破滅志向型完璧主義という病気

 

 二分法的思考――All or Nothing、0か100かの考え方――に憑りつかれていた(いる)。別に境界性人格障害とか、そういうあれではない。これは完璧主義という独立した病なのだ。完全でなかったり、美しくない形象事物(それは僕の気にくわないものどもだ)に全く愛を注がずに、いや向けることすらせずに生きてきた。

 完璧主義。物事に完全であることを要請する主義思想である。僕はこれを病気だと思っている。人間という生き物自体がそもそも完璧とは程遠いわけで、完璧主義という思考は純粋の矛盾であり人類の重大な欠陥、立派なバグである。

 去年あたりから、ようやく60点ぐらいを許せるようになってきた。いや、それは言い過ぎた。そこまでは到達していない。厳密に言えば60点ぐらいを許す視点を、文字面の意味を超えて体感的に理解し始めた。でも時々、虫の居所が悪いと、左だけ親不知が生えてないことを思い出したりしてイライラする。人間の体は全く完璧ではない。本当は正四面体とか完全な球形とか、せめて消波ブロックとか、あとは砂防堰堤に生まれたかった。(思い出せば左右対称に快楽を感じ左右非対称に機嫌を悪くする子どもだった。レゴブロックとの膨大な時間の戯れも燃料にしつつ、僕の、自分を含めて美しくないものを赦せない精神構造はじっくりと時間をかけて造られていったようだ)

 僕の完璧主義が人生にとって有害である点は破滅指向を伴っていることだと言える。「0か100か」に囚われる両極端志向は60ぐらいの出来映えを許せず、スポイルしてしまう。一般に完璧主義はしばしば向上心や競争心の土台となり、時には人生にとって良い方向に働くこともある。しかし、破滅志向型完璧主義(と仮に名付ける)はそのような作用をもたらさない。100になりきれなかったものを0に帰すだけである。