ポリプテルス、犬猫、人間。

 

 一時期熱帯魚に凝ってて。ネオンテトラみたいな何何テトラをメインに結構いろいろたくさん飼ってた。特にトランスルーセントグラスキャットという魚が印象深い。んだけど、それは置いといて。

 ポリプテルスセネガルスという魚をずっと飼いたかったんだけど、それは実現しないまま、僕の熱帯魚ブームは過ぎ去った。ポリプテルスセネガルスは結構長生きする魚らしく、5年から10年は生きるようだった。寿命まで飼い切れない気がして諦めた。向こう5年から10年、同じ生活を続けられる見通しが無かったし、未来のことをあまり考えたくなかった。いつか自分が暮らす環境を変える時の足枷や懸案事項にしたくなかった。長生きする魚がいることによって生活の維持を長期間にわたって自分に課してしまうだろうと思って。
 犬も猫も飼いたかった。どちらも好き。体温が高いし日本語を喋らないし優しい。でも犬も猫も何年も生きる。その間は生活の水準を下げられない。僕もちゃんと生きないといけない。何年もちゃんと生きないといけないと思うと飼えなかった。熱帯魚もそうだけど、命なんだから軽々しく飼うわけにはいかない。自分と同じ重さの命を管理するというのは大変なことだ。毎日手をかけてあげないといけない。放っといては死んでしまうのだ。
 人間と暮らすというのは最たるもの。同棲みたいな無責任な暮らしにはまだ耐えられるけど、結婚なんてしてしまうと何十年、責任持って最後まで生きないといけない。「自分は自分だけのものではない度」が上がると背筋が伸びて肩に色々乗ってしまう。案外しっかり頑張ってしまってどこかで燃え尽きるのは火を見るよりも明らかなので、結婚もしないことにした。前世ではしていたような気がするし。(⇒「来世送り」)

 「自分は責任感が強いので簡単に引き受けることはしない」と書いている人がいた。納得した。軽々しく他の生き物の人生を引き受けないのも責任感だと思う。断念するという選択は僕なりの「しっかり」の一つなのかもしれない。