人生を山登りに喩える奴の大半は登山未経験


 山を登るにあたって一番大切なことってなんだと思いますか。僕は進退を見極めることだと考えています。いわゆる「勇気ある撤退」を、常に視野に入れて行動することです。多くの人が勘違いしてると思うんですけど、登山の目標というのは頂上とか目的地まで行くことじゃないんです、本当は。行って、帰ってきて、家で「疲れたけど楽しかったねー」と言うことなんです。他の多くのスポーツ――個人的にはしくじったら死ぬ度が低い競技はスポーツと呼びたくないですが――は体調を崩したら試合を止めてもらって搬送してもらえるけど、山ではちょっと事情が違う。自力で平地まで帰ってこないといけない。体調が崩れてからでは明らかにもう遅いんです(この点は他のスポーツも同じかもしれません)。

 断念や中断を能動的に選択すること。これが重要なのです。人生もそうです。なし崩し的にとった行動というのは良くない結果につながりやすい。人生もそうです。ばったり熊と出会わないために鈴を鳴らしながら歩くこと。ただのインスタント麺でも外で食べると美味しいね。「草花をとらないで!とるのは写真だけにして!」←うまいこと言うやん。人生もそうです。…………人生もそう……?

 確かに人生を山登りになぞらえることも出来ましょう。でもそれは独峰ではなく連峰を登るに近いと思います。いつまで続くか分からない尾根のアップダウンを歩き続けることです。

 

 

 夏、山に登った帰り、最寄り駅から家まで歩くのが一番つらいです。どんな高山より苦しい。どろどろの格好で住宅街を練り(練り?)歩くわけです。歩くごとに、カラビナでザックにつけた金属のコップがカンカラカンカラ鳴るわけです。僕は登山靴でアスファルトを歩くのが嫌なので余裕がある時はサンダルも持ち物に加えます。平地ではサンダルを履きます、だからカンカラカンカラに加えてペッタペッタと帰ることもある。気分はちょっとした行商人です。油を売る余裕もないですけどね。で、どうにか家に着いたら最後の気力を振り絞って洗濯物を洗濯機に放り込んでシャワーを浴びる。クーラーでバッキバキに冷やしておいた部屋に舞い戻り、ふくらはぎなんぞを揉みながら撮った写真をパソコンに移したりアイスをバクバク食ったりする。心ゆくまで文明の快適さに溺れるわけです。その時に、その溺れ始めに、やっと、一つの冒険が完結するのです。ここまでが登山なのです。現実に即して言うなら洗濯が終わったタイミングですが、そんな野暮なことは書かないことにします。

 

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