レゴは一生遊べるんです

 

 レゴブロックとは物心がつくかつかないかの頃からの付き合いだ。初めて買ってもらったのは2歳か3歳だったと思う。スペースシャトルとそれを輸送するジェット機のセット。ミニフィグは3人。昔のレゴは箱もずっとシンプルで、この箱絵の背景はトワイライトの空を表現したものだった。その抽象画のような美しいグラデーションを、僕は今でも完璧に思い出すことが出来る。そしてこの色合いは連鎖的に「ラヴェル管弦楽集」のCDジャケットを思い出させる。どちらも幼少期の記憶で、それによる連想だ。シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団演奏である。生まれて初めて聴いた「ボレロ」がこれだった。

 懐古的な口ぶりになるのは仕方ないけど、当時のレゴは無駄なパーツが存在せず機能的で(今のレゴには例えば飛行機の機首だとそれ以外に使い道が無い、ようなパーツが一定数存在する)、美しかった。その一方で製品やシステムそのものがまだ成長の段階、黎明期にあることを教えてくれるような素朴でのんびりとした雰囲気もまとっていた。しかしそれでもブロック一つ一つは高品位なオモチャの気配を存分に漂わせていた。

 大人になった今でも時々触る(オモチャとしてはもしかしたら少し高い部類に入るかもしれない。しかし20年以上遊べるのだから決して悪い買い物ではない。良い物を長く使うことの大切さをも、僕はレゴから教わっていたのかもしれない)。固くて細かいブロックをかき混ぜて目当てのパーツを探していると、普段使わない脳の部位が活性化される感覚があって良いリフレッシュ、気分転換になる。

 小学校低学年頃までは頭の中にレゴブロックがあって、つまらない時間にはそれを頭の中で組み立てて遊んでいた。家に帰って実物を作って実体化の答え合わせのようなことをするのも大好きだった。当時はどの種類のパーツをどれだけ持っているかということも把握していたから頭の中で作った何かを完成させるためにはこのパーツがいくつ足りないな、などということもよく考えた。そしてそのパーツはあのセットに含まれているから、次はこれを買ってもらおうなどと考えてはワクワクした。

 それから、おかし付きのレゴ(レゴ付きのおかし?)がカバヤ食品から発売されていて、これも集めていた。大きなセットには憧れもあって好きなんだけど、総ピース数が少ないセットも大好きだった。これは今でも同じ。小さな部品数でどれだけのモノが作れるか、ということを考えるのも質の良い頭の使い方なのだ。

 うーん、今日は何をして遊ぼうかな?海底遺跡で巨大タコと宝物の取り合いをするのもいいし、警察署へホットドッグとピザの配達に行ってこようかな、人工衛星の修理に行くのも悪くない、ティラノサウルスの赤ちゃんとお散歩にも行きたいし、中世の騎士たちと帆船で旅に出るのもアリだな……

 

 記念プレートが含まれたレゴ60周年記念セットを買った。ミニフィグの顔が初期のにっこり顔で、ほっとする。お洋服もシンプルだ。後ろにいるのは別の日に買ったセットに含まれていたコックさんで、顔や服が最近の製品らしく少々凝ったディティールをしている。

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