2023年8月のつぶやき

 

 ・詩をつくるためでなく書類を埋めるためにペンを使い続けるような実情がある。

 

 ・鴨居玲にならってスペイン語を覚えようかなとか思ってた。こういう思い立ちはヤバい、良くない。深瀬昌久が小説家になると万年筆を買ってきたときも、きっとこういうヤバさ・不穏さがあったんだろう。

 

 ・星新一ショートショートに、ある星に不時着してしまった宇宙飛行士の話があった。その飛行士は一人で救援を待つ間におかしくなってしまう。とうとうやってきた救助隊員が地球に連れて帰ろうとするのを断ってしまい、置いて行かれるという話。

 いや、置いていくなよ。

 

 ・夢とはシミュレーターなのではないか、という考えがふと、頭の中に入ってきた。寝ている間に見る夢のことだ。現実に起こりそうもないことが現実で起こった時のための練習、あるいは自分の心の動きを事前に知っておくための訓練なのではないだろうか。このような問いは今まで持ったことがなくて、それが自分のタイミングではないタイミングで、考えが外からやってきたような気がしておもしろかった。

 ただ、夢の中の自分と現実の自分では感情の起こり方とか機序は少し違う気がしている。このズレも自分がみとめていない自分の領域つまり無意識領域に関わってくるんだろう。おもしろい。

 

 ・珍しく、何年か前のあることについて、またああすべきだったと思い返して悔いることがあった。焦点は、恐ろしかったのは、それが「何年か前」ではなくて「何年も前」であること。3年とか5年とか、3年と5年とか、まとまった年月の塊がごろごろと胃の中に重く溜まっていく感覚。

 あの日あの場で、あと一言だけ発していれば。人生が変わっていたであろうことが、珍しく明確に判る。その分岐点が、通り過ぎてから数年たってもまだ気にかかる瞬間があるなんて当時の自分は思っていなかったのだろう。仕方がないけど愚かだと思う。未来を見越して欲しかった。

 そうか、「ああしておけばこうはならなかった」と分かるからこそ口惜しく感じるんだ。ほかの出来事、そのほかの無数の選択と分岐ははっきりよく見えなかったのかもしれない。レールを選ぶようにではなく風に流されるかのように今この現状へ現実へと押されて、押されてしまったのかもしれない。

 「後悔しない選択を」なんて言うけれどそんなもんあとになってみないと分からない、のが真実だろう。じゃ何によって後悔を消せるかというと現状に対する肯定や満足ではないのだろうか。「これでよかった」「これがいいんだ」と思えること。

 

 ・「後悔しない選択」について考えているときに偶然知った動画。「後悔しない選択」について語られている。

 【 YOU × 藤井 隆 〜後編〜 】 YOU のこれからこれから

www.youtube.com

 

 

 

 ・漫画『このゴミをなんとよぶ』が最終回を迎えた。その終わり方は私が想像していたものとは違った。登場人物全員がちゃんと幸せになっていないように感じられた。感想は別の記事にちゃんとまとめたい。

min.togetter.com

 

 

 

2023年7月のつぶやき

 

 ・一年に一回言うか言わんかのセリフ。「ああ、これ競技用の方ちゃう?」

 

 ・先月のこと。ポケモン金で遊んでいたら色違いのイシツブテが出た。45ばんどうろ、フスベシティの南で。無事に捕まえた。とりあえずゴローンに進化させた。

「いろちがい」という名前をつけていた

 

 ・6月の下旬から7月にかけて、朝はymoの『浮気な僕ら』を聞いていた。きれいなはずなのに清潔感に欠ける気がする空白が多い空気と、前向きになれない心境にハマるサウンドだと耳から入れる習慣が少しの期間だけあった。特に「邂逅」と「音楽」をかけていた。

 

 ・ネトフリで『母性』を見る。なんといっても高畑淳子の怪演。意地汚くものを食べながら人をなじる仕草のうまさにただただ感嘆。ちょっと脱線、Wikipedia記事曰く高畑淳子のテレビドラマ初主演は2006年、50歳を越えて初の主演というのがおもしろく思えた。私はこの作品に出てくる、ある女優さんの顔のかたちが苦手。前世で嘘をついたり人を騙していた、宿業が顔の造形に表れている。

 ・映画館で『君たちはどう生きるか』を観た。なんだったんだあれは。というのがしばらくの間の感想だった。とりあえずもう一回観たくなった。ただ、「このシーンが好きだったな」とか「あの登場人物が好き」とかは無かった。

 

 ・Twitterが大規模な不具合に見舞われた。と、書くのが適切なのかどうか分からない。分からないがタイムラインを更新できなくなった。かれこれ13年近くこのサービスを利用していた。Twitterを通して知ったことは本当に多くて、Twitterのおかげで知り合えた人もあった。無料でこれだけ楽しませてもらったんだしこれで終わってもいいや、と思うことにしたい。

 

 ・2003年のJAZZ LIFEの古本を買った。裏表紙の広告がKORG KARMAだったから時代を感じた。20年前だ。

 

 ・いろいろなものの値段が高くなっている。食料品とか消耗品もだけれど、小型家電とかそういうものも。同じ機種でも値上がりしていくから、早めに買っておくのがいいんだろう。

 

 ・山岳遭難についてのページを見ていた。それから愛宕山の遭難者について、とか。自分が歩いたことのないルートとか、見たことがない滝のこととか。ケーブルカー廃線跡のこととか。

 

 ・本格的に夏が来たら開襟シャツにスラックス、下駄かサンダルに手拭いという身なりで過ごしたい。

 

 ・あるとき橋の上に立つとすごく風が強く吹いていた。国道を走る車から半身を乗り出したみたいだった。風景はきわめて静的なのに、何か、意思とか主体性みたいなものを少し感じた。

 

 

 ・G-SHOCKの話。またしても5900シリーズにコラボモデル。POTR × G-SHOCK DW-5900。型番は不明。https://www.yoshidakaban.com/product/113252.html 

 ・G-SHOCKのことを考えていたが、そんなことは、全く1ミリも考える必要がないことだった。5900や6600などに見られるグラフィック表示の「意味の無さ」には基本的に肯定なのだが、ふと鬱陶しく、余計に感じることがあった。特に5500なんかの必要最低限が整列した文字盤のシンプルさを見るとそれは一層強まるのだった。

 …………ただ、他に考えるべきこと(今の気力に見合ったすべきこと)とか、考えたいこと(考えてこころよくなれること)がないから、そんなどうでもいい思念ばかりが湧いてくるのだろう。人間の頭には、いや私の頭には常に何かを考えてようとするはたらきがあるのだ。その自動性が憎い。

 冷静になって、ひとつひとつ考えていくと腕時計なんか要らないわけで。使わなくていいエネルギーを使ってしまっている。

 

 ・記録。変な起き方をした日があった。意識が覚醒しきっていないまま小用のために身体を動かした。小用のさなか夢の中なのか分からなくて少し怖かった。意識が清明になったあとから書き表すなら、身体の前数センチだけあるいは輪郭だけ目覚めているといった印象だった。夢の中でトイレに行ったのが現実で遺尿をやらかす、みたいな事象が世の中に存在することを思い出した。もしかしたら自分にもそういう経験があったのかもしれないが、少なくとも記憶には無い。まだらボケとか認知症の当事者がかかえる不安感はこれに近いのかもしれない、と天啓のように気付いた。

 

 ・自分が死んだらあとに泣く、泣いてくれる人間は3人ぐらいはいるだろう、か。とふと思った。3人もいれば充分だとも。自分が大切にしている人と自分との永遠の別れを想像すると他人事のように悲しくなった。それは睡眠や栄養が不足したことで起こり増幅される類の悲しみだったのだが、永別とはやはり物語的であり、場面転換として適格の出来事だと冷静に考えた。

 

 ・いいなと思った動画。ただ少々めまぐるしい。

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・「涼宮ハルヒの憂鬱 文庫本型ポーチコレクション」のガチャガチャを見つけられたので3回まわした。「憂鬱」「暴走」「消失」と、欲しいものが被りなく出てきて嬉しかった。7月あった良いことがこれ。

メモ 202306-07

・少し前に見つけたブログ。

 

 精神科医の本音日記

satochan8.hatenadiary.org

 

 おもしろいと思った記事。

satochan8.hatenadiary.org

 

satochan8.hatenadiary.org

 

 

 

 空き瓶
v9ypsw.hatenablog.jp

 

v9ypsw.hatenablog.jp

 

 

 

指針 2023年7月時点

 

 ・追いつめられても自棄にならない。癇癪を起さない。自分で自分にとどめを刺さない。

 ・モノ(物品)を増やさない。

 ・カネはモノにではなくコト(サービス・消えもの・経験)に使う。コトは置き場を必要としないから。

 ・あとに残るのは得たものではなくて与えたもの。自分が持っていて価値がないと思うようなものでも、他人にとってはそうではないかもしれない。そういうものも与えるようにすること。

「新アルプスの少女『ハイジとクララ』」と「ポピーザぱフォーマー」

 

 

 「概要」の後半におもしろいところがあった。

世界名作劇場が製作休止となり2年経過した1999年瑞鷹によって櫻井美智代をキャラクターデザインに起用し等身を引き上げたリメイク作品「新アルプスの少女『ハイジとクララ』」が企画され、テレホンカードエプソン販売カラリオPM-800Cの卓上カレンダーなどノベルティグッズとしてイラストが披露されたが、アニメ化には至らず、ポピーザぱフォーマーが世に出ることになった[7]

 

 いやポピーザぱフォーマーが世に出ることになったことに触れるなら経緯まで書いて!!!!めちゃめちゃ気になるやん。

 

 [7]の出典に指定されているサイト(

https://www.ne.jp/asahi/ts/hp/file5_heidi/heidi_material/movie02_anime_sub.html#anchor08

)にはポピーザぱフォーマーのポの字もなかった。

 このサイトで紹介されているページ(http://nana.pos.to/kako/001120.html)はリンク切れ。ここに真相が書かれていたのかもしれない。ちなみに『ポピー……』のWikipedia記事にハイジのことは一切言及されていなかった。

 

 

 ハイジのことも含めて、きちんと経緯が書いてあるページを見つけた。読み入ってしまった。

kougasetumei.hatenablog.com

20230724

 

 ・記録。24日の夜は頭がおかしくなりそうだった。前駆症状的不穏。増悪。数か月に一度クラスの大きめの波だった。それは幽霊とか犯罪に対する怖さではなくて、自分の存在があやうくなっている感覚。

 TwitterがXになる、なった、という状況に接したこと。数日前から未解決事件のページを見ていたこと。読み始めた小説がいささか不気味な話だったこと。それらが関係していたのだろう。あるいは実際的に睡眠とかタンパク質とかがもしかしたら欠乏していたから起こったのかもしれない。パニックとかバッドトリップとか錯乱とかの前触れみたいな、背中に感じる不穏を、久しぶりにちゃんと感じた夜だった。

 

 そもそも寝る前にスマホを見てはいけないし、未解決事件をまとめたサイトなんか見てはいけない。その時の自分は身元不明の遺体が発見された事件ばかり連続して知りたい気分だった。遺体が出てきたけど、それがどこの誰なのか分からないし、誰に何故殺されたのかも分からない(もしかしたら殺されたわけでもないのかもしれない)という出来事について。