20240407

 

 ・牛乳とパンを買うため22時頃外に出た。気温と湿度が心地よかった。いくつか並んだ桜は咲いていて、街灯に照らされていた。あの頃のあの時と同じ視界だと思った。

 私がどこへ出しても恥ずかしくないうつ状態だった頃。何かの用事でふと外に出た夜も桜が咲いていた。あまりきれいとは言えない光の当たり方で「結果的に」ライトアップされているような状態だった。

 今よりもっと深刻な本式のうつ状態だった私は、形だけはかろうじて人間の肉の塊だった。掛け時計もソファもテレビも掃除機もないような部屋でただ死んでいないだけだった。変な時間に起きて変な時間に寝て、スマホの小さな画面の中に無自覚に救いを求めていた。いつもタイムラインに居ると思われていた。救われるなんてことは結局無かった。ニトリのテーブルにメラミン樹脂のランチプレートを乗せていた。床に座り込んで食べていた。一日に一食か二食だった。メニューはいつも同じだった気がする。出来合いの揚げ物、インスタントの味噌汁、白米。変わった立地のスーパーで買い物をした。裕福には見えない老人や身体障害者が目につく店内だった。住んでいたエリア自体がいつでも曇っていて閉塞感に満たされた土地だった。元気があれば出来合いの惣菜をフライパンで温めた。その後フライパンでお湯を沸かしてインスタントの味噌汁を作った。お腹が空いたとしても食事をとるに値する人間だとは一文字も一瞬も思えなかった。薄い熱々の味噌汁の匂いが生きていることに対する罪悪感と紐づいた。睡眠導入剤を箱単位で輸入してシート単位でじゃらじゃら飲んだ。綺麗な焼酎で飲んだ。缶チューハイで飲んだ。カルピスで飲んだ。水道水で飲んだ。風呂に入れなかった。洗濯も出来なかった。元気な時はウェットティッシュで身体を拭いた。髪がどんどん伸びていき、いつも同じコートを着ていた。コートのポケットには本が仕舞いっぱなしになっていた。人の影響で知った小説だった。

 ・それでも、2024年の今はもう会えない人達が当時はまだいた。その意味では幸せだった。あの頃に自殺するのがやはりひとつの正解選択肢だったんだろう。

 

 ・当時の自分ともし会えたら何を話すのだろう。少し老けてるって言われるのかな。なんでまだ生きてるんだって言われるだろうな。でもね、過去の君よ聞いてくれないか。どんどんやることが増えていったんだよ、私じゃないと出来ないことが。生きることは仕方ないの連続。

 

 

カメラ買っちゃった

 

 ・勢いでEOS R6 mark2を買ってしまった。キャッシュバックキャンペーンやってたんだもん。それに普段がんばってるしご褒美。

 ずっと5Dシリーズを愛用していたので正直なところEOSの「6」には抵抗があった。格下げ感、都落ち感がある。右肩にサブディスプレーではなくモードダイヤルがあるのもすごく不満だ。

 うちの5Dはいつなんどきいかなる時でも確実に動作するのだ。100回電源を入れたら100回つくし、10000回シャッターを切ったら10000回画像が記録される。色んな所に連れて行って酷使したけどびくともしなかった。何度かゴロンゴロン落としたけどへっちゃらだったし、水たまりがあっという間に湖になるような土砂降りでビッショビショになっても乾かし切ればまた動き出した。そんなプロユースカメラとしての確実性をR6 mark2が備えているか心配ではある。

 だけど、だからといってEOS Rの「5」を買う気にもなれなかった。あまりにも値段が高すぎるうえに4年落ちのカメラを今さら新品で*1買うのは時代に追い付いていなさすぎる。mark2を待って出た途端買うほど時代の先頭を走りたいわけでもない。握り心地や操作感でいくとR5はすごくしっくり来たものの日常使いに4500万画素はややヘヴィーだ。バキバキに解像するレンズだけを使うわけではないし、どうでもいいものを撮る時に躊躇してしまう(これも貧乏性の一種なのかもしれない)。

 「7」のブランドには親しみがあったものの持ってるレンズの画角が変わってしまうのは困るので買わない。「8」と「RP」は私の持っていない小型バッテリーを使用するので候補外だった。RPのシャンパンゴールドツートンカラーはすごく良いと思ってはいたけれど。「6」と「7」の差も一眼レフの頃ほど無いようだったから「6」mark2に決めた。*2 「5」ほどではないにしろ「6」mark2にも剛性感、機械がぎゅっと詰まっている感、道具感は漂っていた。メモリーカードスロットのフタが泣けるぐらいチャチいけどね。ここだけはマジでもう少しどうにかならなかったのか。消費者を小バカにしてんのか。

 

 ・これからはイオス中級機の軽快さも楽しんでいこうと思っている。業務機然とした5Dを構える時やはりどことなく肩に力が入っていた。一眼レフのシリアスさ堅苦しさも加わって文字通り構えて撮っていた。意図せずドキュメンタリーのいで立ちだった。カメラを向けられた相手も大きな黒い機械の塊を前に多少身構えていることもあった。けどR6だともっとラフに、楽しく、にこやかに撮れるような気がする。ストラップもグリーンとかオレンジとか明るい色のカワイイものを付けたい、付けることもやぶさかではない。首から下げてみぞおちのあたりでぷらんぷらんさせていてもいいカメラだと感じる。大仰なフルサイズ一眼デジタルカメラであるところの5Dを首から下げてみぞおちのあたりでぷらんぷらんさせている時、私はそこはかとなくマヌケだった。

 

 ・イオス最初期のCMが好きだ。シルヴィ・バルタン「あなたのとりこ」が使われていて、ビクトリア・ブリナーがヨーロッパの街並みのなかを風のように撮影している。ワンハンドストラップがついたEOS 650を右手だけで構えて左手はポケットにつっこんだりしている。軽やかでスタイリッシュ。そんなふうに風景と触れ合いながら撮りたい。この気分を盛り上げてくれるのはR3やR5ではなく、もちろん1DXでもなく、R6やR8なのだと強く思う。

 

 ・今のデジタルEOSあるいはミラーレスEOSを、フィルムEOSのラインナップになぞらえてみるとどうだろう、という楽しい空想をたまにする。Rシステム誕生から今年で6年になるそうだ。EFシステムの誕生が1987年なのでその6年後というと1993年。その頃のEOSカメラは上級機にEOS-1、続いてEOS5、中級機にEOS10、EOS100、入門機にEOS 700、EOS1000というような顔ぶれだった。分かりやすくて気持ちがいい。

 EOS R6mark2はEOS10に近い立ち位置だと考えていた。EOS-1とEOS5、EOS100とEOS1000に挟まれていて、商業写真の現場ではサブカメラに使われるようなスタンダード機。もう少し後の時代でたとえるなら私の大好きなEOS55ぐらいのポジションなのではないだろうか。*3 とにかく、R6 mark2というカメラは状況次第ではメイン機になりうる、ほどよいミドル機種だということ。

 

 しばらくはアダプターとEF50mm F2.5 コンパクトマクロを着けてこまごまと撮っていきたい。何年かしたらRFレンズを買ってもいいかもしれない。RF28-70mm F2 LやRF24-105mm F2.8 Lなんかは大艦巨砲主義的でカッコいい憧れの的だけれど私とR6mark2の生活には相容れない。なんでも出来る万能アイテムは日常生活には不要なのだ。RF28mm F2.8やRF50mm F1.8などのコンパクトで気負わないレンズがいい。RF85mm F2 MACROもずっと気になっている。メモリーカードスロットのフタが泣けるぐらいチャチいけど、何年か人生を共に過ごしてみようと思っている。これからよろしくね。

 

 

*1:中古の選択肢は最初からない。

*2:EOS 6Dというとセンサーサイズが大きいだけのデクノボーだったのだ。シャッタースピードが1/4000までしかなかったことをはじめとして、センサー周り以外のほぼ全てが7Dに劣るものだった。キヤノンの「6」に対して未だにその頃のイメージを引きずっている訳である。それゆえR7を欲する気持ちも強かった

*3:55は5の直系の後継機にあたるのか、あるいは5から上下に3と55へ派生したのかとか、7は55より格が上なんじゃないかとか、このあたりの話を始めると本当に終わりがないのでやめておく。

2月3月のいそがしさと 何度か目の結局のところ

 ・嬉しい予定、悲しい予定がぎっしり詰まっていて、私は私自身の肉体を西へ東へとせわしなく移動させていた。場所と空気と周りの人間がザッピングのように次々切り替わり、私の顔色も声色もパラパラと変化した。その春先辻風の忙しさの真っただ中にいて、私は気持ちをこまめに、無風の腕の中に囲っていた。心の一角に、その無風の場所にただ置いた。

 しかし状況に引きずり回されてはいけない。ひとやすみひとやすみ。一旦座る。目をつぶる。水をひとくち飲む。カメラを構える。ファインダーを覗いて客観視。「(暇な時こそ気持ちを張って)あわただしい時こそ心を平穏に保つのがよい」、ということで落ち着こう。そして俯瞰で見ること。乖離的に見ること。この人は今こういう場にいるんだな。二本の足で地面に立つ私と、それを傍観する私。

 

 ・この時間にもいつか終わりがくるのだな、こういう時間はいつか無くなるのだな、と思うことがあった。

 ・本当に小さな――5歳ぐらいだったはず――子どもの頃に夢に出てきた川を見に行った。川は実在の川で、夢は悲しい夢だった。小さな私は双眼鏡を抱え持っていた。健気でか弱き壊れゆくもの(存在)との別れがテーマだった。現実の川は遠い昔夢で見た時よりも浅くて色が薄かった。「健気でか弱きもの」は未だに私をどこかから慕っていてあるいは待っていてくれているのだろうか。それか、今はかたちを変えてそばに在ってくれているのだろうか。

 

 ・田舎に住もうが都会に住もうが1日は24時間で、楽しい時は楽しくて悲しい時は悲しい。自分自体の存在が物理的に大きくなるわけではないのだし働いて食べて寝てする営みの、本質的な違いは(都会田舎には)無いのだろうとまた思った。

 ・自動車というものは若い男を魅了する、命を賭ける価値があるものだという神話は未だに田舎・郊外では強力な現実だ。都会の、自動車を持てない若者は何に魅了され命を使うのだろう。夜の世界だろうか、女だろうか。いずれにせよそれは夢や幻の同類である気がする。その幻はガソリンのように鮮烈に残る匂いを残すのだろうか。

 

 ・感情とその動きに対して真摯であろうと思い、突き放した誠実さを持とうとまた思った。そういう態度が他者に対する思いやりや慈しみだと私は考えている。どこまでも真摯でありたい。そう自分に願い続けて要請し続けることが私の生き方なのだろう。失いたくない。

 

2024年3月のつぶやき その2

 

 ・「大津名物 三井寺力餅」をもらった。同封の紙片ではきなこについても説明されていて、プロテイン豊富だと書いてある。お餅を食べきった後は、「白御飯にまぶしておはぎ風に又は牛乳やヨーグルトにまぜたり或いはそのままスプーン等でお召し上がり下さいませ。」ということだった。親切。

 

 ・相変わらず、実態はモダンジャズチャンネルのコミュニティFMを流しっぱなしにするのが心地よい。新聞のラジオ欄だと10行ぐらいで1日の全てを説明できるんじゃないかと思わせる内容の無さがいい。私が愛するエフエム京都α-STATION)を安価なオムニバスCDで20倍ぐらいに薄めたような局なのだ。そのエフエム京都も何年か前から終夜放送をやらなくなってしまい、少し寂しい。

 

 ・魅力屋。美味しい。

 

 

 ・真木よう子遠野なぎこも泰葉も、内にたまっているエネルギーは膨大なのにその適切な放ち先が見つかってない感じがする。もしかしたらキョンが現れなかったハルヒもこうなっていたのかもしれない。

 ちなみに。ハルヒに出会えなかったキョンは、ドラえもんに出会えなかったのび太ゼロ年代的に再解釈あるいは翻訳したかたちだという我説がある。

 

 ・山形由美『エレガンス』をふと聴き直した。繊細なフルートの音色と、若干ガチャガチャしたトラックの、調和しているのかしていないのか判然としないサウンドが、その時の考えがまとまっていない脳みそによく合っていた。良いことなのか悪いことなのか。

 

 ・「世界!ふしぎ発見」の最終回をたまたま観ることが出来た。黒柳徹子草野仁の言葉に、小学校の卒業式より感動した。疲れていたこともあって。こういう教養番組というものはどんどん減っているのだろうか。

 

 ・あんまり大っぴらに言えないけど、嬉しくてすごくありがたいことがあった。感謝。感謝の気持ちを持ち続けたいです。

 

 ・気を使わないでねと言わずにそれを伝えることの難しさ。何年にもわたって続くテーマ。

 

 

 曇り空が堂に入った京都シティ。

2024年3月のつぶやき

 

 ・先月のこと。散髪屋に行った。「ヘアトニックっちゅうのはぶっちゃけてしまえばアルコールなんだわ」「散髪で痛んだ頭皮を多少はアレしようっちゅう意味合いがあるわけ」ということだった。アレっていうのは理容師と医師が同じだった的な話の流れからいくと医療的なことだと思う。しかし散髪屋のおっちゃんと話をするのは面白い。毎回新しい知見が得られる。

 

 ・軽バンで高速道路を走った。運転していてどうにも落ち着かない。雨だったからなおさらだ。普通のクルマだったら地球の重力とエンジンの推進力を身体に感じられる。ところが車体が軽くて重心が高い軽箱だとどの方向にも重力がかかっていない感じがあるのだ。地に足がついていないというかタイヤに路面に食いついてないというか……。どうにも気が落ち着かない。もしかしたら軽飛行機の操縦感覚もこんな感じなのかもしれない、と若干の情趣がある想像をした。

 もしかしたら漫画『カブのイサキ』に出てくる登場人物も飛行機の操縦中、軽箱のそれと似た感覚をおぼえているのかもしれない。そう思った。

 

 ・新幹線の喫煙ルームに別れを告げた。「昔は新幹線でもタバコが吸えたんだよ」的な誰にも求められてない懐古話をするおじさんにならないようにしよう、と今これを書きながら静かに決意をしている。

 

 ・ある朝、起きたらどこからか笛の音が聞こえた。すごく丸い音だったので昔のシンセかと思ったがそうでもないらしい。近所の公園で練習をしている中年女性が音源だった。すごく綺麗な音なので聴いていて快かった、これからも時々ここで音を出してくれると嬉しい、ということを伝えた。女性もまた、胸がいっぱいになったような仕草をして嬉しそうにしていた。練習していたのはフォーレの曲だと教えてくれた。

 

 ・ふいに聴きたくなったのでハッチポッチステーションのオープニングを聴いた。「ハッチポッチファミリー」という曲名だったらしい。そうだったっけか。こんなにかっこよかったのか!という発見があった。そのサウンドは初期のSMAPに通ずるものがあるなと思った。ドラム、ベース、ブラスがすごく良い。打ち込みの音源も楽譜もすごく良い。

 「とってもおしゃれ エチケットじいさん いつでも元気 説教どこでも始めるけど」って歌詞が最悪過ぎて死ぬほど笑った。いつでも元気で説教どこでも始めるのはガチモンの老害だろ。

 

 ・「小岩井 ミルクとココア」、後味がゲロ過ぎる。

 

 ・デイリーヤマザキに入った。なかなか見かけることがない。店内調理らしきパンにもシールが貼られている。店内放送でもパン祭りについてアナウンスされていて、「どの料理にも使える」というような喧伝がなされていた。今年は白いスマートボウルというやつが貰えるらしい、そこで初めて知った。私好みのデザインだ。花びらみたいなフォルムのやつは私好みではない。「ビッグデニッシュドーナツ」を買う。0.5点。

 パン祭りで歯がゆいのが、必要点数集めた後にも微妙にシールがゲット出来てしまうこと。毎回6点ぐらいを捨てている。かといって次の30点を目指すのはいささかハードだし。確か2021年大会から参加しているので今年は4枚目の皿を手にすることになる。しっかし使わないんだよなあ。

 

 ・出先で天下一品に入った。なかなかの当たり店舗だった。うまい。店員さんの愛想もいい。卓上にお酢が置いてある。これは良い天一の特徴でもある。だけれども、麺を食べ終わったあと白米をスープに投じてやった。旅の恥はかき捨てだ。どう思われようと構わない。私はやりたいようにやる。自分の人生の主役は自分だから……

 

 ・印象的なツイート。

 客車が1両だけ。それを機関車1両でひっぱっている列車。

 

 

2024年3月 またしても旅に

 

 またしても旅に出た。

 バスの、ドコンドコンとした人を不快にさせることを目的としているとしか考えられない揺れ。新幹線の、細かく断続的に続くジリジリゴロゴロとした揺れ、それと上下左右へとせわしなく移り変わる重力。

 

 移動している間はどの時も聴きたい曲が浮かばず、またどの曲もしっくり来なかった。そのことに対する妙な不愉快さもあった。脳が疲れていたのだろうか?(おもしろいことに帰宅してシャワーを浴びていると聴きたい曲がスッと浮かんで、再生するとしっくり来もした。)

 スーパーに入った。世界の果てのような一角の町だった。見慣れた商品もあったし見慣れない商品もあった。その場所ならではのお惣菜もあった。20代にも30代にも見える男性店員が黙々とレジ打ちをしていた。毎日毎日テレビから胸焼けするほど流れてくる、流行とか都会のことなんて知らないしどうでもいいというような様子に見えた。彼が休日にどう過ごしているかとか、何を楽しみにして暮らしているのかといったことは想像もつかなかった。ただこの土地に生きて仕事をしているという事実だけが分かった。

 日用品店に入った。何かを買いたくて―—という気持ちは正確に書くならばここで買い物をしたという事実を残したくて――買い物をした。鍋やらヤカンやら栓抜きやらが並べられていた。その店には昭和から平成初期に売り出されたであろう生活雑貨が多く残されていて、宝物の山だと感じられて嬉しくてテンションがあがる一方で胸がしめつけられる感覚もあった。持ち主が現れる日をいつまでも待っている日用品の健気さによって、かもしれない。店内は年月の奔流に流されることの無かった尊い空間のように思えた。買い物は30年は売れ残っていたであろうキャラものの小皿に決めた。バーコードに書かれていた会社はもう現存しないようだった。また捨てられないものが増えた。

 布団の中でG-SHOCKのバックライトを着けては消えさせながら、考えなくてもいいことを考えていた。DW-D5500BBはソーラーじゃないしオートライトが勝手に解除されてしまうこととか。電波ソーラーで普通液晶の5500が出ないかなとか。松本次郎『beautiful place』の登場人物が着けているG-SHOCKのこととか。朝、枕元に置いていたペットボトル飲料が冷蔵庫の奥に仕舞われていたぐらい冷えていた。

 

 

 旅のはじまりはいつもここからJR京都駅。それにしてもなんでこんなインダストリアルな建物なんだろう。和っぽくないという意味では京都らしくないけど、この意味不明さは関西らしいし京都らしい。

2024年2月のつぶやき その2

 

 ・2月は良いことが2つもあった。1つはヨコハマ買い出し紀行の画集の復刻版が届いたこと。ああ、この本はずっと持ってるんだろうな、って思った。

 もう1つはゲーム「フォーエバー・ブルー」の新作が発表されたこと。

www.famitsu.com

 

www.nintendo.com

 長く生き続けてるとたまにこういう良いことがあるなあ。

 

 

 ・ついにパン祭りが始まった。ヤマザキ以外のパンを買って食べるのがなんとなく損な気がしてしまう。ビョーキだよ。で、また春のパン祭り期間中に限ってPascoとかが美味しそうな新製品を投入してくるの。もう揺らぐ揺らぐ、気持ちが。私は「ケーキドーナツ(4個入)」が大好きなのでいつもに増して買ってしまう。そんなことしてたら早死にするだろ、砂糖と油の塊で。人間用固形燃料みたいなもんなんだから。ケキドと同じぐらい大好きな「ひとくちつつみソーセージ6個入」は第一パンなので祭り期間中だけ距離を置くことになる。だからこそ祭り終了後の「ひとくちつつみソーセージ」はひとしお。うまいのなんのって。

 ・ヤマザキの菓子パン一覧。見知った顔のなかに見慣れぬ商品もちらほら。

www.yamazakipan.co.jp

  「アップルパイ」は安定してるよね。「マロン&マロン」も一時期よく食べてた。「大きなハム&たまご」「大きなメンチカツ」なんかは店頭で見てるだけで気分が悪くなってくる。でもたまに無性に食べたくなる。

 ちなみに祭りを効率的に終えたい人は割引シールが貼られた食パン(「ロイヤルブレッド」「ダブルソフト」など)を買っていけばよい。そんな戦略つまらないけどね。映画の倍速再生する若者と一緒だよ。素っ気なさ過ぎ。結果も大切だけど過程だって大切なんだから。あと忘れられがちだけど別にパンじゃなくても点数は得られる。「草まんじゅう」「吹雪まんじゅう」とかにもシールは貼られてる。てか近所にデリヤマあるなら普通におにぎりとかお弁当とか買う方がいい。私みたいにケーキドーナツばっかりいってると絶対よくない。

 

 

 ・Serani Poji「ハッピーエンドをさがして」「スマイリーがやってきた」をよく聴いていた。あと思い出したようにshami momo「町かどタンジェント」、そして中毒のように崎谷健次郎「愛の時差」などなどなど。アルバムだと矢舟テツロー『矢舟テツロー、ベリッシマを歌う』、Tokyo’s Coolest Combo『TOKYO'S COOLEST COMBO IN TOKYO』、ピチカート・ファイヴ『SWEET PIZZICATO FIVE』とか井上睦都美『恋は水色』とかとか。

 ・崎谷健次郎のアルバム『DIFFERENCE』には本当に出会えてよかった。「愛の時差」はよくよく歌詞を聞いてみると結構悲しい歌だったってことを割と最近知った。リズムの良さとかBメロになだれ込んでいくときのワクワク感、サビの合いの手ブラスとかそんなとこばっかり気に入ってて歌詞をちゃんと聞いていなかった。

 ・それがいつっていうのかは上手く書けないんだけど、戸川京子の「動物園の鰐 - Nobody in town」「動物園の鰐 - Back in town」やギャランティーク和恵の「不眠症のパンセ」とかを聴きたくなることがあって。聴きたくなるっていうのも厳密な表現じゃないんだけど。その時の空気にこれらの音楽が流れてて、答え合わせのようにイヤホンから耳に流す動作をとることがある。世界の裏側へつながる穴が出現したのか、今まですっかり忘れていた大変に大切な何かを思い出せそうなのか、ちょっとその理由とか原理とか意味は解らないんだけど。でも自分にとってすごく大事な感覚だという気がしている。しているからこうやって書いておく。

 

 

 ・今月ハマっていた動画。

ポケモン風のBGMを作ろうと思ったらコウメになっちゃいました #コウメ太夫

www.youtube.com

 

ポケモンの世界に閉じ込められてしまったコウメ太夫

www.youtube.com