズ。オレンジとシルバーの組み合わせは中々ない。因みにこのモデルから電池寿命が5年から10年に伸び、バックライトがLEDに進化している。

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 DW-5900MT。2023年12月発売。Mix Tape series。これが2024年1月時点で最新の5900となる。

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 次の5900が楽しみ。また、基本モデルDW-5900も近いうちにリニューアルするのではないだろうか。

2023年12月のつぶやき

 

 ・存在を半ば忘れるほど死蔵していたアブソルート ヴァニリアを減らし始めた。ウォッカらしいキレがありつつもわざとらしいほどにバニラフレーバー。香りは甘いのに味は甘くないフシギさが楽しい。飲みやすくてなかなかうまい。コーラで割るとコーラフロートぽい味になる。ごくごく飲める。そのうちメロンソーダで割ってみたい。

 やっぱりウォッカにも良い悪いがあるな。アブソルートは良い。身体に入るとわずかに筋肉をゆるませて、冬の外気にスッと抜けていく。

 

 ・Twitterで、ある作曲家が話題になっていた。上から目線の尊大な物言いによってだ。それらのツイートにはくせになる痛恥ずかしさがあって、当時のフォロワーと笑いのタネにした。

 と、いうのがほぼ10年前のこと。先月その作曲家が亡くなったらしい。訃報によって彼のことを思い出した。そしてからああやって笑いあっていたのが10年前だと知らされた。

 

 ・猫カフェに行った。雑居ビルの10帖ぐらいのスペースに結構な数の猫がいた。大学時代に顔を覚えられていた野良猫*1によく似た猫がいたので、私は始終そのそばにいた。彼は大人しく黙って撫でられていた。あまり目は合わなかった気がする。

 

 ・12月も崎谷健次郎のアルバム『DIFFERENCE』を隙があれば聞いていた。下旬は辛島美登里の「星空のクリスマス・パーティー」をヘビロテしていた。

 

 ・「ヨコハマ買い出し紀行 芦奈野ひとし画集」が復刊されると知った。これは嬉しい大ニュースだ。すぐに注文する。商品が届くまで力強く待つ。

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 ・『少年Aこの子を産んで』を数年ぶりに再読。少年Aの父親の手記が胸にのこった。少年Aの弟達のために思い切ってサッカーボールを買いに行く場面だ。以下引用。「誰かに会ったらどうしよう、と他人の眼を気にしながら何時間も歩き回り、やっとの思いでボール一個を買う」引用ここまで。父親の心境を想像するだけでつらくなる。言うまでもなく殺された子どもの親はその何万倍も苦しんでいるわけだが。

 自分自身がいつ少年Aになってもおかしくない子どもだったことを振り返りつつ、身内を加害者家族にしなくてよかったなあと改めて安堵した。自分の言動なり振る舞いが犯罪を起こした瞬間なり事実へと収斂あるいは結実していかなくてよかった。そういう文脈へと回収されていかなくてよかった。「あの子はおかしかった」「変な子だった」「暴力的だった」などと、薄い顔見知りが訳知り顔でインタビューに答えることがなくてよかった。

 いくつもの「もし」を潜り抜けて立派な善良市民へと成長した自分に乾杯したい。今きみは人生の大きな大きな舞台に立ったり立たなかったりしたりなんかしちゃってね。環境と全ての出会いに感謝。そして自分の我慢強さに手放しで称賛をおくりたい。今年2023年だってそう。誰一人殺すことなく終えることが出来た。ありがとうございました。

*1:私はその猫を体色にちなんで「厚揚げ」と呼んでいた

2023年11月のつぶやき

 

 ・2023年11月某日。急に寒くなった日。夜、無くなりかけのスタルカをひとくち飲んで野暮用で外に出る。珍しくくっきりと星が見えたので空気が澄んでいることが分かった。カツーンと冷えた夜気こそがウォッカにとっては最高のお膳立てなのかもしれない。青白い星がいくつか綺麗に見える、もうそれだけでいいような気がした。

 

 ・アニメ『葬送のフリーレン』を見ている。ヨコハマ買い出し紀行に近い匂いがあるという評判に釣られて見始めたがあまりそうは思わなかった。思わなかったがフリーレンはフリーレンで良いアニメだと感じた。良い出会いだった。人がヨコ買いに近いと云っているのは漫画の方なのかもしれない。そのうち読みたい。

 ・漫画の感想と感情を共有できないのってもどかしいんだなと改めて思った。人間は、ある程度は他者と関わりを持たないといけない、ように出来ているんだなあと。それから誰かに何かを語らせたくなる作品は質が高い作品なのだろうな、とか。

 それからしばらく色々考えたあとに、結局人と人は分かり合うことが出来ないなと改めて思った。自分と同じぐらい単純で同じぐらい繊細な奴なんかまず存在する訳がないのだから当然だ。

 

 ・少なくとも週に2回はショーロ・クラブのアルバム『ソングス』をかけている。夏の乾いた暑さのなかで「木陰の音楽」ないし「日陰の音楽」として通り去る涼しい風か冷たい紅茶のように耳に入れるのもよかったが、枯れ葉と高い空を目に入れつつ聴くものとしても大変に最良の音楽だと感じる。アコースティックギターなりコントラバスなりの「木の楽器」「木の音楽」は秋から冬にかけて聴くと本当に心地がいい。

 

 ・様々な腕時計に関するインターネット情報をサーフィンしたのち、手元に転がるDW-D5500BBを改めてじっと見つめる。時計としてこれ以上のものがあるだろうかと心の底から思う。四角い窓の左上に曜日、右上に月・日、下に時・分・秒。全てが必要で、そして無駄な表示はない。機能美とはこういうことを言うんだろう。必要なものを必要なものだけ揃えて、余計なものを含めなかった結果立ち現れる美しさ。

 

 ・新しく「場」が開かれた。新しい人々と出会っていくことになる。新しく腕時計が要ると思った。そこ用の。それは本当にバカバカしい考えだけど気持ちのスイッチとかラベルを切り替えるのには悪くないやり方なのかもしれない。

 

 ・「日本の市の人口順位」というWikipedia記事が好きで時々見ている。

ja.wikipedia.org

 何度も思ったことだけど京都府の一極集中っぷりは凄い。

 豊中市吹田市高槻市茨木市の安定感がステキ。ちなみにこのなかだと茨木市だけ人口が30万人を切っていて中核市ではない。東大阪市枚方市八尾市寝屋川市の。大阪府は人口がわりと分散していて素晴らしい。

 

 都道府県の一極集中ランキングを紹介している動画を見つけた。

www.youtube.com

 

 ・ちょっとした旅に出た。2両編成の列車にも乗った。旅をしているなあと感じた。声の大きな老人たちが昔話をしていた。盗み聞きしたところによると、ある老人が子どもの頃には行商がいた。彼らは村を回る最後に、その、ある老人の家にやってくる。そしてその家で持ってきたお弁当を食べて、(休憩させてくれたお礼なのか)売れ残った海の幸なり山の幸なりを置いていってくれたらしい。

 ・思ったのは列車はせいぜい4両までだな、ということ。私に旅情を感じさせる範囲はそこまで。それ以上になるとただの輸送手段だ。例えば12両16両なんてのは私に言わせれば動く歩道の仲間。

 

 ・リサイクルショップでアナログのコンパクトカメラを買った。かなり久しぶりのことだ。デザインがかわいかったし動作しそうだから買った。わくわくしながら電池を入れてわくわくしながらフィルムを入れて。試写をした。ちゃんと写った。しばらく使ってみるつもり。写りは結構眠かった。ここへ更にホワイトミストのフィルターをあてがって光を飽和させてみても面白いかもしれない。