シノゴについて思っていること

 

 三脚と合わせて10キロあるようなカメラを(ケースに仕舞うことなく、むき出しで)担いで歩いているとワクワクする。車輛に据えるような機関銃を持って運ぶ兵士の気分。一人で祭りをしているような気分。屋根の上でまとい……タコっぽいクラゲっぽいアレ。を振り回す江戸時代の火消しの気分。

 『情熱大陸』に出た中野正貴が、重たい機材(大判カメラ)を担いで撮影に出ることについて、「ずっとやるけど」「身体が動かなくなるまでやるけど」って言ってた。60歳越えて10キロ越える機材持って歩き回れるのは凄い。やっぱり大判はそういう不健全な体力、お化けバイタリティを必要とするカメラだ。中野正貴は撮影ポイントについて尋ねた工事の作業員たちにも「改めてそうやって見ると意外に人って面白いところに住んでる」とか語っててめちゃめちゃカッコよかった。キャラが濃い感じが。番組の中ではシノゴもバイテンも使っていたけど、どういう使い分けなのか判んなかった。

 何かにイラついてる時とか47℃のお風呂に入った後とかじゃないと重い(うえに持ちにくい)機材なんて運べない。鳥居みゆきがネタを考えるときは電車の連結部分とかで嫌なことを思い出して気分を下げてるみたいなことを言ってたけど、そんな感じの負の(、しかし大きく動的な)エネルギーが要ってくる。

 三脚立てて布被ってると色んな人が話しかけてくる。「人が集まってくるカメラ」「自然と輪ができるカメラ」と言えば聞こえがいいけど、毎回ニコニコ出来るわけでもない。でも元から普通にしてても話しかけられやすい体質なので慣れている。話しかけられたくない時はデカい声で独り言をいいながら歩くとよい。

 いくらフィルムカメラがブームになってると言ったってその規模はたかが知れてる。それだって小さいカメラが主流だし、大きいカメラは競技人口が少ない。でも、おじいちゃんが早起きして寺とか撮りに行く「趣味の品」にしちゃダメだと思う。都市や人間と対峙するための兵器と思って持ちたい。だからこそ攻撃的に撮りたい。動きをつけたい。

 大判焼き(「御座候」)を撮りたい。じゃエイトバイテンだと売店を撮るんですかって話になってくる。けど私はエイトバイテンには手を出すつもりはない。今のとこは。

 1日に数枚しか撮らない(撮れない)のが良い。24枚とか36枚とか撮らないのが心地よくて。どんどんテンポが上がっていく時代に逆行してスローに楽しんでいる。それは年寄り臭いような気もする。しかし大きく重いカメラこそ若いうちに使っておいて加齢と共に小さく持ち替えていく、というのが生き物として自然な流れだと思う。

 35ミリカメラで日付を入れる日常の撮影がおしりポケットに入れた小さなメモ帳にちょこちょこと書きつけるようなものだとすれば、大判カメラの撮影行為と言うのは測量とか土木工事、儀式に近い。

 でもだからといって精密に気合を入れて一写入魂!みたいには撮りたくなくて。置いたところでもう撮るみたいなぞんざいさも持ち合わせたい。三脚立てるとどうしても決まりすぎてしまう。もっとラフに、ハーフカメラでパチリするみたいにいきたい。

 

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